小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

本田宗一郎と僕

2018-06-15 04:23:24 | 考察文
本田宗一郎は、物を作るのが、好きで、そして、自動車が好きで、東京に出て、自動車修理工場アート商会、に、丁稚で働いて、自動車の修理の技術を身につけた。そして、浜松にもどって、自動車修理工場をつくった。社員も増え、会社の経営も、順調に行っていたのに、本田宗一郎は、自動車修理工場を、社員の大反対を押し切り、やめてしまい、ピストン・リングの製造工場に切りかえてしまった。

こういう性格は、僕と、全く同じなのである。

以下、本田宗一郎の文章。

「修理は、所詮、修理に過ぎない。経験さえ積めば、誰にでも出来る仕事だ。
だから、これに、一生を費やすのは、実にばかげている。人間と生まれている限り、どうせやるなら、自分の手で何かをこしらえよう。工夫し、考案し、そして社会に役立つものを作るべきであろう。他人さまの制作したものを修繕するなどという、いわば、人の尻馬に乗った商売なんか、犬に食われてしまえ。そうだ、自分のこの手で何か作ってやろう」
やろうと決心したら、せっかちで、向こう見ずな私の性格である。
そこで、私は、自分の決意の命じるところに従い、工員50人ほどの修理工場にのびていた工場をあっさりやめて、こんどは、ピストン・リングの製造工場に切りかえてしまった。」

(本田宗一郎「スピードに生きる」)

僕も、

「医学や、医者なんて、他人の作ってくれたもので、経験さえ積めば、誰にでも出来る仕事だ。だから、これに、一生を費やすのは、実にばかげている。そんな、人の尻馬に乗った仕事なんか、犬に食われてしまえ。」

そう思って、僕は、医学部三年の時、小説家になることが、自分の実存である、と気づいたのである。

それ以来、僕は、小説を書き続けてきた。

一生、書き続けるだろう。

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