ワークショップ要旨
10月26日(日) 10:00-12:00
ワークショップ1(B104講義室)
シャンソンにおける反戦・平和主義 ―歌を通して見たヒロシマのイマージュ
コーディネーター:吉田正明(信州大学) パネリスト:戸板律子(広島大学非常勤講師)、 高岡優希(大阪大学非常勤講師)
一般にシャンソンはサブカルチャーと見なされる故か、日本はもとより 本 国 フ ラ ン ス に お い て さ え 、こ れ ま で 本 格 的 な 学 術 研 究 の 対 象 に は ほ と んどされてこなかった。こうした状況を憂え、日本においてシャンソンの 学 術的研究の基礎固めをし、その内実を様々な角度から検証し、文学と の関係も視野に入れつつ、シャンソンをフランス文化史のなかに正当に 位 置 づ け 、 且 つ 、そ れ が ど の よ う な 役 割 と 機 能 を 果 た し て き た か を 明 ら か に す る た め 、2 0 0 2 年 1 2 月 に 4 人 の 有 志 が 信 州 松 本 の 地 に お い て シ ャン ソン研究会を立ち上げ、以来定期的に年2回の研究会を催し着実に会員 数 を 増 や し つ つ 、2 0 0 9 年 度 か ら は 研 究 誌『 シ ャ ン ソ ン・フ ラ ン セ ー ズ 研 究』を毎年発行し、現在第5号まで刊行してその成果を公表してきた。
今 回 の 秋 季 大 会 が 広 島 大 学 で 開 催 さ れ る と い う こ と も あ っ て 、本 研 究 会の活動内容の紹介も兼ねて、広く一般の関心を呼び、来場者が活発な デ ィ ス カ ッ シ ョ ン や 意 見 交 換 に 積 極 的 に 参 加 で き る よ う 、「 シ ャ ン ソ ン に お け る 反 戦 ・ 平 和 主 義 ― 歌 を 通 し て 見 た ヒ ロ シ マ の イ マ ー ジ ュ 」と 題 し て ワークショップを実施することとした。
まず前半は、コーディネーターの吉田がシャンソンにおける反戦・平和 主義の流れをいくつかの歌を通して概観した後、パネリストの戸板と高 岡が、ヒロシマに言及したりそれを暗示したりしている歌を紹介し、それ らヒロシマに纏わる歌をその流れの中に位置づけるとともに、ヒロシマ がそれらのシャンソンの中でどのように歌われているのかそのイマージ ュを探っていく。
後 半 は 、問 題 提 起 さ れ た 論 点 を 巡 っ て パ ネ リ ス ト 間 で 討 論 し た 後 、来 場者の方々と活発な議論と意見交換を繰り広げたいと思っている。
ワークショップ2(B102講義室)
近代フランス文学におけるモニュメント ―記憶・複製・再創造
コーディネーター:田中琢三(お茶の水女子大学)
パネリスト:福田美雪(獨協大学)、中村翠(名古屋商科大学)、高橋愛(法政大学)
ラテン語のmonēre(思い出させる)を語源とするモニュメントは、過 去の出来事や人物に関する何らかの「記憶」をわれわれに喚起させる建 造 物 や 記 念 碑 で あ る と 定 義 で き よ う 。文 学 作 品 に は 、言 語 に よ っ て モ ニ ュ メ ン ト を 「 複 製 」 し 、そ の 「 記 憶 」 を 「 再 生 産 」 す る と と も に 、モ ニ ュ メ ントの意味やイメージを新たに「再創造」する機能があるように思われ る 。そ う し た 観 点 か ら モ ニ ュ メ ン ト を 論 じ る こ と は 文 学 研 究 に と っ て 有 意義なことではないだろうか。
