
ここで使用している絵、吉永小百合さんを描いたものです。
不鮮明なのは、これを撮った携帯電話のカメラの性能故で
あって、決して意図的なものではありません。念のため。
30代に入って間もない頃に描いたと思うのですが、勿論
のことながら、天下の小百合さまが僕なんぞのモデルに
なってくれる筈はなく、写真をもとに描いた絵です。油彩の
ように見えますが、パステル画です。
「なぜ吉永小百合?」
「はい、僕がサユリストの端っくれ、ということもありますが、
小百合さん、『幕末』という映画で、お龍を演じているのです。
それよりも少し後の写真だと思いますが、似たような感じ
だったので、使わせてもらおうかな、なんて思ったもんです
から」
「チアキストだのサユリストだの、気が多いね」
「はい、何せ大森、それも第一ですから、『木』が多い」
お後がよろしいようで。
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このページのコメントも大分嵩みました。ざっと眺める
にも大変です。
で、新たな「つぶやきの部屋3」を設けることにしました。
して時間かせぎをすること)が功を奏したのかどうか分かり
ませんが、漢字が廃れることはなく、昭和56年(1981)には
常用漢字が当用漢字にとって代わり、それまでの使用の
「制限」から、一般の社会生活において使用する「目安」と
して、より現実的なものに生まれ変わりました。
そして義務教育では常用漢字1945字(現在も追加・変更
が行われていますので、この文字数は若干変動していますが)
を学習することになり、少しだけ負担が増したことになります。
もっとも、パソコンやケータイの普及によって、漢字変換が
簡単に行えるようになったので、常用漢字か否かは余り意識
することは無くなりました。
JISの第二水準には、常用漢字の他に、人名用漢字なども
含まれているため、「」などの表記が可能なわけです。
それにしても実兄の宍戸錠といい、「金」が好きだった
のですね、二人のご両親は。
新聞などのマスコミで当用漢字しか使用していなかった
(「拉致」は「ら致」など、かな交じりであった)のが、
水俣公害訴訟で、その運動の旗印に使用された「怨」の
一文字が、当用漢字でなかったにも関わらず、その被害者
たちの気持ちを直截訴え伝えるものとして用いざるを得な
くなり、それが呪縛から解き放たれる契機になったといい
ます。
同じ「うらみ」でも、当用漢字にある「恨」では、例えば
「長恨歌」のように、自己に向けられたものになってしま
います。相手に対して向けられるものは「怨」でなければ
ならないわけです。ウラメシヤ~
当用漢字を学校で学んだわけですが、1850字しか無か
ったので、覚えるのには楽でしたが、小説などを読むとき
には難儀しましたし、「梅雨」のように音だけが同じバイ
に「梅」を当てられても、その意味を理解するのに戸惑い
を覚えたものです。
もともと「当用」には、「当面使用する」という意味が
含まれていて、いずれは漢字の全廃が考えられていたという
のですから、いくらGHQの占領政策とはいえ、漢字の
使用が軍国主義につながるなど、一部の有識者の妄言は
日本文化の破壊者としか言いようがありません。
JIS第二水準の漢字になります。
コンピュータはもともと米国で開発されたものですから、
扱う文字は英・数・記号などの少ない文字で済みました
ので、1バイト(8ビット)の情報量(0~255)で
一文字一文字を識別(コード化)することができました。
当初は、予め漢字などが印刷された定型帳票に上記文字
だけを印字すればよかったのですが、そのうちに日本語を
コンピュータでも扱えるようにとの要望が強まり、その
規格が取り決められました。
漢字は種類が豊富ですから、1バイトでは識別できない
ので、2バイトを使用しています。
なぜ第一水準と第二水準に分けられたかというと、専用の
ワープロ機など、当初は漢字専用のROM(漢字の一文字
一文字を24×24の升目にドットでパターン配列したもので、
24×24=576ビット、つまり72バイトが漢字ごとに必要に
なります。それらを当時は未だ高価であった読み出し専用の
記憶装置に収納していた)を使用していたので、そのコスト
を抑える目的から、よく使用する漢字だけを第一水準として
