小説家、反ワク医師、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、反ワク医師、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

政治と金

2010-01-18 00:17:33 | 考察文
さて小沢一郎が賄賂の容疑がかかっている。政治における賄賂の問題は難しい。派閥を作って権力を得るためには金がかかる。しかし政治的実力はある。しかし金は政治のシステムとなってしまっているので、派閥の頭領になるには、どうしても金がなくてはならない。そんな政治の仕組みにした自民党が悪い。いわば、仕方がない面がある。実力のある政治家を金の不祥事によって、潰してしまうのは勿体ないような気もする。
さて鈴木宗男が疑惑がかかった時、ほとんどの国民は彼をとんでもない悪いヤツだと罵っただろう。今は罵れまい。私は罵らなかった。国民もいいかげんなものである。鈴木宗男も用心深い性格だが、結構、単純な所もある。つかまる前、田原総一郎との対談で、「斡旋収賄」という罪を知らなかったと、堂々とテレビで言っていた。という事は、今まで、斡旋収賄をやりまくってきた、という事をテレビで国民に言ってるようなものである。ちょっと単純である。さて、ここで問題になるのは、そういう法律があるという事を知らなかった、という事は許されるのかという問題がある。一般の人だって六法全書を暗記して社会生活を送っているわけではない。そんな事が出来れば、司法試験を受ければ通れる。一般の人は社会通念に基づいて生活している。何か問題が起こった時、法を知らなかった、という事はどうなるのか。まず政治家の場合。国会議員は立法の府だから、つまり法律をつくるのが仕事だから、言わば法律のプロという立場であり、当然、法律を詳しく知っていなくてはならないから法律を知らなかった、では済まされないだろう。また一般人の場合も、二十歳を過ぎれば社会人だから、何か行動する時には、この行動は合法なのか違法なのか、と迷ったら、自分で調べたり、人や専門家に聞けばいいのだから、それをしなかったら、それは、その人の怠慢なのだから、やはり、一般人でも、知らなかったでは済まされないだろう。

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刀は卑怯者の武器

2010-01-17 00:19:28 | 武道・スポーツ
刀。卑怯者の武器。刀は武士の魂だと三島由紀夫は言った。それは間違いない。武士にとっては刀は魂である。しかし、私は刀が日本人の魂だとは思わない。(こう言うと剣道や居合いをしている人に申し訳ない。もっとも今の剣道はスポーツだが)刀は戦場で武士同士が戦う時は、武士の魂である。武士が台頭する、もっと前から、古事記の神話の中でも刀は三種の神器の一つである。スサノオノミコトが八岐大蛇を退治したのも刀である。武士が切腹したのも刀である。武士は自刃することによって責任をとった。刑罰でも死罪と切腹とでは大違いである。しかし、同時に刀とは武士や支配者が百姓を暴力で支配するための道具でもあるのだ。むしろ刀とはこっちの意味合いの方が強い。実際に使わなくても、刀とは少数の支配者が多数の被支配者を暴力で威嚇して支配するための道具である。だから私は刀が日本人の心だなどとは思っていない。むしろ、どこの国でもそうだが。徒手空拳の武術は、虐げられた被支配者によって工夫して作り出されたものであり、それこそが本当の「武」の心があると私は思う。空手にしたって、薩摩藩の禁武政策によって支配された琉球王国が、抵抗の武器である刀を全て奪われてしまったため、自分の肉体を工夫、研究して編み出したものであり、これこそが本当の「武」の魂を持ったものだと思うのである。

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寒い

2010-01-16 04:22:38 | Weblog
ハワイから日本に帰ってくると、やはり寒い。暖房を入れてもダメである。やはり、その土地の気温が暖かくないと、体が芯から温かくならない。というわけで、沖縄に行こうかと思ったりもする。ホテルなら暖房が効いているからいいかもしれない。