このような問題意識のもと、本ワークショップではおもにエミール・ゾ ラ( 1 8 4 0 - 1 9 0 2 )の 作 品 を 取 り 上 げ 、モ ニ ュ メ ン ト を め ぐ る「 記 憶 」の 文 学 的「 再 創 造 」に つ い て 検 討 し た い 。福 田 は 、ゾ ラ の 描 い た 第 二 帝 政 期 を 特 徴 づ け る 祝 祭 空 間 と し て 、パ リ・オ ペ ラ 座 の 担 っ た 役 割 を 考 え る 。中 村 は 、 都 市 の 描 写 に 描 き 込 ま れ た 建 造 物 の ア ナ ク ロ ニ ズ ム を 、『 愛 の 一 ペ ー ジ 』( 1 8 7 8 ) を 中 心 に 考 察 す る 。 高 橋 は 、 ゾ ラ の 写 真 、『 ル ル ド 』 ( 1 8 9 4 ) と 『 パ リ 』( 1 8 9 8 ) か ら 浮 か び 上 が る 作 家 の 意 識 を 同 時 代 の モ ニュメントとの関連から論ずる。田中は、ゾラの『ローマ』(1896)におけ るモニュメントの表 象とイデオロギーの関係性を問題にする。
このワークショップでは、ワークショップ本来の形態である「全員参加 型の作業」によってモニュメント研究の可能性を探りたいと考えている。 具 体 的 に は 、あ ら か じ め 参 加 者 に 質 問 票 を 配 布 し 、各 パ ネ リ ス ト が 発 表 で 問 題 提 起 を し た 後 、質 問 票 の 回 答 を も と に 、参 加 者 か ら そ れ ぞ れ の 研 究 分 野 の 知 識 を 提 供 し て い た だ き な が ら 、発 表 者 と 参 加 者 に よ る 双 方向的なディスカッションを行いたい。
ワークショップ3(B253講義室)
ボードレール/バンヴェニスト ―詩学と言語学のはざまで―
コーディネーター:中島淑恵(富山大学) パネリスト:廣田大地(神戸大学)、阿部宏(東北大学)、 吉村和明(上智大学)
エ ミ ー ル ・ バ ン ヴ ェ ニ ス ト は 、詩 的 言 語 の あ り よ う を『 悪 の 華 』の 随 所 に 観 察 し 、 数 多 く の 手 稿 を 残 し て い る 。 本 ワ ー ク シ ョ ッ プ で は 、『 悪 の 華 』 の テ ク ス ト と バ ン ヴ ェ ニ ス ト の 手 稿 を 対 比 さ せ る こ と に よ っ て 、『 悪 の華』の詩学を巡る諸問題について、様々な角度から考察を試みる。こ の 試 み が 、文 学 的 言 語 に 言 及 す る の は 一 種 の 禁 じ 手 と 見 做 さ れ か ね な い言語学的な立場からも、有機的な総体としての「作品」を言語学的に 腑分けすることに抵抗を感じがちな詩的・文学的な立場からもひとまず 自由になって、手稿の中で『 悪の華』に虚心に対 峙しているように思え るバンヴェニストの知的興奮を追体 験しながら議論を深める機 会とな れば幸いである。また、なぜそれは他の詩人や作品ではなくボードレー ルの『悪の華』であったのか、また、なぜこれらの論 考は未発 表にとど まったのか、という謎についても検討することにしたい。
廣 田 は 、手 稿 作 成 時 に 用 い ら れ た の が『 悪 の 華 』の ど の 版 で あ る の か を特定し、その版に寄せられているボヌフォワの序文がバンヴェニスト に及ぼした影響について検討する。
阿 部 は 、バ ン ヴ ェ ニ ス ト の 言 語 観 の 根 幹 に あ る( 間 )主 観 性 が 、こ の 手稿群にどのようにあらわれているか。特に、時制の解釈に注目して考 察を行う。
吉 村 は 、ボ ー ド レ ー ル 的 な 詩 の 特 質 を 示 す キ ー ワ ー ド と し て バ ン ヴ ェ ニ ス ト が 注 目 す る い く つ か の 言 葉 ( 「 内 面 」 、「 深 さ 」 、「 現 実 ( 真 実 ) 」 など)を手がかりに、彼のなかで「詩」という特異な言語活動がもちうる 意味について考える。
中島は、バンヴェニストが『悪の華』について指摘しているエモーショ ナルな表現が、詩的言語の形成にどのように関与しているかについて検 討を加える。
研究会 10月25日(土)10:00-12:00
253講義室
自然主義文学研究会
B201講義室
日本ジョルジュ・サンド研究会
