かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

馬場あき子の外国詠 175(アフリカ)

2019-02-26 19:37:11 | 短歌の鑑賞
    馬場あき子の外国詠22(2009年10月実施)【紺】『葡萄唐草』(1985年刊)
    参加者:Y・I、T・S、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
    レポーター:渡部 慧子 司会とまとめ:鹿取 未放


175 暁の野草を摘める老いびとら切実の菜といはで籠(こ)を抱く

(レポート)
 朝起きをして自然の中で悠々と野菜を摘んで命を養っているのか、あるいは発展を極める上海の開発において農地を失った人々なのか、何であれ生活のために野に出てつみくさをしているのか、4句にヒントがあろう。「切実の菜といはで」とは否定表現ではあるが、内実は「切実の菜」なのだ。しかしながら人々の生活にいつもそばにあったのであろう「籠」を「抱く」という。時代は激しく変わりつつ、しかししみじみとした暮らしを続けている人々を愛情深く捉えている。(慧子)


(まとめ)
 前回の174番歌「民衆は豊かならねどくつろぎて飲食に就く暗き灯のもと」同様「発展をきわめる上海の開発」は馬場が旅した83年当時には当てはまらないだろう。作物だけでは食が不足するので朝早く籠を持って野草を摘むのである。しかし矜恃のゆえにそんな切実さは見せないで、積み菜を入れる籠を抱いている、というのが作者の解釈なのだろう。そういう精神の丈たかい「老いびとら」に思いを寄り添わせている歌である。(鹿取)



コメント
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