取り入れたためです。
「BSエンターテインメント歌伝説 ちあきなおみ・歌のカタログ」
という矢鱈に長いタイトルのもの。
4年前(h17.11)に放送されたとき(「歌伝説 ちあきなおみの世界」)
は90分の内容でしたから、それに15分のおまけが付いたものになって
いるようです。どんなおまけなのかな~、楽しみです。
「歌伝説 ちあきなおみの世界」をご覧になっていない方、今回は
お見逃し無く。
ついで、11月21日(土)、BS2で午後9:00~午後10:59に放送される
「BSまるごと大全集 ちあきなおみ」。
こちらは生放送で、視聴者からの便り(FAX/ハガキ/封書)を紹介して、
その曲(映像)を流すというものです。もっとも予め編成済みであって、
それにフィットする便りを紹介するのですが・・・
「喝采」「四つのお願い」「X+Y=LOVE」といった初期の歌
しかご存じでない方、カツ(「舌」に「りっとう」)目してご覧くだ
さいね。
ちあきなおみさんの番組が2週連続で放送されます。
歌唱力とたぐいまれなるその表現力で多くのファンを魅了した
歌手、ちあきなおみ。突然の活動休止からすでに17年になるが、
毎年のようにベスト版が発売されるなど、その人気は衰えること
を知らない。独自の輝きを放ち、強烈な印象を与えるちあきなおみ
は、ドラマ、映画、舞台にも出演し、役者としての評価も高かった。
番組では、NHKの豊富な過去の歌唱映像などを中心に、関係者の
声も加え、その魅力あますところなく紹介する。
上記はNHKの番宣ですが、突然の活動休止というのは、旦那さんの
郷エイ(「金」偏に「英」)治が亡くなって(1992.9)から一切の芸能
活動を絶ったことを指しています。
去り行ける君に捧げん
この貝はこぞ(去年)の浜辺に
われ独り拾いし貝よ
ほのぼのと薄紅染むるは
わが燃ゆるさみし血潮よ
はろばろと香る薫りは
君恋うる胸のさざなみ
ああなれど わが思いは儚く
うつしよ(現世)の渚に果てぬ
ご存じ「さくら貝の唄」です。
作詞は土屋花情ですが、そのもととなったのは、
作曲をした八洲(やじま)秀章の
わが恋の如く悲しや さくら貝
かたひらのみの さみしくありて
だそうです。
十八歳の盛りに散った恋人八重子に捧げたレクイエム
だったのでしょう。ちなみに八洲の「八」は八重子から
とったものです。
土屋は八洲の友人でしたから、その心情は痛いほどに
伝わってきたのでしょう。そしてこの名曲が誕生しました。
その内野龍馬、今度始まった「JIN-仁-」(TBS日曜劇場)
で見ることができます。
10/11の初回を見る限りにおいては、僕の見立てに間違いは無か
ったように思えます。
主役の大沢たかおを初めとして配役陣も豪華で、タイムスリップ
した文久2年(1862)の江戸の町並もCGやセットがよく出来ていて、
「本当に民放なの?」と思わせるほど、クオリティの高い作品に
仕上がっています。
毎週日曜日の夜9時からですので、興味ある方は是非ご覧ください。
初回を見逃してしまった?
大丈夫!10/18(日)の午後3時から(初回は2時間)再放送されます
ので、お見逃し無く。
*龍馬像は、司馬遼太郎の作り上げたものをそのまま踏襲している
のが、ちょっと残念かな。でもその方が分かり易いから仕方ない
けどね。
72歳になります。
誕生日は11月10日ですが、数えでは誕生した時点で1歳、
そして年の初め(元日)を迎えるごとに年を重ねて行きますので、
今年の元日に72歳になっていたからです。
先日旅立たれた大原麗子さんも、誕生日(11月13日、奇しく
も近いですね)を迎える前(8月3日)に亡くなっていますが、
満で62歳であっても、数えでは64歳になるわけです。
得したのか、損したのか、分かりませんが、大原麗子は明らかに
不満でしょうね。
「チョメチョメ」
「すこし愛して、なが~く愛して」
合掌。
のですが、「♪木の葉は騒ぐ風が吹く、おいらは風の子、風小僧、
ヒューヒューヒューヒュー、風を呼ぶんだ正義の風を、それ吹け
やれ吹け、どんと吹け」の方しか覚えていません。歌詞の内容
からして、第一部の方だと思うのですが。
第二部の方は一部だけ(紛らわしい!)覚えています。「♪・・・
あれは風、風、風小僧、山を丘を飛べ飛べ飛んで正義の風を吹き
起こせ」だったかな?
