かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

馬場あき子の外国詠 177(アフリカ)

2019-02-28 18:57:55 | 短歌の鑑賞
    馬場あき子の外国詠22(2009年10月実施)【紺】『葡萄唐草』(1985年刊)
    参加者:Y・I、T・S、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
    レポーター:渡部 慧子 司会とまとめ:鹿取 未放


177 戦争を逃がれて生きし上海の老爺立ち売る一籠の種子

      (レポート)
 旅行中の行きずりの人は「戦争を逃がれて生きし」「老爺」だという。旅行時は1983年であるから、おそらく1937年に起こった日中戦争をさしていよう。世は移り変わり、かつて敵国であった日本からの旅行者に商いをしながら身の上話をしたらしい。
 薬膳に用いられる枸杞、松の実等が想像されて、中国ではよく見かけられる「種子」であり、「立ち売る」光景だ。だが、このありふれたなかにこそ、たくさんのものが内包されている。作者が目をとめた「一籠の種子」とは、変貌を遂げ続けている中国の象徴として印象づけられたのではないだろうか。「種子」には、過去の時間と未来をひらく生命力がこもっている。(慧子)


     (意見)
★体言止めにしたからには、結句に思いがある。(Y・I)
★身の上話をするほど、日本人に心を開くだろうか。(藤本)
★「一籠の種子」はそのまま。慧子さんのは深読みしすぎ。(T・S)
 

      (まとめ)
 1983年に出会った中国の老爺なら生涯にいくつかの戦争を経験しているだろうから何戦争と限定する必要もなかろう。また一旅行者が立ち売りの老人に言葉の壁を乗り越えて身の上話を聞くほどの時間も余裕もなかろう。それ故、戦争をかいくぐって生きてきたんだなと作者が想像しているのだろう。「種子」は研究会の時いろいろな意見が出たが、そして象徴性が全く無いとも思わないが、実際に種子を売っていたのだろう。むしろ年老いてなお市場の権利も買えず「一籠」を立ち売りする労苦の方に重点があるのだろう。
 既に鑑賞した『世紀』の「ドナウ川のほとり」にあるハンガリー動乱をうたった歌なども同じ歌い方だと思われる。(鹿取)

ケンピンスキーホテルの一夜リスト流れ老女知るハンガリー動乱も夢
            馬場あき子『世紀』
夫をなくせし市街戦もはるかな歴史にてドナウ川の虹をひとり見る人

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