飯島愛は肺炎で死んでしまった。風邪から細菌二次感染を起こしたのだろう。風邪はウイルスで自然治癒力を待つしかないのである。風邪をひくと医者で抗生物質を出される。抗生物質は細菌に効く。細菌感染予防のためである。飯島愛は腎臓が悪く、芸能界から引退するほどだったから、かなり体調が悪かったのだろう。免疫力も低下してただろう。しかも腎臓が悪いと尿が出ない。尿が出ないと脱水になる。水分をとらないで高熱のままでいると、ますます脱水になって、熱が高くなる。風邪だからとって莫迦にしてはならない。ちゃんと医者にかかって休まないと、細菌感染を起こして肺炎をひきおこして危険になる可能性がある。飯島愛も、ちゃんと医者にかかっていれば死ななかっただろう。


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スキー上達法

2010-01-14 08:34:24 | 武道・スポーツ
スキー上達法。ターンの仕方。シンプルな事。ターンでエッジを切り替えた後、(切り替え方はシュテムでいいだろう)山側に横滑りを起こすようにする。オートバイのように、体を内側に傾けるのではなく、体は動かさず、スキー板を履いた足を山側に横滑りさせる。まずはスキーをずらして回す、「ずらし回りターン」を身につける。上達して上手くなったら、スキー板の性能を利用した切れるターンへとステップアップする。単なる横滑りは簡単である。横向きに立った姿勢からエッジを緩めれば、そのまま横滑りする。しかしターンでは、能動的に、しかも山側に意識的に横滑りさせるのは難しい。そしてエッジを切り替えたら左官屋の壁ぬりのような感覚で、スキー板で雪面に壁塗りをするようにして、スキー板を回す。

スキーの練習で大切なこと。
自分に出来ない事をやる。片足スキーもいい。なぜかというと、エッジの切り替えの技術とスキーを回す練習に有効だからである。
スキーのターンの基本は。山回り(ターンの前半)でスキーを回し、ブレーキ(スピードのコントロール)をかけて、谷回り(ターンの後半)では、スキーを回さずに強いエッジングだけによって、スピードを出す。上手い人は谷回りの時、スキー板の裏が見えるほど強いエッジングをしている。一般の人がおちいりやすい欠点は、この逆になっているからである。つまりターンの前半で何となく滑っているためスキーを回さず加速してしまって、ターンの後半でブレーキをかけてしまっているからである。滑った後の雪面を見てみればわかる。
スキーの練習で大切なもう一つの事。それは焦らない事である。ある程度滑れる人は、滑れるから同じ事の繰り返しになってしまう。スキーは一日中うんと滑りたいという気持ちが走ってしまうからである。しかし、同じ事の繰り返しでは上達しない。スキー場で一呼吸したり、一休みしたりして、練習の計画を立てる。家やホテルでのイメージトレーニングは有効である。ただ初心者の場合、安物の靴とスキー板を買って、靴とスキー板を履いてボロ布団か芝生の上で練習した方がいい。ストックも持って。そしてスキー場のゲレンデの具体的なある場所に立っていることをイメージする。実際に近い状態でイメージトレーニングをする。靴を履かないイメージトレーニングでは、靴を履くことによる現実の雪面での滑りとギャップがある。スキーもリズムのスポーツである。頭の中で、一、二、とリズムをとる。ジャンプウェーデルンなどは、エッジの切り替えとスキーを回す練習になる。スキーは位置エネルギーがあるから、つまりエンジンがついているようなものだから、疲れない。だからレジャーである。水泳はエンジンがついていないから、自力で進まなきゃならないから、一般の人は疲れるから、やりたがらない。ウェーデルンは、スキー場が混むため、人にぶつからないよう考え出されたものである。しかし練習では、ある程度、大きく回った方がいい。それにはターンは斜滑降から入り一回のターンで止まる。人が上にいない事を確認して。スキースクールで習うのは、時間と金が勿体ない。しかも日本のスポーツ教室はどこでもメダカの学校だから、いい大人が幼稚園児にならなくてはならない。アホみたいである。スキーの技術書を買ってよく読み、You-Tubeでスキーの動画を見て、イメージトレーニングをした方が、いいと個人的には思うのだが。ただ一番最初だけは、スキースクールで習った方がいい。最初だけは金も無駄にならない。スキーの基本を身を持って実感できる。
何事も方法を誤らなければ人生を10倍効率よく楽しめる。

