「公共事業は無駄だ。利権だ」の一言でかたずけるのは、あまりにも荒削りな考えだ。私が一番、注目しているのは、もう手をつけてしまっている公共事業である。道路はともかく、橋やダムなどは、50%以上出来かかっているものは途中で止めてしまったりしては、そっちの方がよほど無駄である。%の正確な数字はわからない。まあ、10%なら、止めてもいいだろう。しかし、半分以上、手をつけてしまったものは完成させてしまわないと、その方がよっぽど無駄である。出来上がれば経済効果は多かれ少なかれ出るのだから。作りかけの物をぶっ壊したら、それこそ、それにかけた国民の税金の無駄使いである。ペットボトルと違って、鉄筋コンクリートはリサイクルは出来ないのである。民主党は党の人気保持やイメージなど国民の人気を求めるより、現実を見据えた事をして欲しい。民主党は自民党のやった事は、全て悪という感情主義におちいらないで欲しい。
インフルエンザが治りきっていないので今日は寝て過ごす。体調悪いと、書くどころか本もよく読めない。昨日、高橋是清の事をどっかの番組でやっていた。昭和二年の金融恐慌で銀行が倒産の危機におちいったのを、見せ金を大量に刷って預金者に見せる事によってパニックを防いだ。これくらいの大決断が出来る人はすごい。預金者は、当面使う予定がなくても銀行が倒産するのを怖れて、一挙に全員が引き出そうとするから、パニックになってまうのである。要するに精神的な不安であり、それが解消されればパニックは起こらない。当然、現代でも全く変わらない。信用のある経済学者の発言そのものが経済の動向に大きな影響を与えているのである。私は植草一秀先生の事件は、国策捜査ではないと思っていたし、今でも国策操作の線は薄いと個人的に思っている。事実を知っているのは国家権力の上の方である。しかし植草先生ほどの学識とテレビでの発言は経済にかなりの影響をおよぼした。とすると国策操作の可能性も否定は出来なくなってくる。マスコミも困ったものである。あふっているのは経済学者だけではない。マスコミがあふるから、国民がそれを信じて怖れ、財布の紐を固くして、そのため経済が活性化せず、それをまたマスコミが、経済好転の兆しなし、などと書くからますます不況がつづくのである。自分らが不況になるように加担しといて、他人事のように書くのだから、いい気なもんである。だからといって言論の自由は保障されねばならない。難しい所である。
私は日本という国が好きである。私が愛するのは日本人の茶色の瞳と黒い髪と黄色い肌と、島国根性のシャイな感性である。アメリカかぶれしている日本人も私は好きである。またどんなに日本を嫌ってアメリカかぶれしている日本人でも、幼少期を日本で育った人はmother tongue が、つまりは感性が日本人だから好きである。つまりは日本語が、そして日本の歴史、文化、伝統である。それらはこれからも大きくは変わらないだろう。仮に変わったとしても日本人の感性の根底までは容易にはかわらないだろう。それは戦後からの今までの日本人を見れば証明されている。そして私が好きなのは、日本語という言語であり、日本の町並み、自然である。天皇制も君が代も国旗もぶち壊しても別に私は何とも思わない。そんな事が仮に起こったとしても日本というものは存在し続けうるからだ。これが日本だけで独立してやっていけるのなら問題は起こらない。
問題は日本が世界の中で生きなくてはならないという現実の政治的問題である。海外の方が安い人件費なのだから企業は当然、海外に出て行き、国内の産業は空洞化し、失業者が増える。日米安全保障によって、またGHQの作った、お仕着せ、骨無し平和憲法のおかげで日本は、ちゃっかり高度経済成長をなしとげた。もし食料自給率100%で、その他、エネルギーなども外国に頼らずやっていけるのなら問題は起こらない。しかし現実はそうではない。私は日本の政府にも何も期待していないし、そもそも命をかけてまで日本を守ろうという気は、昔はあったが、今はない。しかし北挑戦がノドンを打ち込んできたら、むかつくから、やはり、その時には日本を守ろうという政治的な愛国心も生まれるかもしれない。しかし私が日本の何を愛するかといえは、それは精神的な日本の歴史、文化、伝統、町並み、自然、日本人の感性、同胞意識に対してである。私は日本人に友達はいないし、むしろ多くの日本人にいじめられた。それでも私は日本人が好きである。だが、そもそも日本の冬はちょっと寒すぎる。別に日本の外に出ても日本を愛する事はできる。命を捨てて日本という国家を守った特攻隊員は、こういう私をどう思うだろうか。
問題は日本が世界の中で生きなくてはならないという現実の政治的問題である。海外の方が安い人件費なのだから企業は当然、海外に出て行き、国内の産業は空洞化し、失業者が増える。日米安全保障によって、またGHQの作った、お仕着せ、骨無し平和憲法のおかげで日本は、ちゃっかり高度経済成長をなしとげた。もし食料自給率100%で、その他、エネルギーなども外国に頼らずやっていけるのなら問題は起こらない。しかし現実はそうではない。私は日本の政府にも何も期待していないし、そもそも命をかけてまで日本を守ろうという気は、昔はあったが、今はない。しかし北挑戦がノドンを打ち込んできたら、むかつくから、やはり、その時には日本を守ろうという政治的な愛国心も生まれるかもしれない。しかし私が日本の何を愛するかといえは、それは精神的な日本の歴史、文化、伝統、町並み、自然、日本人の感性、同胞意識に対してである。私は日本人に友達はいないし、むしろ多くの日本人にいじめられた。それでも私は日本人が好きである。だが、そもそも日本の冬はちょっと寒すぎる。別に日本の外に出ても日本を愛する事はできる。命を捨てて日本という国家を守った特攻隊員は、こういう私をどう思うだろうか。
初詣に白旗神社に行く。ただだったので味噌おでん三本と甘酒三杯を食う。
厄除けは、とりあえず上気道にまだ少し残っているかもしれないインフルエンザウイルス。燃え盛る厄除けの火が金砂子を真っ黒な空に吹き上げていた。神輿をわっしょい、わっしょい、と担ぎ始めたところだった。
厄除けは、とりあえず上気道にまだ少し残っているかもしれないインフルエンザウイルス。燃え盛る厄除けの火が金砂子を真っ黒な空に吹き上げていた。神輿をわっしょい、わっしょい、と担ぎ始めたところだった。