あまりに時が過ぎて行ったけど、私にも成人の日はありましたよ確か1964年だったかしら?もちろん、その頃は成人式なんてあったのかどうか、けれど、だいぶ時間が過ぎたころ文京区から成人のお祝いだったのかはがきだったか?送られてきた思い出があります。
あの頃は成人の日も、前の東京オリンピックの開会式の日もお仕事頑張っていましたよ、ただ前を向いて働いていました、無我夢中で働くのが当たり前でした、誰も振袖も買ってくれないし、自分では買えるはずもなく、又それほど振袖を着たいとも考えてもいなかった、たぶん、あの頃の若者は一部の裕福な家庭以外の多くは自立してただ一生懸命働き、小さな夢や希望を持って頑張った。もちろん理不尽なことも残酷な事も突然やってくるし、絶望的な思いになったことも何度もありましたよ、けれど、そのたびに自分を奮い立たせて全力で生き乗り越えた気がします。
(戦争を体験し、又戦後の残酷な世をみて、その後を頑張った人たちがこの国の平和をつくり経済の豊かさをつくった人々の存在を無駄にしないでください)
今を生きる若者たちへお願いがあります、今の日本は平和で暮らせて本当に幸せなことなのです「どこかのおばかなお大将が核のボタンを押すと」世界中が地球がどうなるのか、どうなってしまうのか、想像してみて下さい、そんな想像力が働けば、今のコロナの怖さや間接的に誰かを苦しめたり、言葉にもしたくないけれど誰かを死に追いやるきっかけになっているのかもしれないのだと想像してみて下さい。
願わくば政治家がもう少し国民の側に寄り添ってくれたなら、これからの未来を背負い生きる若者や子供の世が平和で日本で暮らせて幸せだと思えることが誇りとなりコロナにうち勝った人間として明るく未来を希望を持って暮らせますように祈りながら・・・