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西洋人について

2010-01-13 16:32:03 | 考察文
エロティシズム=目的に到達したがらない精神=無限。最終目的がないから終わりがない。

西洋人。肉体が精神を作っている。精神はその肉体に対して鈍感である。肉体と精神の分離。だから精神が分離して、精神は精神だけで極度に発達する。それに対して東洋人は、東洋医学にせよ、精神と肉体をつながったものと見ている。あるいは思考と感情。肉体と感情。つまり西洋では完全な二元論的な物の見方であり、東洋では、もっと一元論的な感性である。だから純粋な精神だけの発達は起こりにくい。日本人。肉体と精神の一致。だから切腹。精神が肉体にあると思っているから。日本の女は、足が太い、だとか、痩せたい願望が強い。日本の女全員が摂食障害といってもいい。それだけ自分の美に対する保持の意識が強い。「あーあ。ふとっちゃった」「食べたいなー。でも我慢」。何と日本女の化粧に凝る事か。アメリカ女にはそれがない。胸が大きいのはいいが、弛んでしまっては格好わるい。尻の肉も付きすぎは良くない。自意識がないのだ。東洋人くらいの体型がちょうど良く、アメリカ人になると、大きな体のあちこちに脂肪がついてくる。

私が日本人の女しか愛せないのは、日本人の精神もある。たとえ、ウエストが十分、引き締まってなくても、それを気にしている(だろう)繊細な感性が好きなのである。精神がシャイだから、動作もシャイ。アメリカでは茶道は絶対、生まれなかった。動作も人目を気にしがち。アメリカ女は自分の肉体に無関心。恥の観念がそもそもあるのかどうか、疑問である。その代わり、ヨーロッパで哲学が生まれたのは必然がある。肉体と顔つきは、一体化している必然がある。だろう。最も美しい女は白人かもしれない。しかし、それは例外的であり。日本人はまるで人形のよう。SM。アメリカ女は恥の観念がないから、日本のような、もっともされたくない事。つまり恥を晒した格好にされて縛られる事には、興奮しない。エロティシズムとは、もっともされたくない事を弄ぶことによって、する逆説の感覚を楽しんでいる悪徳だから。のだから、西洋では、もっともされたくない事とは、支配者による服従であるから、SMも服従の屈辱を弄ぶ事こそが欧米人にとってのエロティシズム。日本人には恥があり、アメリカ人には恥がない。はたしてアメリカの女に神経性食思不振症がいるだろうか。日本の女はプールや海でも、髪が濡れないよう長い髪を束ねて団子にしている。いついかなる時でも美しく見える事を気にしている。男も禿げると、それでも少ない髪をバーコードのようにしている人が多い。腹の出ている人は、腹が出ている事を気にしていないが。髪は気にしている。それと比較すると毛唐は、何も気にしていない。鈍感なのだ。だから、日本のような繊細な伝統、文化、芸術、が生まれないのだ。映画の日本語吹き替えで見ると、アメリカ人も日本人と同じように見えるが、俳優だけは特別デリケートなのだろうか。小説の映画化は特にそうである。それは、そもそも小説家という人種はデリケートだからだろう。

