寂聴文学塾第九回は芥川龍之介です。
龍之介の母親は、彼が生後7ヶ月の時に発狂したそうです。
龍之介は親戚の家に預けられて育てられました。
その家の名字が芥川であり、元々の名前は違います。
彼は超秀才だったらしい。
鴎外もそうですが、明治の文豪はみな学業の成績優秀でした。
20歳代で小説を書き始め、漱石に褒められてたいそう喜んだとか。
「鼻」を取り上げて解説していました。
彼は現実にはありそうにないことを書き、しかし現実世界に生きる読者の心を見事に描き出しているそうです。
それが真実だから、100年立っても読み継がれていると。
当時、作家の菊池寛が文藝春秋を創刊しました。
龍之介は菊池寛に認められかわいがられました。
その縁もあって「芥川賞」が創設されたそうです。
菊池寛に逆らうと作家として生きていく道を閉ざされました。
寂聴さんの師匠の今東光氏がその代表例。
彼は作家の道をたたれ、京都で出家しました。
後年、菊池寛がなくなったので作家活動を再開し、直木賞作家になりました。
順風満帆に見えた龍之介の人生でしたが、33歳の時に精神衰弱を煩い、幻覚症状などが出現し不眠症に悩まされるようになりました。
そして睡眠薬を多量服薬して自宅でなくなりました。享年35歳。
昭和後半に活躍した指揮者の芥川也寸志さんは三男坊です。
龍之介の母親は、彼が生後7ヶ月の時に発狂したそうです。
龍之介は親戚の家に預けられて育てられました。
その家の名字が芥川であり、元々の名前は違います。
彼は超秀才だったらしい。
鴎外もそうですが、明治の文豪はみな学業の成績優秀でした。
20歳代で小説を書き始め、漱石に褒められてたいそう喜んだとか。
「鼻」を取り上げて解説していました。
彼は現実にはありそうにないことを書き、しかし現実世界に生きる読者の心を見事に描き出しているそうです。
それが真実だから、100年立っても読み継がれていると。
当時、作家の菊池寛が文藝春秋を創刊しました。
龍之介は菊池寛に認められかわいがられました。
その縁もあって「芥川賞」が創設されたそうです。
菊池寛に逆らうと作家として生きていく道を閉ざされました。
寂聴さんの師匠の今東光氏がその代表例。
彼は作家の道をたたれ、京都で出家しました。
後年、菊池寛がなくなったので作家活動を再開し、直木賞作家になりました。
順風満帆に見えた龍之介の人生でしたが、33歳の時に精神衰弱を煩い、幻覚症状などが出現し不眠症に悩まされるようになりました。
そして睡眠薬を多量服薬して自宅でなくなりました。享年35歳。
昭和後半に活躍した指揮者の芥川也寸志さんは三男坊です。