小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

織田信長

2010-11-02 03:38:36 | Weblog
織田信長は、討ち取った敵大将の首を髑髏にして金で塗り、それを酒肴にして勝利を祝ったといわれる。単に、その事実だけを思うと、非常に残酷趣味に見える。実際の所はわからないが、私にはそれは単なる残酷趣味だけではないように思える。なぜなら、信長ほど頭のいい武将はいない。第一、そんなことをしては、下臣達に、残酷極まりない人間と思われてしまう。大将は下臣達の心をなんとしても自分につなぎとめておこうとする。残酷すぎる人間と思われては、下臣達に、恐がられ、ちょっとこの大将には、ついていけず離れたいと思われかねないデメリットもある。大将は、包容力のある人間を演じていた方が得なのだ。頭のいい信長のことだから、そんなことは十分、理解しているはずだ。では、なぜ、そんなことをしたのか。私には信長という人間は、自分や他人、つまり人間の心の欺瞞というものを嫌っていて、それをぶち壊したい、という欲求、自分にウソをつきたくない、自分の心を直視したい、という気持ちから、そういう行為をしたように感じられて仕方がない。実際のところはどうだったのかは、わからないが。

ニーチェも「若い時は自分の悪を直視せよ」ということを言っている。信長の気持ちはそれだったのではないだろうか。第一、信長は残酷な性格だけではない。信長は損得勘定だけで行動する狡猾な人間ではなかった。斉藤道三を救おうとしたのも、純粋な思いやりからである。小ざかしい計算をする人間ではなかった。ともかく度量が大きかった。

子供の頃、ガキ大将として、野原を駆け巡って遊んでいたのも、歴史家は、戦術の研究や地勢研究のため、などと解釈している。信長ほどの頭のいい人間が、うつけた遊びをしていたのは、そういう深い意味があったと解釈するほかない、と見ているようだ。しかし、それも違うと思う。信長は子供の頃から度肝がすわっていた。これは。世の傑出人の中には、子供の頃から豪放な性格のため、やりたいことをやり、おおいに遊んだ、というタイプの人間と同じであると私には思える。子供の頃、遊ばないで、真剣に藩のことを考えるタイプの人間は、いわば、堅実で、面白みがない、損得勘定だけで行動する、現代でいえば青白いガリ勉タイプの人間ともいえる。そういう人間は肝がすわっていないことが多いから天下はとれないことが多い。

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