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私的ワイキキ雑感

2010-01-13 14:08:06 | Weblog
私的ワイキキ雑感
ハワイで気をつけといた方がいいこと。
金。あらかじめ日本で旅行代理店で円をドルに替えておいた方がいい。だが、空港でも、両替所はある。ホノルルの町にも両替所はある。ので円をドルに替えられる。一ドル=約100円。100セント=1ドル。一セント=約一円。ドルの感覚に早く慣れといた方がいい。紙幣には数字、10ドル紙幣なら10とわかりやすく書いてあるので、さほどでもない。いざという時のために、クレジットカードを持ってった方がいい。ただコインには数字が書いてない。最高が25セント硬貨である。紙幣は一ドルからある。最高が100ドル(約1万円)。ドルを日本に持ち帰っても、紙幣は全て円に替えられるが、硬貨は円に替えられない。これは日本の銀行でも替えられない。ので、持ってても使えない。捨てるしかない。あるいは、次回のアメリカ旅行のためにとっておくか、である。最後の日にハワイで買い物する時、硬貨で使い切る。あるいはABCストア(日本のコンビニ)で紙幣に替えてもうかだろう(たぶん両替してくれるのではなかろうか。ドルどうしなのだから。店だって小銭が不足しているかもしれない)。しかし最高の硬貨が25セント(約25円)なので、硬貨はたいした金にならない。
食事。ABCストア(日本のコンビニ)がワイキキには、無数にある。ただ日本は24時間やってるが、向こうでは朝6時から夜の一時までで、一時を過ぎると閉まってしまうので、夜の一時前に飲み物や食料を買っておいた方がいい。ハワイでは自動販売機というものが、ホテルにも街にもない。マクドナルドは24時間やってるのもある。デニーズも。
パソコン。レンタルパソコンなどという便利なものは向こうには無い。のでノートパソコンを持っていく。(パソコンが毎日、必要な人は)向こうの電源は110ボルト、60ヘルツなので、ハワイ用の変圧器(二千円ちょっと)を日本のパソコンショップで買っていく。それぞれの国によって、電圧は違う。だが、ハワイのABCストア(コンビニ)でも売っている。さらに、日本は100ボルトでハワイは110ボルトなので変圧器を使わなくてもパソコンは使える。インターネットのヤフージャパンにはつながらなかった。
ホテル。店でも全て英語で話さなくてはならない。が、カタコトの日本語なら出来る人もいる。が、出来ない人の方が多い。だが、話が出来なかったらホテルのフロントで旅行代理店の人が電話で仲介してくれる。ホテルにはシャワーしかなく、ユニットバスもない。髭剃りもドライヤーもない。(高級ホテルになら、あるのかもしれない)。テレビはタダだが、ビデオは一瞬見ても、一回、三千円ほどする。料金の事はホテルの案内書にも書いてない。私は三回、合計20分くらい見ただけで、チェックアウトの時、88ドル(約8000円)とられた。したたかである。
ストリートガール。夜、街を歩いているとストリートガールに声をかけられる。だが、絶対口を聞いてはならない。無視して早足で去る。一時間200ドル(二万円)だそうだ。
遅刻。帰りそこなったら大変である。だが帰国のバスの前の時間に電話をかけてきて知らせてくれるので安心である。バスの運転手も人数をかぞえて確認してた。
ワイキキビーチ。朝8時から夜6時くらいまで人がいる。日本人は少ない。ワイキキビーチは逗子海水浴場くらいで、歩いて10分くらいで、そんなに広くない。遠浅なため、泳いでも面白くなさそう。
服装。長ズボンでも蒸し暑くはない。ジャンパーは、持ってっても、持ってかなくてもいい。だろう。靴下の替え、と、パンツの替え、と、爪切り、を持ってった方がいい。(ABCストアで売ってたか、どうかは知らない。多分、あるだろう)向こうにつけば、温かいので、根性のある人は成田まで半袖にジャンパーで行けばいい。しかし、日本に帰ってきたら寒かった。風邪をひかないように、ダウンジャケットを着てった方がいいのだろうが、荷物が多くなるのはウザッたい。
税関。ハサミとペットボトルは取られた。ハサミは向こうで買う。ペットボトルは税関を通ってから買う。

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ハワイ旅行記

2010-01-12 21:13:08 | Weblog
6日(水)より12日(火)までハワイに行く。「ハワイ旅行記」なるものをホームページにアップしました。(その日のメモ程度のもの)もうちょっと、きちんと書いてマシなのにしよう。

