2022年度 渡辺松男研究2の19(2019年2月実施)
Ⅲ〈錬金術師〉『泡宇宙の蛙』(1999年)P96~
参加者:泉真帆、M・I、岡東和子、A・K、T・S、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:渡部慧子 司会と記録:鹿取未放
144 赤翡翠(あかしょうびん)きょろろと宙へ消え去りて哭きたきはわれ垢穢を濃くせり
(当日意見)
★大好きな歌です。「きょろろ」は面白いオノマトペですね。赤翡翠の体型とか動きとか存
在自体の形容のように思えます。鳴き声は辞書で聞いてみるとちょっと違いますが、それ
も含まれている形容かもしれません。結句の漢音垢穢(くえ)の語が響きも美しいし、歌
を引き締めています。(鹿取)
★漢語の垢穢(くえ)をもってこられたところがすばらしいです。(電子辞書で声を聞か
せて)はい、赤翡翠はこんな鳴き声です。「カワセミの一種。大きさはツグミぐらい。背
は朱色、腰は瑠璃色、背面は黄褐色、嘴は長くて赤色。渓流の近くの広葉樹林にすみ、
蛙・昆虫・小魚などを好んで食う…」と広辞苑に出ています。(A・K)
★すごく正統派の歌ですね。声調も美しいし、景を出してから自分の心を述べて、アララギ
に出しても高評価されそう。(鹿取)
★はい、上の句で景を、下の句で心象を述べていますね。赤翡翠という鳥を持ってきた所も
いいですね。(A・K)
★松男さん、野鳥に関係するような仕事もされていたようですね。日本野鳥の会にも入って
いらしたようで。プライベートでも双眼鏡を持ってよく山歩きをされている。(鹿取)
★慟哭の「哭」で「哭きたきはわれ」というのも上手いと思いました。(慧子)
★ちょっと話がそれますが、以前私が「かりん」に「アンチ朔太郎」という渡辺松男論を書
いたら、松男さんからアンチというほど朔太郎が嫌いではありませんというメールが来ま
した。それでいろいろやりとりしたんですが、朔太郎の中では「大渡橋」(郷土望景詩の
中にある)などの調べの張った韻文詩が好きみたいでした。現在、朔太郎の詩にうたわれ
た風景がどんなふうに変貌したかの話もそのときに松男さんから聞きました。私も朔太郎
の前衛的なひらがな感覚の歌よりもちょっと古風で悲壮な韻文調の歌が高校時代は好きで
したね。「大渡橋」の他にも「小出新道」とか。この歌の「垢穢を濃くせり」の声調から
そんなことを思い出しました。赤翡翠がきょろろと宙へ消え去ったのを見て、反射的に
「哭きたきはわれ」という気分になったのですね。赤翡翠がとても崇高に見えて、
〈われ〉の垢にまみれた心身がさらなる穢れをまとった姿を一舜にして感じ取ったので
しょう。慟哭の「哭」で泣くという歌ですが、宇宙の果てで星が哭くとか松男さんに何首
かありましたね。(鹿取)
(後日意見)
鹿取の当日発言中の萩原朔太郎の「大渡橋」の出だし3行を挙げる。
ここに長き橋の架したるは
かのさびしき惣社の村より 直(ちよく)として前橋の町に通ずるならん。
われここを渡りて荒寥たる情緒の過ぐるを知れり
また、宇宙の果てで星が哭く歌は、例えば次の歌。(鹿取)
斧振りし父はるかなりクエーサー激しく宙のさいはてに哭く『歩く仏像』
Ⅲ〈錬金術師〉『泡宇宙の蛙』(1999年)P96~
参加者:泉真帆、M・I、岡東和子、A・K、T・S、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:渡部慧子 司会と記録:鹿取未放
144 赤翡翠(あかしょうびん)きょろろと宙へ消え去りて哭きたきはわれ垢穢を濃くせり
(当日意見)
★大好きな歌です。「きょろろ」は面白いオノマトペですね。赤翡翠の体型とか動きとか存
在自体の形容のように思えます。鳴き声は辞書で聞いてみるとちょっと違いますが、それ
も含まれている形容かもしれません。結句の漢音垢穢(くえ)の語が響きも美しいし、歌
を引き締めています。(鹿取)
★漢語の垢穢(くえ)をもってこられたところがすばらしいです。(電子辞書で声を聞か
せて)はい、赤翡翠はこんな鳴き声です。「カワセミの一種。大きさはツグミぐらい。背
は朱色、腰は瑠璃色、背面は黄褐色、嘴は長くて赤色。渓流の近くの広葉樹林にすみ、
蛙・昆虫・小魚などを好んで食う…」と広辞苑に出ています。(A・K)
★すごく正統派の歌ですね。声調も美しいし、景を出してから自分の心を述べて、アララギ
に出しても高評価されそう。(鹿取)
★はい、上の句で景を、下の句で心象を述べていますね。赤翡翠という鳥を持ってきた所も
いいですね。(A・K)
★松男さん、野鳥に関係するような仕事もされていたようですね。日本野鳥の会にも入って
いらしたようで。プライベートでも双眼鏡を持ってよく山歩きをされている。(鹿取)
★慟哭の「哭」で「哭きたきはわれ」というのも上手いと思いました。(慧子)
★ちょっと話がそれますが、以前私が「かりん」に「アンチ朔太郎」という渡辺松男論を書
いたら、松男さんからアンチというほど朔太郎が嫌いではありませんというメールが来ま
した。それでいろいろやりとりしたんですが、朔太郎の中では「大渡橋」(郷土望景詩の
中にある)などの調べの張った韻文詩が好きみたいでした。現在、朔太郎の詩にうたわれ
た風景がどんなふうに変貌したかの話もそのときに松男さんから聞きました。私も朔太郎
の前衛的なひらがな感覚の歌よりもちょっと古風で悲壮な韻文調の歌が高校時代は好きで
したね。「大渡橋」の他にも「小出新道」とか。この歌の「垢穢を濃くせり」の声調から
そんなことを思い出しました。赤翡翠がきょろろと宙へ消え去ったのを見て、反射的に
「哭きたきはわれ」という気分になったのですね。赤翡翠がとても崇高に見えて、
〈われ〉の垢にまみれた心身がさらなる穢れをまとった姿を一舜にして感じ取ったので
しょう。慟哭の「哭」で泣くという歌ですが、宇宙の果てで星が哭くとか松男さんに何首
かありましたね。(鹿取)
(後日意見)
鹿取の当日発言中の萩原朔太郎の「大渡橋」の出だし3行を挙げる。
ここに長き橋の架したるは
かのさびしき惣社の村より 直(ちよく)として前橋の町に通ずるならん。
われここを渡りて荒寥たる情緒の過ぐるを知れり
また、宇宙の果てで星が哭く歌は、例えば次の歌。(鹿取)
斧振りし父はるかなりクエーサー激しく宙のさいはてに哭く『歩く仏像』
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