さて、同じ空手の蹴りでも、しなる蹴りと、しならない蹴りがある。フルコンタクト系の蹴りは、しなる蹴りである。一方、伝統空手やポイント制の蹴りは、しならない蹴りである。しなる蹴りとは、水泳のクロールの理想的なバタ足の動きと同じである。同じ空手なのに、なぜフルコンタクトでは、蹴りがしなって、伝統空手では、しらならいか。蹴りの原理はフルコンタクトも伝統空手も同じである。屈筋の力をなくし、伸筋の力だけで、足を伸ばすという動作である。では、その理由。まずフルコンタクトで蹴りがしなる理由。それは、相手に最大のダメージを与えるのがフルコンタクト空手の蹴りの目的である。だから、フルコンタクトでは、蹴りの途中までは、伝統空手と同じ原理で、一番、力を込めて蹴り出す。しかし、その後は、足を脱力してしまうのである。そうすると、足先が放り出された物体となって、相手の顔にバシーンと当たる。これが一番、相手にダメージを与えるからである。では、伝統空手やポイント制の空手の蹴りでは、どうして足がしならないか。それは。伝統空手やポイント制の空手の試合の目的は、いかに大きなダメージを与えるか、ではないからである。蹴りの目的は、遠い間合いから、いかにポイントをとるか、である。だから、破壊力より、蹴りの素早さが求められるのである。攻撃は、それ自体、カウンターをとられる危険をはらんでいる。蹴りが、かわされたら、直ぐに、蹴りを引き戻し、カウンターを取られないように、注意しなければならない。一方、フルコンタクトでは、ポイントが勝敗ではなく、相手をノックアウトする事が目的だから、蹴りっ放しでいいのである。直ぐに、もどす事は考えなくていいのである。これが、しなる蹴りと、しならない蹴りの違いである。
さて。ブルース・リーの蹴りは、どっちの蹴りかというと。しならない方の蹴りである。しなる蹴りは、蹴った時に、ズボンの裾が蹴る方向に、そよいでいるから、はっきりわかる。映画で見るブルース・リーの蹴りは、ズボンの裾がそよいでいない。では、実戦を目的としているブルース・リーの蹴りが、何で、しならない蹴りなのか。その理由。それは、ブルース・リーにとっては、蹴りとは、戦いの全てではなく、戦いの手段の一つに過ぎないからである。ブルース・リーにとっての武術の目的とは、ルール無しのケンカである。相手をつかんだり、倒したり、投げたり、関節をとったり、と、戦いにおいて全ての技のうち、敵にとって、もっとも有効な技は何かと、考えているからである。だから、戦いにおいて、敵にスキをつくってはならないから、蹴りっ放しの、しなる蹴りではなく、直ぐに、元の構えにもどれる準備の出来る、しならない蹴りにしているのである。ブルース・リーは、常にガードを考えているのである。
それと、もう一つ理由がある。ブルース・リーは映画として、美しく見える演じる蹴りというものを考えていたから、映画でのブルース・リーの蹴りは、単発の蹴りは少なく、ほとんどが、いくつかの蹴りの組み合わせの連続蹴りである。しなる蹴りは、一撃必殺を狙うから、一発の蹴りに全力を入れてしまうから、蹴りを直ぐにひきもどす事は出来ない。だから、連続蹴りは出来ないのである。連続蹴りをするためには、すぐに蹴りを引き戻せる、しならない蹴りにしなくては出来ないのである。しかし、これは結果論であってブルース・リーの真の目的ではない。ブルース・リーは真の格闘家である。
ブルース・リーは、自分にとっての蹴りの位置づけを知っていた。リーは体重55kgしかない。これほど少ないウェートでは、どう全力で蹴っても、一発で敵を倒すことは出来ない。映画でもリーが一発の蹴りで敵を倒しているシーンは、ほとんどない。リーにとっては、蹴りは、素早く何度も繰り出して確実に相手に当てていき、敵にダメージを蓄積させていくという持久戦がブルース・リーにとっての最上の戦法だったからである。しかし、これはブルース・リーに限ったことではなく、持久戦というのは格闘の基本である。ボクシングの試合を見ればわかる。一発のキックで敵をノックアウトすることなど、めったに出来ることではない。よほどタイミングがあって、相手の急所に運よくあたってくれた場合にだけにしか、一撃必殺は起こらない。
しかし芦原カラテでは、しなる蹴りで、連続した蹴りの型を、やっている。し、出来ている。この理由。それは、芦原カラテでは、パンチとキックだけで戦う、というように、使っていい技を限定しているからである。敵の足をつかまえて倒し、柔道のように寝技で戦うというような泥試合は想定していないから、安心して蹴りだけに専念できるのである。
さて。ブルース・リーの蹴りは、どっちの蹴りかというと。しならない方の蹴りである。しなる蹴りは、蹴った時に、ズボンの裾が蹴る方向に、そよいでいるから、はっきりわかる。映画で見るブルース・リーの蹴りは、ズボンの裾がそよいでいない。では、実戦を目的としているブルース・リーの蹴りが、何で、しならない蹴りなのか。その理由。それは、ブルース・リーにとっては、蹴りとは、戦いの全てではなく、戦いの手段の一つに過ぎないからである。ブルース・リーにとっての武術の目的とは、ルール無しのケンカである。相手をつかんだり、倒したり、投げたり、関節をとったり、と、戦いにおいて全ての技のうち、敵にとって、もっとも有効な技は何かと、考えているからである。だから、戦いにおいて、敵にスキをつくってはならないから、蹴りっ放しの、しなる蹴りではなく、直ぐに、元の構えにもどれる準備の出来る、しならない蹴りにしているのである。ブルース・リーは、常にガードを考えているのである。
それと、もう一つ理由がある。ブルース・リーは映画として、美しく見える演じる蹴りというものを考えていたから、映画でのブルース・リーの蹴りは、単発の蹴りは少なく、ほとんどが、いくつかの蹴りの組み合わせの連続蹴りである。しなる蹴りは、一撃必殺を狙うから、一発の蹴りに全力を入れてしまうから、蹴りを直ぐにひきもどす事は出来ない。だから、連続蹴りは出来ないのである。連続蹴りをするためには、すぐに蹴りを引き戻せる、しならない蹴りにしなくては出来ないのである。しかし、これは結果論であってブルース・リーの真の目的ではない。ブルース・リーは真の格闘家である。
ブルース・リーは、自分にとっての蹴りの位置づけを知っていた。リーは体重55kgしかない。これほど少ないウェートでは、どう全力で蹴っても、一発で敵を倒すことは出来ない。映画でもリーが一発の蹴りで敵を倒しているシーンは、ほとんどない。リーにとっては、蹴りは、素早く何度も繰り出して確実に相手に当てていき、敵にダメージを蓄積させていくという持久戦がブルース・リーにとっての最上の戦法だったからである。しかし、これはブルース・リーに限ったことではなく、持久戦というのは格闘の基本である。ボクシングの試合を見ればわかる。一発のキックで敵をノックアウトすることなど、めったに出来ることではない。よほどタイミングがあって、相手の急所に運よくあたってくれた場合にだけにしか、一撃必殺は起こらない。
しかし芦原カラテでは、しなる蹴りで、連続した蹴りの型を、やっている。し、出来ている。この理由。それは、芦原カラテでは、パンチとキックだけで戦う、というように、使っていい技を限定しているからである。敵の足をつかまえて倒し、柔道のように寝技で戦うというような泥試合は想定していないから、安心して蹴りだけに専念できるのである。