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ブルース・リャンの飛び後ろ回し蹴り

2010-01-06 00:08:20 | 武道・スポーツ
ブルース・リャンの飛び後ろ回し蹴り
飛び後ろ回し蹴り、が上手いテコンドー選手は多い。しかしブルース・リャンほど華麗な飛び後ろ回し蹴り、が出来る人は少ないだろう。彼は幼少の頃からテコンドーを訓練してきたただけあって、すごい。リャンの飛び後ろ回し蹴りは、蹴り足でない軸足(飛び蹴りだから軸足は宙に浮いているが)が、キックする時に、フワッと浮く事である。見ていても気持ちがいいし、やってるリャンも気持ちがいいだろう。その時、リャンの足は180°開ききっている。ジャンプの高さや、破壊力だけみたら、リャンより高く、また破壊力のあるテコンドーファイターは無数にいる。しかし、あれほど見事で、見ていて爽快な飛び後ろ回し蹴りは無い。
ブルース・リーは飛び後ろ回し蹴りは出来ない。映画でも、一度も、飛び後ろ回し蹴りをしていない。しかし、これは、「出来ない」という言い方は適切ではないだろう。リーは、どんな技でも出来るから、練習したら飛び後ろ回し蹴りも、出来るだろう。彼は映画俳優である前に武術家だったから、飛び後ろ回し蹴りは、見栄えはいいが、実戦の戦いでは有効な技との思いを持たず、そのため訓練して身につけようと思わなかったのではなかろうか。
それにしてもリャンが、老いて太ってしまったのは残念である。

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臨終

2010-01-05 22:13:20 | 医学・病気
臨終
人の死に対する医者の態度で感動したことが一度ある。二年の研修病院でも、人の死は何度も見ている。だが医者の態度に感動したほどの事はない。私が感動したのは研修を終えて130床の地元のオンボロ病院に就職した時である。そこの院長は性格、温順な誠実な先生だった。先生は糖尿病で薬の処方は私がサインした。医者は自分の飲む薬の処方のサインを自分では出来ないのである。
ある時、人の臨終に先生と立ち会った。家族も来ていた。脈が無くなり、呼吸が無くなり、対抗反射が無くなった。先生はそれを確認した後、家族に向かって家族を直視し、黙って深々と一礼した。こう書くと、読む人には何も伝わらないと思う。まず私は、言葉を言わない事に感動した。そして先生の目や表情、その一礼の態度から伝わってくる先生の心に私は感動したのである。人の死において、一番いい言葉は、無言なのかもしれない。

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バカな文科系学者

2010-01-04 03:32:12 | 考察文
文系学者の中には信じられないバカがいる。学問とは、色(自分の好み、感情)が入ってはいけないのである。文系学問の場合、言葉の理論だから、論理といってるものが詭弁におちいる可能性を持っている。理数系の場合、言葉ではなく数式だから詭弁で誤魔化す事は出来ない。ある時、戦争責任はワンスパン(30年)で、チャラと言った文系学者がいた。白痴である。私は自分の思想がちょっとでも感情によって影響されたら私の思考はおしまいだと思っている。

では日本は、国家として、どこまで日本の昔の他国への侵略に対して責任があるか、といったら、私は明確な意見を持っている。それは明治維新から後の日本の行為に対してである。これは明確な線引きである。ちゃんと理論もある。つまり日本は明治維新前の他国への侵略行為に対しては責任をとる必要などない。しかし明治維新以降の日本の侵略行為に対しては、それが解決するまで責任を持たなくてはならない。

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公共事業

2010-01-01 23:43:33 | Weblog
「公共事業は無駄だ。利権だ」の一言でかたずけるのは、あまりにも荒削りな考えだ。私が一番、注目しているのは、もう手をつけてしまっている公共事業である。道路はともかく、橋やダムなどは、50%以上出来かかっているものは途中で止めてしまったりしては、そっちの方がよほど無駄である。%の正確な数字はわからない。まあ、10%なら、止めてもいいだろう。しかし、半分以上、手をつけてしまったものは完成させてしまわないと、その方がよっぽど無駄である。出来上がれば経済効果は多かれ少なかれ出るのだから。作りかけの物をぶっ壊したら、それこそ、それにかけた国民の税金の無駄使いである。ペットボトルと違って、鉄筋コンクリートはリサイクルは出来ないのである。民主党は党の人気保持やイメージなど国民の人気を求めるより、現実を見据えた事をして欲しい。民主党は自民党のやった事は、全て悪という感情主義におちいらないで欲しい。

