小説家、反ワク医師、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、反ワク医師、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

才能と素質

2010-01-24 23:54:06 | 武道・スポーツ
才能と素質。について実戦カンフーの具一寿氏が分かりやすく書いているので、その文をそのまま書いておこう。

「才能と素質」
ある者は体格がよく、師の伝えた技をいとも簡単にこなす。反射神経にも素晴らしい物を持っている。これが素質と呼ばれるものである。しかし、彼には独創的な所が無く、ただ師に学んだとおり練習する。師が間違いを伝えた時でも同じように訓練にはげむ。
また、ある者は体格、スタミナ、反射神経も人並み以上ではない。しかし彼には師が伝える正解と誤りを的確に見分ける能力を備えている。これが才能である。
(具一寿。「中国拳法戦闘法」252ページ)

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高校空手大会

2010-01-24 23:01:13 | 武道・スポーツ
朝、壁打ちテニスをしに体育館に行ったら、たくさんバスが来ていて、高校生くらいの人達が、やたらたくさん集まっていた。何かの試合だろう、何の試合かな、と思っていたら、女が蹴りの練習をしている。男はグローブをつけたパンチの練習をしている。はじめ何かかわなかった。だがだんだん分かりだした。空手のようである。用事があったので、試合は見なかったし、見たいとも思わなかった。画一的な突き。蹴り。彼らは、ブルース・リーが言うところの組織の人々である。すでに出来た既成のルールに何の疑問も持つ事もなく、一生懸命、練習し勝って喜ぶ。まあ教師から見れば実に健全な生徒達である。しかし彼らに才能はない。自分が何を求めているというかという入り口で、まず悩んだり、考えたりしない。既成のものを、当然のごとく真理として素直に受け入れる。彼らは組織の人々である。人間の大多数は、既成概念というものに集団洗脳されてしまっているのである。アクロバティックなカポエラの方がはるかに、自由な表現、自由な精神である。

ハイキックガールという映画も出来て、女にとって空手がいい特技のような風潮が少しあるように思われる。昨年の年末に、久しぶりに、ある空手の組織で体験参加した。幼い茶帯の女の子に指導者は、蹴り方を、色々、注意していた。絶対、あの女の子は、蹴り方を注意されている意味がわからないだろう。別に間違った蹴りでもないのに。なぜ正しい蹴り方をしているのに、細々、指導者は注意しているかというと、それは、その組織で決めたルールの試合に合わせるように、指導者は注意しているのである。空手は柔道や剣道と違って、一つの決まったルールで統一するという事が出来ないのである。だから組織によって無数のルールがある試合形式のスポーツとならざるを得ないのである。なぜ、空手が一つのルールによって統一出来ないか、というと、これは空手の発祥の歴史と大いに関係があるのである。一言でいって、空手とは、人間の手足を武器にすることが目的で作られたものであり、最初の頃の空手の目的とは、瓦や煉瓦を割ることだったのである。ムエタイのように積極的に人と戦うことが目的ではなかったのである。

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