かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

馬場あき子の外国詠 173(中国)

2019-02-24 19:51:57 | 短歌の鑑賞
    馬場あき子の外国詠22(2009年10月実施)【紺】『葡萄唐草』(1985年刊)
    参加者:Y・I、T・S、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
    レポーター:渡部 慧子 司会とまとめ:鹿取 未放


173 暗き灯の一つを点し民屋は土間に据ゑたり一つのかまど

      (レポート抄)
 「民屋」とは{里弄(リーロン)……租界へ流入定住した民衆のために考案された住居}なのか、それとも古い時代からの家屋か定かではないが、「一つのかまど」によってひっそり食と住をみたしている上海の暮らしのある一面をやさしく写生している。(慧子)

     
     (意見)
★写生のように見えて写生ではない。嘆き・悲しみ。(藤本)
★ミレーなどの民衆を描いた西洋の絵をイメージした。(Y・I)


      (まとめ)
 「民屋」は、様式は問わず、民衆のすまいくらいの意味だろう。暗いなりに一つの灯火をともして、家族が集い、一つの竈で煮炊きする庶民のある種大地に根を張った生き方を写しているようだ。
もちろん、藤本さんが言うような歎きや悲しみも含まれていよう。
 ただ83年というと観光旅行で自由に路地に入っていくことは出来なかったろうから、どこから眺めた風景なのか気に掛かる。おそらくバスか列車で通った家々をかいま見ての作ではなかろうか。
余談だが、私は96年に中国に旅した。8月の初旬で、夕方列車で郊外を通ると何キロにもわたって大勢の人が道や田畑の畦のような所に何するとなく立って列車を眺めていた。ガイドさんに尋ねると暑いから戸外で涼んでいるのです、ということだった。列車は非常にゆっくり走っていた記憶があるが、馬場の民屋の情景もそんな車窓から垣間見たもののように思われる。(鹿取)



コメント
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