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高橋是清

2010-01-01 20:45:31 | Weblog
インフルエンザが治りきっていないので今日は寝て過ごす。体調悪いと、書くどころか本もよく読めない。昨日、高橋是清の事をどっかの番組でやっていた。昭和二年の金融恐慌で銀行が倒産の危機におちいったのを、見せ金を大量に刷って預金者に見せる事によってパニックを防いだ。これくらいの大決断が出来る人はすごい。預金者は、当面使う予定がなくても銀行が倒産するのを怖れて、一挙に全員が引き出そうとするから、パニックになってまうのである。要するに精神的な不安であり、それが解消されればパニックは起こらない。当然、現代でも全く変わらない。信用のある経済学者の発言そのものが経済の動向に大きな影響を与えているのである。私は植草一秀先生の事件は、国策捜査ではないと思っていたし、今でも国策操作の線は薄いと個人的に思っている。事実を知っているのは国家権力の上の方である。しかし植草先生ほどの学識とテレビでの発言は経済にかなりの影響をおよぼした。とすると国策操作の可能性も否定は出来なくなってくる。マスコミも困ったものである。あふっているのは経済学者だけではない。マスコミがあふるから、国民がそれを信じて怖れ、財布の紐を固くして、そのため経済が活性化せず、それをまたマスコミが、経済好転の兆しなし、などと書くからますます不況がつづくのである。自分らが不況になるように加担しといて、他人事のように書くのだから、いい気なもんである。だからといって言論の自由は保障されねばならない。難しい所である。

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私にとっての日本

2010-01-01 02:18:25 | 考察文
私は日本という国が好きである。私が愛するのは日本人の茶色の瞳と黒い髪と黄色い肌と、島国根性のシャイな感性である。アメリカかぶれしている日本人も私は好きである。またどんなに日本を嫌ってアメリカかぶれしている日本人でも、幼少期を日本で育った人はmother tongue が、つまりは感性が日本人だから好きである。つまりは日本語が、そして日本の歴史、文化、伝統である。それらはこれからも大きくは変わらないだろう。仮に変わったとしても日本人の感性の根底までは容易にはかわらないだろう。それは戦後からの今までの日本人を見れば証明されている。そして私が好きなのは、日本語という言語であり、日本の町並み、自然である。天皇制も君が代も国旗もぶち壊しても別に私は何とも思わない。そんな事が仮に起こったとしても日本というものは存在し続けうるからだ。これが日本だけで独立してやっていけるのなら問題は起こらない。
問題は日本が世界の中で生きなくてはならないという現実の政治的問題である。海外の方が安い人件費なのだから企業は当然、海外に出て行き、国内の産業は空洞化し、失業者が増える。日米安全保障によって、またGHQの作った、お仕着せ、骨無し平和憲法のおかげで日本は、ちゃっかり高度経済成長をなしとげた。もし食料自給率100%で、その他、エネルギーなども外国に頼らずやっていけるのなら問題は起こらない。しかし現実はそうではない。私は日本の政府にも何も期待していないし、そもそも命をかけてまで日本を守ろうという気は、昔はあったが、今はない。しかし北挑戦がノドンを打ち込んできたら、むかつくから、やはり、その時には日本を守ろうという政治的な愛国心も生まれるかもしれない。しかし私が日本の何を愛するかといえは、それは精神的な日本の歴史、文化、伝統、町並み、自然、日本人の感性、同胞意識に対してである。私は日本人に友達はいないし、むしろ多くの日本人にいじめられた。それでも私は日本人が好きである。だが、そもそも日本の冬はちょっと寒すぎる。別に日本の外に出ても日本を愛する事はできる。命を捨てて日本という国家を守った特攻隊員は、こういう私をどう思うだろうか。

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初詣

2010-01-01 01:12:02 | Weblog
初詣に白旗神社に行く。ただだったので味噌おでん三本と甘酒三杯を食う。
厄除けは、とりあえず上気道にまだ少し残っているかもしれないインフルエンザウイルス。燃え盛る厄除けの火が金砂子を真っ黒な空に吹き上げていた。神輿をわっしょい、わっしょい、と担ぎ始めたところだった。

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謹賀新年

2010-01-01 00:03:30 | Weblog
開けましておめでとうございます。今年が私にとっても皆様にとっても良い年でありますように。

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