西尾治子 のブログ Blog Haruko Nishio:ジョルジュ・サンド George Sand

日本G・サンド研究会・仏文学/女性文学/ジェンダー研究
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サンドの作品における変装:アイデンティティの領域への挑戦

2011年11月01日 | サンド研究
―変装、アイデンティティの領域への挑戦ー

 広辞苑やオックスフォード大英辞典は、「変装」を「別人にみせかけるために風貌や服装などを変えること。またその変えた姿」と定義している。 他方、「変装」や「仮面」の概念に関しては、特に英米の研究者たちの間で盛んに研究されている。おもに権力とジェンダーの観点から捉えられることが多いが、アイデンティティの観点からは「変装」を次のように定義している。

「自己のアイデンティティを問い、自己を定義し、あるいは自己を破壊する道具として文学で使われる共通の手法である」

 サンドの創作作品に現れる「変装」の定義は、まさに英米研究が根底をなすと指摘する上記の定義に最も当てはまると思われる。

 サンドには自己のアイデンティティについて自問せざるを得ない二つの理由があった。第一の理由は、サンドが幼少の頃に女子教育ではなく男子の教育を受けて育ったことである。父親の家庭教師であったデシャルトルは、教え子の不慮の落馬事故の後もノアンの館に留まり、幼いオロールの教育の任にあたったが、彼はオロールに男の子の装いをさせ、当時の男子教育を施したのだった。

 第二の理由は自身の出自にある。サンド自身が「私は二つの階層に跨っている」と記しているように、その家系を辿れば、父方はポーランド王家に遡る貴族の出であるのに対し、母方の祖先は民衆の血をひく貧しいセーヌ河岸の小鳥売りに過ぎなかった。

 自分の中に流れる男性性と女性性の血、貴族階層と民衆階層の血、このような相反する二つの血の乗数を前に、サンドは自らのアイデンティティの混乱に直面し、自己とは何かについて自問せざるを得なかったに違いない。そして、この作家の人生を浸食し、支配し、自己破壊に追いやろうとする相反する二律背反の現実が、サンドの創作のエネルギーの源となったといっても過言ではないだろう。


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サンドの娘時代の読書

2011年11月01日 | サンド研究
読書の秋。サンドは娘時代にどのような本を読んでいたのでしょうか。
パリの女子修道院から戻ってから、サンドは祖母の看病をしながら様々な読書に耽りました。
その頃、次のような作家の本を読んだとサンドは『我が生涯の記』に記しています。

-ブレーズ・パスカル(哲学者 数学家) 代表作:『パンセ』
「人間は考える葦である」「パスカルの三角形」Traité du triangle arithmétique(1655年発表)で知られる。

-ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(哲学者・数学者)
「モナドロジー(単子論)」「予定調和説」を提唱。その研究は、哲学や形而上学の範囲にとどまらず、論理学、記号学、心理学、数学、自然科学などの極めて広い領域に広がっている。

-シャルル=ルイ・ド・モンテスキュー(哲学者・政治思想家)
『ローマ人盛衰原因論』1734年、『法の精神』1748年

-プブリウス・ヴェルギリウス・マロ (古代ローマ詩人)
牧歌』『農耕詩』『アエネイス』の3つの叙情詩及び叙事詩.ヨーロッパ文学史上、ラテン文学において最も重視される詩人.

-ダンテ・アリギエーリ(イタリアの都市国家フィレンツェ生まれの詩人、哲学者、政治家)
『神曲』イタリア文学最大の詩人とされ、ルネサンスの先蹤ともいわれる。

-ウィリアム・シェイクスピア(イギリスの劇作家、詩人)
四大悲劇『ハムレット』、『マクベス』、『オセロ』、『リア王』をはじめ、『ロミオとジュリエット』、『ヴェニスの商人』、『夏の夜の夢』、『ジュリアス・シーザー』など多くの傑作を残した。『ヴィーナスとアドーニス』のような物語詩もあり、特に『ソネット集』は今日でも最高の詩編の一つとみなされている。

-ジャン=ジャック・ルソー(1712年6月28日 - 1778年7月2日)
スイス生まれの啓蒙主義の哲学者・政治思想家・教育思想家。
日本の童謡の「むすんでひらいて」となっている原曲を作曲した音楽家でもあり、オペラバレエ、クラリネット二重奏曲、軍隊行進曲なども作曲している。
『学問芸術論』『人間不平等起源論』『言語起源論』『社会契約論』『エミール または教育について』  『告白』『孤独な散歩者の夢想』『百科全書』(共同執筆。代表編集者はディドロとジャン・ル・ロン・ダランベール) このほか、幕間劇『村の占い師』など
ルソーの著作は当時から広く読まれ、フランス革命やそれ以降の社会思想にも多大な精神的影響を及ぼした。

祖父母の友人でもあったルソーについて、サンドは「ルソーの娘」を自称し、その思想は「モーツアルトのように心地よく響いた」と書き残している。








 

コメント (2)
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