10月26日(日) 10:00-12:00
ワークショップ1(B104講義室)
シャンソンにおける反戦・平和主義 ―歌を通して見たヒロシマのイマージュ
コーディネーター:吉田正明(信州大学) パネリスト:戸板律子(広島大学非常勤講師)、 高岡優希(大阪大学非常勤講師)
一般にシャンソンはサブカルチャーと見なされる故か、日本はもとより 本 国 フ ラ ン ス に お い て さ え 、こ れ ま で 本 格 的 な 学 術 研 究 の 対 象 に は ほ と んどされてこなかった。こうした状況を憂え、日本においてシャンソンの 学 術的研究の基礎固めをし、その内実を様々な角度から検証し、文学と の関係も視野に入れつつ、シャンソンをフランス文化史のなかに正当に 位 置 づ け 、 且 つ 、そ れ が ど の よ う な 役 割 と 機 能 を 果 た し て き た か を 明 ら か に す る た め 、2 0 0 2 年 1 2 月 に 4 人 の 有 志 が 信 州 松 本 の 地 に お い て シ ャン ソン研究会を立ち上げ、以来定期的に年2回の研究会を催し着実に会員 数 を 増 や し つ つ 、2 0 0 9 年 度 か ら は 研 究 誌『 シ ャ ン ソ ン・フ ラ ン セ ー ズ 研 究』を毎年発行し、現在第5号まで刊行してその成果を公表してきた。
今 回 の 秋 季 大 会 が 広 島 大 学 で 開 催 さ れ る と い う こ と も あ っ て 、本 研 究 会の活動内容の紹介も兼ねて、広く一般の関心を呼び、来場者が活発な デ ィ ス カ ッ シ ョ ン や 意 見 交 換 に 積 極 的 に 参 加 で き る よ う 、「 シ ャ ン ソ ン に お け る 反 戦 ・ 平 和 主 義 ― 歌 を 通 し て 見 た ヒ ロ シ マ の イ マ ー ジ ュ 」と 題 し て ワークショップを実施することとした。
まず前半は、コーディネーターの吉田がシャンソンにおける反戦・平和 主義の流れをいくつかの歌を通して概観した後、パネリストの戸板と高 岡が、ヒロシマに言及したりそれを暗示したりしている歌を紹介し、それ らヒロシマに纏わる歌をその流れの中に位置づけるとともに、ヒロシマ がそれらのシャンソンの中でどのように歌われているのかそのイマージ ュを探っていく。
後 半 は 、問 題 提 起 さ れ た 論 点 を 巡 っ て パ ネ リ ス ト 間 で 討 論 し た 後 、来 場者の方々と活発な議論と意見交換を繰り広げたいと思っている。
ワークショップ2(B102講義室)
近代フランス文学におけるモニュメント ―記憶・複製・再創造
コーディネーター:田中琢三(お茶の水女子大学)
パネリスト:福田美雪(獨協大学)、中村翠(名古屋商科大学)、高橋愛(法政大学)
ラテン語のmonēre(思い出させる)を語源とするモニュメントは、過 去の出来事や人物に関する何らかの「記憶」をわれわれに喚起させる建 造 物 や 記 念 碑 で あ る と 定 義 で き よ う 。文 学 作 品 に は 、言 語 に よ っ て モ ニ ュ メ ン ト を 「 複 製 」 し 、そ の 「 記 憶 」 を 「 再 生 産 」 す る と と も に 、モ ニ ュ メ ントの意味やイメージを新たに「再創造」する機能があるように思われ る 。そ う し た 観 点 か ら モ ニ ュ メ ン ト を 論 じ る こ と は 文 学 研 究 に と っ て 有 意義なことではないだろうか。