子供の頃、風の強い日によく口ずさんだものです。風の無いとき
にも、この歌を歌うと風が巻き起こるように思ったりしたもので
す。(僕らの親の世代だと「♪どどどどどど・・・」で始まる風の
又三郎の歌になるのかしらん。)
ということになります。
第一部では、山城新伍は主役の目黒祐樹(小六)に風を自由
に操る術(風神の術)を教える準主役として出演していまし
たが、第二部では、成人した小六の役を演じています。
第一部でも山城新伍は主役を喰ってしまうカッコ好さでした
ので、表向きは目黒祐樹の中学進学が理由で第二部に切り替
わったことになっていますが、本当のところはその辺りにあ
ったのかも知れません。
僕も、山城新伍が全面的に活躍する第二部の方が断然好きで
したもの。
でも、よくよく考えてみると、同世代の目黒祐樹(S22年生)
や第二部で活躍する目方誠(後の美樹克彦、S23年生)に自
らを重ね合わせて観ていたのですね。そして彼らを護り助けて
くれる兄貴分としての山城新伍に憧れたのだと思います。
生前は毀誉褒貶の多かったひとでしたが、僕の子供の頃の
ヒーローのひとりであったことは確かで、「白馬童子」の
颯爽とした姿は今も目に焼きついています。
でも、僕が好きだったのは、その前作の「風小僧」という
番組でした。
北村寿夫の原作「紅孔雀」の登場人物である「風の小六」を
主人公にした物語で、第一部、第二部に分けて制作されまし
た。テレビ朝日が未だ日本教育テレビ(NET)と云って
いた時代の作品で、昭和34年の2月初めから12月末まで、
全部で48回放送された、東映のテレビ作品としての最初の
ものでした。(火曜日の午後7時からの30分番組でした。)
「若き日は 光にみてり
馨しき その夢つつみ
庭もなる 梢はしげる
年ごとに 緑もふかく」
「若い日は、陽射しを身一杯に浴びて←(連用形)
馨しい希望に満ちた夢を抱いて←
庭にも延びた梢に繁る若葉は
年を経るにしたがって色艶を増す」
このように解釈した方が良さそうですね。で、僕の望んだ「満てり」
は敢え無く反故。
「身照り」の場合には受動的なイメージになります。それで前者で
あれば好いのにな、と思っていたのですが・・・
「満てり」という言葉は、「満つ」という動詞の已然形(いぜんけい)
「満て」に、ある状態であること(・・・ている)を表す助詞「り」を
付けた文語ということになります。已然形は、もうそうなっている
状態を表すものですから、全体で「若い日は、自らが光彩を放ってい
る(状態にある)」となるわけです。
「身照り」の場合は、「照る」という動詞の連用形「照り」というこ
とになって、ここで一旦文を区切るような使い方か、もしくはこの言葉
に並置されるものが何処かに用意されるといった使い方になります。
ようですが、その作詞家が綱祐次と云うひとであることは、この稿を
起こすまで知りませんでした。卒業アルバムには載っていませんで
したからね。ちなみに作曲は宅孝二です。ユージ&コージ、まるで
漫才師のようなコンビによる作品ですが、文語調の歌詞は、中々に
格調高いものがあります。(それで、綱祐次氏についてインターネ
ットであれこれ調べてみたのですが、残念ながら、漢詩の詩人らし
いということしか分かりませんでした。)
就中、三番、四番は一段と格調高いですね。
僕は三番の歌詞が好きでしたが、最初の「若き日は光にみてり」に
は大いに悩んだものです。(「みてり」を何故ひらがなにしたんだ、
と恨んだものです。)
「満てり」なのか、それとも「身照り」なんだろか、とね。
いるようで、その疚しさを押し隠すためでしょう、日本も戦
時中はこれだけの非人道的なことをしたのだ(そんな国に原
爆を落すのは国際的な見地からすれば、極めて人道的なこと
なのだ)と、南京大虐殺や従軍慰安婦の強制的連行といった
在りもしなかったことを見て見ぬ振りをするどころか、自ら
が火付け役になったり、煽り立てたりしている次第です。
アメリカが正義の国だなんてことを信じているひとは最早存
在しないと思うのですが、「力=正義」という力学だけは
