私は、「人間が人間を許す」という行為が非常に嫌いである。それは、よく安直な感動映画で使われる。私は、そのセンチメンタリズムが嫌いなのである。「人間が人間を許す」という行為は、一見、美しい行為のようにみえる。が、はたして深いところにおいて、人間が人間を許す、という権利があるのだろうか。人間には人間を許す権利はない。人間を許す権利を持っているのは神だけである。無神論者の場合は。神ではなく、見えざる真理の絶対意志とでもいうべきものが許す権利を持っているのだろう。
だから私は、たとえ許したくても、一時の感傷で安直に人を許すべきではないと思っているし、また私も安直に他人に許されたいとは思わない。許し合う社会というのは、要するに、罪から逃げることを、お互いに認め合っている社会であり、許し合わない社会というのは、自分の罪を各人が背負っていく社会である。
私は何度も見ているが、横暴のかぎりを尽くし、他人をいじめ抜いておいて、後になって、ほとぼりが冷めた頃、「あの時はすまなかった」と謝ってチャラにしようと、最初から計画している、そんな性格の人間を数多く見ている。
だから私は、たとえ許したくても、一時の感傷で安直に人を許すべきではないと思っているし、また私も安直に他人に許されたいとは思わない。許し合う社会というのは、要するに、罪から逃げることを、お互いに認め合っている社会であり、許し合わない社会というのは、自分の罪を各人が背負っていく社会である。
私は何度も見ているが、横暴のかぎりを尽くし、他人をいじめ抜いておいて、後になって、ほとぼりが冷めた頃、「あの時はすまなかった」と謝ってチャラにしようと、最初から計画している、そんな性格の人間を数多く見ている。