このような問題意識のもと、本ワークショップではおもにエミール・ゾ ラ( 1 8 4 0 - 1 9 0 2 )の 作 品 を 取 り 上 げ 、モ ニ ュ メ ン ト を め ぐ る「 記 憶 」の 文 学 的「 再 創 造 」に つ い て 検 討 し た い 。福 田 は 、ゾ ラ の 描 い た 第 二 帝 政 期 を 特 徴 づ け る 祝 祭 空 間 と し て 、パ リ・オ ペ ラ 座 の 担 っ た 役 割 を 考 え る 。中 村 は 、 都 市 の 描 写 に 描 き 込 ま れ た 建 造 物 の ア ナ ク ロ ニ ズ ム を 、『 愛 の 一 ペ ー ジ 』( 1 8 7 8 ) を 中 心 に 考 察 す る 。 高 橋 は 、 ゾ ラ の 写 真 、『 ル ル ド 』 ( 1 8 9 4 ) と 『 パ リ 』( 1 8 9 8 ) か ら 浮 か び 上 が る 作 家 の 意 識 を 同 時 代 の モ ニュメントとの関連から論ずる。田中は、ゾラの『ローマ』(1896)におけ るモニュメントの表 象とイデオロギーの関係性を問題にする。
このワークショップでは、ワークショップ本来の形態である「全員参加 型の作業」によってモニュメント研究の可能性を探りたいと考えている。 具 体 的 に は 、あ ら か じ め 参 加 者 に 質 問 票 を 配 布 し 、各 パ ネ リ ス ト が 発 表 で 問 題 提 起 を し た 後 、質 問 票 の 回 答 を も と に 、参 加 者 か ら そ れ ぞ れ の 研 究 分 野 の 知 識 を 提 供 し て い た だ き な が ら 、発 表 者 と 参 加 者 に よ る 双 方向的なディスカッションを行いたい。
ワークショップ3(B253講義室)
ボードレール/バンヴェニスト ―詩学と言語学のはざまで―
コーディネーター:中島淑恵(富山大学) パネリスト:廣田大地(神戸大学)、阿部宏(東北大学)、 吉村和明(上智大学)
エ ミ ー ル ・ バ ン ヴ ェ ニ ス ト は 、詩 的 言 語 の あ り よ う を『 悪 の 華 』の 随 所 に 観 察 し 、 数 多 く の 手 稿 を 残 し て い る 。 本 ワ ー ク シ ョ ッ プ で は 、『 悪 の 華 』 の テ ク ス ト と バ ン ヴ ェ ニ ス ト の 手 稿 を 対 比 さ せ る こ と に よ っ て 、『 悪 の華』の詩学を巡る諸問題について、様々な角度から考察を試みる。こ の 試 み が 、文 学 的 言 語 に 言 及 す る の は 一 種 の 禁 じ 手 と 見 做 さ れ か ね な い言語学的な立場からも、有機的な総体としての「作品」を言語学的に 腑分けすることに抵抗を感じがちな詩的・文学的な立場からもひとまず 自由になって、手稿の中で『 悪の華』に虚心に対 峙しているように思え るバンヴェニストの知的興奮を追体 験しながら議論を深める機 会とな れば幸いである。また、なぜそれは他の詩人や作品ではなくボードレー ルの『悪の華』であったのか、また、なぜこれらの論 考は未発 表にとど まったのか、という謎についても検討することにしたい。
廣 田 は 、手 稿 作 成 時 に 用 い ら れ た の が『 悪 の 華 』の ど の 版 で あ る の か を特定し、その版に寄せられているボヌフォワの序文がバンヴェニスト に及ぼした影響について検討する。
阿 部 は 、バ ン ヴ ェ ニ ス ト の 言 語 観 の 根 幹 に あ る( 間 )主 観 性 が 、こ の 手稿群にどのようにあらわれているか。特に、時制の解釈に注目して考 察を行う。
吉 村 は 、ボ ー ド レ ー ル 的 な 詩 の 特 質 を 示 す キ ー ワ ー ド と し て バ ン ヴ ェ ニ ス ト が 注 目 す る い く つ か の 言 葉 ( 「 内 面 」 、「 深 さ 」 、「 現 実 ( 真 実 ) 」 など)を手がかりに、彼のなかで「詩」という特異な言語活動がもちうる 意味について考える。
中島は、バンヴェニストが『悪の華』について指摘しているエモーショ ナルな表現が、詩的言語の形成にどのように関与しているかについて検 討を加える。
研究会 10月25日(土)10:00-12:00
253講義室
自然主義文学研究会
B201講義室
日本ジョルジュ・サンド研究会