古今東西変わらない真実で、この力学が有効である限り、い
くら削減や拡散防止を訴えようとも、掛け声だけで終わるの
は目に見えているわけです。
悲しいけれど、これが現実なのです。
核兵器削減をオバマ大統領は声高にのたまっていますが、
日本への謝罪どころか悔みの言葉すら未だに(歴代の大統
領から)一言もなされていません。
核兵器の開発競争が行われる切っ掛けとなったのが、広島、
長崎への原爆投下であったことは言を俟ちません。
アメリカは、平気で原爆を落す国だ。そんな国と対峙して
いるソ連、中国といった共産国にとっては一大事。遅れて
はならじと、原爆や水爆をせっせせっせと造る。なるべく
相手よりも多く保有しようとする。敵対する国が原爆を保
有したら、こちらもという具合にあちこちへ拡散。
それでもアメリカは、過ちを認めるどころか、国民の6割が
日本への原爆投下を当然のことであったと思っているそうで
す。
られて、求刑に近い懲役15年の判決になったようです。決して情
状酌量が認められたわけではありません。過去の判例に照らして、
ということなのでしょう。
それにしても、ひと一人の命を奪って、懲役15年という刑が妥当
なものなのでしょうか。模範囚であれば、もっと少ない刑期で出所
することもあります。裁判員制度で最も期待していたのは、刑期を
も決められるという点でしたが、当分は過去の判例に照らしてと云
うことになりそうですし、しかも今回のようなお仕着せの裁判劇を
見せ付けられると、一変に意欲を殺がれてしまったのは僕だけでは
ないように思うのですが・・・
被告がサバイバルナイフを手にして、「ぶっ殺す」と云った。被害
者は、ただの脅しと見て、何か(例えば「そんな脅しにゃ乗らない
よ」)と云った。それが発火点となって、被告は被害者にナイフを
突き立てた。そのときに被害者は被告を顎や肩を手で跳ね除けよう
とした。被告は後ろに倒れ込んだが、すぐに立ち上がって再び被害
者にナイフを向けた。それを見た被害者が「助けて」と叫んだ。
その直後、被告は被害者を再び刺した。
これならば、初めから殺意があったということになります。おそら
く、こちらが真相なのでしょう。
cmちょっともある大振りなものです。大の男でさえ、身構えるで
しょう。
それなのに、ナイフを持つその手に掴みかかることもせずに、被告
の顎や肩を押したというのですから、大胆を通り越して、正気を失
ったとしか思えない被害者の行動になってしまいます。
それに、被害者の「助けて」と叫ぶ声だけでなく、被告の「ぶっ殺
す」と云う声も、近隣住民が聞いたと証言しています。被害者が被
告の顎や肩を押しながら「助けて」と叫ぶ筈は無く、弾みでナイフ
が刺さったときに「助けて」と被害者は叫び、加害者は後ろによろ
めきながら「ぶっ殺す」とわめいたというのでしょうか。
押し倒されたのは間違いないですか」に対して、その通りとしたも
のの、「被害者が刺されたのは倒れる前?」に対して、「えーと、
倒れる前。その前にあごをやられたので」と実際にその様子を被告
が再現までして見せたのは、俗に云う「語るに落ちる」です。
つまり、「被告がナイフをちらつかせているにもかかわらず、被害
者は果敢にも被告のあごをつかんで、押し倒そうとした、そのとき
にもつれ合って、刺すつもりなんて無かったのに、ナイフが勝手に
刺さってしまった。それも、被害者に押されて仰け反ったときに刺
さってしまった。被告は押された勢いで尻餅をつくなど押し倒され
た」と云うのです。
弁護側は当初から、被告はナイフをちらつかせただけなのに、被害
者がつかみかかろうとしたので、誤って刺さってしまったと、突発
的に起きた事件だと主張していました。
被告人質問では、被告は「被害女性にあごや肩を押され、のけぞり
ながら刺した」と、捜査段階の供述で全く触れなかったことを証言
しました。弁護士の主張するシナリオ通りのことが述べられたわけ
です。(光市の母子殺害事件もそうですが、弁護士の人倫、どうな
っちゃってるのでしょうか。ますますアメリカナイズされてきてい
るように思うのは僕だけ?)
