
2度めのネパールの山旅、エベレスト街道をいつも一緒歩いてくれた、少年?青年と僧院でき念写真を・・・
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ネパールでの地震災害はあまりにも大きく、想像もできぬほどのようだ、電波状況の悪さやいろんな事情でいまだに安否不明の場所も多いようだ、日本の救援隊もやっと活動が出来るようになったが、あまりにも大きな災害で、上手く機能を発揮できているのだろうか・・・
今の私には何もできないもどかしさが募る。
思えば、はじめて、ネパールに行ったのは25年以上前になる、23日間だったか?アンナプルナ南峰8000m?のベースキャンプまでのトレッキングコースだった。
確か、3度目の海外の旅だったろうか?
バンコクを経由して、ネパールの飛行場についたのは確か、夜も遅い時間だった、、街明かりはほとんどなかったと記憶している。
飛行機を降りて、まず、驚いたのは小さな子(5~6歳?)が我々の荷物をいきなりつかむ、その子たちを大人が、大声で怒鳴りながら、追い払う、異常な光景に驚いて、ちょっと怖くなったのを記憶している。
カトマンズのホテルへの向かう車の中から見る街は真っ暗の闇の中を走って、それでいて、歩いてる人々の眼だけが光る、私にはまさに初めての体験で異様な世界に来てしまった事の不安感が募った記憶!
カトマンズからポカラへのプロペラ機の機内の空気の薄さにやたら眠くて、周りの人たちを観たら殆どの人が眠っていた、あの事も異常な体験だった。
ポカラに無事つき、もう忘れてしまった村の名前だけど、トレッキングが始まるまでの車の中は笛や太鼓、歌で大歓迎してくれたネパールのスタッフの陽気さに戸惑いながらの驚き。
そして、はじめてのランチで、牛のふんや真っ黒になるほどのハエの大群!何よりも耐え難い「田舎の香水」のにおい、どうしても、食事が出来なかった思い出!
あの時は、本当に「今ここにいる事、ネパールに来たことを後悔したものです」
ですが人間とは、私はですが、「慣れる、順応する」ことが得意だったようで、何日か歩いているうちに<ハエ>も<におい>も気にならなくて、むしろ、素晴らしい風景の中で食事が出来る事を楽しんでいる自分に気づきました。
あのはじめてのネパールの山旅が私をより山への思いを深くして、のめりこんでいったようです。
それからの私はひたすら、山登り、岩登り、雪山へとどんどん深みにはまって行きました。
山を登るために働き、お金を作る事の繰り返しで、寝る間も惜しんで突っ走った人生!
結果的に無理を重ねてきた体には限界がくるもの・・・
数えきれない思い出が、ダイヤモンドの輝きとなって輝いてる、幸せな人生だと感謝しています。
ネパールの一日も早く平安をとりもどせる事を願い、祈りながら・・・
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読み返しが出来ないのでおかしな部分があるかもしれませんがお許しを!