小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

弟子は師を越えない?

2010-10-12 18:56:59 | Weblog
「弟子は師にまさるものではなく、僕(しもべ)は主人にまさるものではない。弟子は師のように、僕(しもべ)は主人のようになれば、それで十分である」
(マタイ伝10章24節)

これは、聖書に数多くあるキリストの毒の発言である。人間をなめきっている、としかいいようがない。キリストよ。ふざけるなよ。こういう態度は、やたらプライドだけ高い、くだらない大学教授が持ちやすい態度である。

本当に、能力も人格も優れた師なら、弟子に、自分を超えて欲しいと思うものである。
10月11日に「人間の尊厳」と題して書いたが、キリストは、人間の尊厳というものを冒涜している。

それに比べ、ブルース・リーは、能力も人格も優れた師である。映画では、ブルース・リーは、不遜な態度の師のようにも見えるが、彼の真意は、そうではない。一部、ブルース・リーの文章を引用しよう。

「教師、ほんとうにいい先生は、けっして真実を与えはしない。彼はガイドであり、生徒が自分で発見しなければならない真実を示唆してやるのだ。それゆえ、よい教師はそれぞれの生徒を個々に研究し、内面的にも外面的にも生徒が自己を探求することを鼓舞し、生徒がついに自分の存在とひとつになれるところまでもっていってやる。よい教師は触媒である。深い理解をもっている上に、ひじょうな柔軟性と感性をもって応じる心をもっていなければならない。截拳道とは単に名称であり、向こうに渡してやる船のように用いられるレッテルにすぎない。いったん渡ってしまえば、捨ててしまっていいのであって、背中にしょっていくべきものではない」
(ブルース・リー)

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