検察側の、なぜ今頃になって話すのか、という尋問に対して被告は、
被害者遺族が死刑にしろと云っているから(このままでは死刑にさ
れるから)云わなければならないと思った、と答えています。
変な話ですよね。被告は事件直後は、犯行を素直に認め、極刑も止
むを得ずとしていたのにです。覚悟の上の犯行だったと思うのです
が、それが弁護士が関わってきて、日が経つにつれて、助かりたい
という人間本来の本能が頭をもたげて来た、としか思えないのです。
すか」と訊くと、「脅したら私の話に納得してくれるかと」と被告
は答えていますが、ナイフなどの凶器を持ち出すのは、相手が自分
よりも手強いと感じたときだと思うのですが、被害者は女性であり、
しかも66歳です。72歳とは云え、被告は男性ですし、そもそも
刃物をちらつかせさえすれば、「気の強い」被害者でも簡単に折れ
ると思ったのでしょうか。
その場は引っ込んだとしても、後で恐喝で訴えられることになるの
は必至です。被告がサバイバルナイフを取り出して脅すことを冷静
に考えたのだとするなら、そういった考えにも至る筈で、得策でな
いことに気付く筈です。
そういったことにも考えが至らないほど、冷静さを失っていたので
あれば、前述したように、包丁などを凶器に使用すると思うのです。
「ナイフはお譲さんの大切な遺品なのに、なぜ?」の質問に対して、
「刃物だからタンスにしまう物でもないし、価値のある物でないと
思った」と被告は答えています。つまり、タンスに仕舞ってあった
ものを取り出して使用したということなのです。
普通、頭に血が上って前後の見境がつかなくなったときには、手近
にあるもの、例えば台所にある包丁を持ち出すと思うのです。わざ
わざタンスからサバイバルナイフを取り出したのは、普段からそれ
が頭の中にあったからとしか思えません。いざと言う時にはこれを
使ってやろうとの強い思いがなければ、そういった行動は取らない
と思うのです。
母親(と被告)のことを「気も言葉も強い」「しょっちゅう喧嘩
していた」と話したということですし、当日110番通報をした
近所の男性も「気の強い人」で、植木やバイクを道に出していた
ことから被告とはトラブルを起こしていたと証言していますので、
その原因の一端が被害者側にも認められるものの、普通は殺人に
まで発展するものではありません。被告にそれを惹き起こすだけ
の特有の性格があったことは否めません。
検察側は求刑懲役16年、被害者遺族は死刑や無期懲役が叶
わないとしても最低でも懲役20年にして欲しいとのことで
したが、言い渡されたのは懲役15年でした。
検察側の求刑よりも量刑が少なかったのは、被告への情状酌量
が認められたからなのでしょうか。
そこで僕なりの見解を少々。
情状酌量の余地が有るや無しやということは、
①犯行に駆り立てるだけのものが被害者側にもあった
②サバイバルナイフは飽くまでも相手を脅すためのものであり、
当初から殺意は抱いておらず、突発的に起こった犯行である
を認めるか認めないか、ということだと思うのです。
るものに書き改めます。抜粋になっていますが、お許しください。
龍馬を巡る三人の女性をあれこれ書きましたが、お龍について訂正
したいと思う箇所(西村松兵衛との馴れ初めについて)があります。
「お龍」が通り名となっていますが、この名だと何かと紛らわしい
と思ったのでしょう、龍馬は一緒になってから「鞆」(とも)と変
えさせています。
その鞆が、「つる」として、しかも9つも鯖を読んで入籍したのに
は何かわけがある筈です。
もしも、末妹(君江、11歳下)の旦那である菅野覚兵衛の紹介で
西村松兵衛と知り合ったのであるならば、上記の様なことにはなら
なかったと思いますし、菅野に世話になっているのが嫌になって、
横須賀にいる次妹(光枝、7歳下)を頼って行ったときに、既に
松兵衛と馴染みになっていたとするのも、光枝よりも年下というの
では歳がバレてしまいますから、有り得ないように思います。
おそらく、光枝のところへ行ってからなのか、それとも途中で路銀を
使い果たしたからなのか分かりませんが、神奈川宿で仲居として働い
ていたときに、客として遣って来た松兵衛と懇意になったのだと思う
のです。
そこで松兵衛より5つも年上とは云えなかったのでしょう。ついでに
源氏名というのではありませんが、仲居のときの名前をそのまま本名
として松兵衛に告げたのではないでしょうか。
松兵衛は、背がすらりと高く、ちょっと好い男だったと云いますから、
女心の為せる業だったに違いありません。
の八月まで江戸に留まったのは、日米通商条約の調印までの
成り行きを見届けたかったこともあると思いますが、越前の
松平春嶽に献策した自分のアイデアの成り行きも見守っていた
からだと思います。(残念ながら、七月、不時登城の咎で春嶽
は謹慎処分を受けてしまいます。)
*通説では、龍馬が春嶽に初めて謁見したのは、脱藩後の文久
二年閏八月頃とされていますが、実はこのときが最初です。
越前藩の正式な記録は、春嶽が政事総裁職に就いた文久二年
七月以降のものしか残っていないため、誤解されて世に伝わっ
たようですが、その後新たに見つかった手紙や例の薙刀の目録
から推察すると、このときに謁見していることは確かだと思い
ます。
龍馬の身の上にも千葉佐那との縁談話もあったりして、何かと
ゴタゴタしていて、八月までは帰るに帰れなかったのです。
が藩士に対して「臨時御用」と称する軍役を課したのですが、
武市半平太も選ばれているのですが、居候の身である龍馬は
選ばれなかったのです。
しかし、龍馬は成り行きを見届けたかったのと、龍馬が土佐へ
戻ってから十二分に考え抜いたアイデアがあったので、それで
自費での遊学を願い出たのです。
初め武芸修行として届出しているのですが、武市半平太への
命令書の中に、軍役の間に剣術修行をするようにとの一文が
付け加えてあったのを(龍馬は半平太とは旧知の間柄です)
聞き知って、勝手知ったる桶町千葉道場での剣術修業にした方
が自由が利きそうだと考えたのだと思うのですが、届出を剣術
修行に変えて江戸に出たわけです。
思えるものに書き改めます。といっても、以前にどこかで述べ
ましたように、そこだけを書き換えるわけには行かず、それ以
降を全て置き換えなければならないので大変に手間が掛かります。
そこで、関連するところだけを取り出して、手直しさせて頂く
ことにしました。(ご免なさいね。)
龍馬の二度の江戸行きについてですが、二度とも剣術修行では
なく武芸修行のための出府であることに間違いはないのですが、
ともに「軍役を兼ねて」というところが違っていました。
どちらも自費による遊学(龍馬は居候の身ですが、坂本家は
郷士で、父八平の禄は十石五斗と微禄でしたが、百九十七石の
領地を持っていたので、わりと裕福な家柄でした)であって、
最初の嘉永六年のときは、江戸到着後すぐにペリー来航があっ
たものですから、その備えに駆り出されたものの、九月に一度
免ぜられたようです。そのときに任に当たった場所は、海岸線
防備ということからやはり立会川の下屋敷だったように思います。
そして、当初予定していた佐久間象山の西洋砲術塾への入門が
十二月まで遅れているところをみると、任を解かれても、暫ら
くは待機状態におかれていたように思うのです。
それで十一月の浜川砲台構築のときにも再び駆り出されて、任
に当たったのだと思います。
シンクロは結局メダルには届かなかったですね。
今から8年前の福岡大会では、デュエットで金メダル
まで獲ったというのに。
そのとき、チームは銀メダルだったのですが、その銀
メダル、実際にこの手にしたことがあります。
メンバーの一人、川嶋奈緒子さんのメダルなのですが、
といっても僕が彼女の知り合いというわけではなくて、
彼女が通っていた新宿のトレーニングセンター、そこの
トレーナーにメダルを見せに来たときに、たまたま僕が
居合わせただけのことで、僕がそのトレーナーと知り合
いだったので、お相伴に預かったわけです。
意外と大きいのです。よく覚えていないのですが、全面
が銀色ではなくて、内側に黒色(漆?)の同心円があって、
そこに金で何か模様が描かれてあったように思います。
でも、その重さだけは今もたなごころが覚えています。
理学部応用化学科の中井泉教授で、一昨日(7/18)の日テレ「世
界一受けたい授業」でも、「目に見えない証拠を探せ!あなたの
知らない科学捜査の最前線」と題して、食品の産地偽装などを放
射光を利用したポータブル分析装置で見破っていました。
あのポータブル分析装置、米国製で、500万円もするそうです。
でも、それまでは実験室に検体を持ち込まなければ鑑定できなか
ったものが、どこでも簡単に(しかも検体を非破壊で)調べること
ができるようになったのですから、持ち出しが困難な国宝だとか
重文だとかいったものや出土品など、考古学にも科学的な光を当
てることが可能になりました。(中井教授は、ガラス製品の成分
をもとに、その流通ルートが陸のシルクロードの他に海のシルク
ロードもあったことを実証しようとしています。)
分析装置がもっと小形で廉価になれば、一家に一台、奥様必携の
道具となって、あっちでピッ、こっちでピッ、産地偽装も無くなる
かも。
でも人物鑑定だけは、長い人生経験からくる目利きが必要なようで。
間近に迫った衆議院選挙、その目でピッ!その耳でピッ!(でも
口で「ピッ!」と云わないようにね)
の時期に製造した亜ヒ酸である」と鑑定されました。
それと、ヒ素は1度付着すると5ヶ月は残るそうで、林真須美の
右前頭部の毛髪からもヒ素が検出されました。髪を掻き揚げる癖
がアダになったわけです。
*真須美が別件で逮捕されたのが同年10月4日(12月9日
には本件で再逮捕)で、以後87日間勾留して取調べに当たっ
たそうですし、12月27日の新聞で亜ヒ酸の鑑定結果の報道
がなされていますので、この間に毛髪も調べたのだと思います。
であるならば、丁度事件当日が5ヶ月前に当たるわけです。
1審の和歌山地裁、2審の大阪高裁ともに死刑判決が出て、上告
していたのですが、今年の4月21日に最高裁で棄却、判決訂正
も5月18日付で棄却されたため、死刑が確定しました。
1審では完全黙秘、死刑判決が出て慌てたのか、2審では必死に
なって無罪を主張したそうです。
しかし動機については今もって不明です。それにしても100gもの
亜ヒ酸が混入されていたといいます。致死量は体重など個人差に
よって異なるようですが、平均して100mgだとすると1000人
を殺害できる量に相当します。
地域住民の冷たい態度への反感から起きた発作的犯行と看做され
ているようですが、意趣返しにしては、余りにも量が多いように
思います。
不純物の混じり具合に微妙な違いがあって、まるで指紋を鑑定
するように、異同識別が可能になるそうです。
そして四種類の重元素(スズ、アンチモン、ビスマス、モリブデン)
で、その同一性を調べたそうです。
*ヘリウム(He、原子番号4)から鉄(Fe、原子番号26)
までの軽元素は、恒星の中の核融合反応で作られるのですが、
鉄より重い重元素は、超新星爆発で生じた中性子を捕獲して
ベータ崩壊することによって作られるため、宇宙における存在
は著しく低いそうです。また、地球における分布にも特性が
あって、そのために物質にそれらがどのような割合で含まれて
いるか分析することで、産地を推定することが可能になります。
*アンチモン(Sb、原子番号51)とビスマス(Bi、原子
番号83)は、ヒ素(As、原子番号33)と同族元素(第15
族元素)で、化学的性質が似ているので、不純物として入りや
すい。モリブデン(Mo、原子番号42)とスズ(Sn、原子
番号50)は、より正確を期して選んだようです。(実際、
真須美の家にあった亜ヒ酸は、中国産だということが分かった
のですが、それはスズが含まれていたからで、メキシコ産のも
のには全く含まれていません。)
鑑定したのは、①調理鍋に残っていたカレー、②林真須美宅台所
のポリ容器、③現場付近から回収した紙コップ、④夫の林健治が
シロアリ駆除で使っていたドラム缶、から採取した亜ヒ酸です。
もうじき丸11年を迎えることになります。
状況証拠ばかりで、物的証拠が無くて、捜査が難行しそうに
なったときに行われたのが、「SPring(スプリング)8 」と
いう高エネルギー放射光を用いた蛍光X線分析でした。
*原理は、難しいので省略します。
カレー鍋にヒ素(亜ヒ酸)が混入されていたことは、早くから
分かっていたのですが、それが林真須美の家にあるものと同じ
かどうかを調べたわけです。
*ヒ素が一般的な呼び名ですが、正確にはヒ素(As)に
酸素(O)が結合した物質である亜ヒ酸(As2O3)。
*初めは青酸カリが疑われたのですが、亡くなられた4人が
約9時間から16時間の後に死に至っていることからも分かる
ように、亜ヒ酸には青酸カリのような即効性はありません。
それに青酸カリだと摂取して胃酸と反応するとアーモンド臭、
オレンジ臭、アンズ臭などの甘酸っぱい香りがしますが、
亜ヒ酸は無味無臭(さらさらとした白色粉末)です。
読み終えた後に深い感銘を残してくれるものではありません。(全二巻
で、各々税別で\1,800。お腹は一杯になるけど、しみじみと「美味しか
ったなぁ」と云えるような満足感は得られません。)
読んでいないひとにはチンプンカンプンでしょ。何せ、全編を通じて、
煌びやかな小道具や妖しげな呪文にも似た言葉や名称のオンパレードなの
ですから。
と、以上は200Q年の真夏の夜の夢での僕のたわ言。
今夜は雲が厚く懸かっています。そこにどんな月が潜んでいるのかしらん。
やはり別世界に引きずり込まれた「天吾」(もうひとりの主人公で同い
年の男性)という恋人がいるのです。そして「天吾」のいない世界など
考えられないとまで思っているのですから、元の世界への未練など一欠
片も持ち合わせていない「青豆」にとっては、不要な行いでしかありま
せん。
「青豆」が、そこで死を選ぶ必然性も無いのです。
「天吾」が、「リーダー」亡き後に、「リトルピープル」なる存在に
よって、その後釜に据えられることが暗示的に語られていますが、
「リトルピープル」が「レシバァ」(「リーダー」がそうであった)
を通じて、自らの思うがままの世界、それも望ましくない世界を紡ぎ
出そうと企んでいることを「リーダー」から聞き知った「青豆」だか
らこそ、「リーダー」を葬ったのですから、「天吾」がそうなりつつ
あることを感知して、対決する場面が必要なのです。
そこで「愛」と「死」という命題が展開されなければならないのです。
ヤナーチェックの「シンフォニエッタ」や「青豆」と「天吾」の(ET
のような)心の触れ合いなど、意味ありげな複線らしきものが張り巡ら
してあるのですが、それらがひとつことに集約されていくための必然的
事項になり得ていません。
そのためにも、やはり対決の場面が無くてはならないように思います。
されたスカスカのケーキのようなものかな。
村上ワールド、いくつかの綻びが見つかります。
物語の中では、1Q84年はパラレルワールドではない、線路の
ポイントが切り替えられたような別世界である、というような
ことを、その世界をよく知る「リーダー」に語らせていますが、
その別世界に移るまでに過ごしてきたそれまでの世界での人生と、
その別世界にそれまで暮らしてきた人々の人生があるわけで、
その両者を取り巻く社会環境に違いがあるのであれば、それは
パラレルワールドでしかないわけで、連続性を否定するのであれば
一睡での出来事でしかないということになります。
「青豆」という主人公のひとり(アラサーの女性)が、物語の終ろう
とするときに、自身が引きずり込まれたその別世界への入口のところ
(元の世界への出口に当たります)へ行って、それがあるか確かめる
場面が出てきますが、それはパラレルワールドの存在を認める行為で
あって、「青豆」自身が「リーダー」の言を信じていないということ
になり、その他の(リーダーの言葉を信じた)行いと矛盾することに
なります。
月が段々と小さくなっていっているらしいですね。餅を搗く役が
ネズミに取って代わられるのはいつ頃のことやら。
ところで、「1Q84」読みました?
月が二つ、普段私たちが目にしている白っぽい月と、その傍らに
寄り添う、ちょっといびつな形をした緑色の小さな月、その二つ
の月のある世界が1Q84年。
以下は、現在進行形で「1Q84」を読んでいるひと、これから
絶対に読んでやろうと心に決めているひと、そういったひとは決
して覗き見てはなりません。