ブログ版清見糺鑑賞1 【さねさし相模】2004年4月
かりん鎌倉支部(渡部慧子、鹿取未放)
1 きさらぎの鎌倉の海どこまでもどこまでも晴れ マンマ歌えば
「かりん」1994年4月号
この歌は読んでとても爽快な歌である。二月の晴れわたった鎌倉の海辺を歩きながら「マンマ」を唄っている。材木座海岸であろうか、どこまでも続く砂浜と晴れやかに唄う作者の高揚した姿が見えるようだ。
「マンマ、歌って下さい、あの子守唄を」で始まるこのカンツォーネは、第二次世界大戦中、イタリア兵士の愛唱歌だったという。作者の母は五十代半ばという若さで亡くなっており、その母を愛してやまなかった作者は切なく懐かしく母を偲びつつ「マンマ」を唄っていたのだろう。
聞くところによると、作者が中学時代、一家は江ノ島近くに家を借りて一夏を過ごしたことがあったそうだ。長く結核を病みやっと快復した父親は、この時作者たち兄弟に泳ぎを教えた。この一夏は人生でいちばん輝かしい思い出だったらしい。
ちなみに、作者は中学時代オペラ歌手になるのが夢だったそうで、都々逸からオペラのアリアまで何でも唄えたし、何を唄っても上手だった。(鹿取)
※ 日本語では海の中に母がいる。フランス語では母(la mère)の中に海(la
mer)がある。 三好 達治(フランス語表記は、鹿取加筆)
かりん鎌倉支部(渡部慧子、鹿取未放)
1 きさらぎの鎌倉の海どこまでもどこまでも晴れ マンマ歌えば
「かりん」1994年4月号
この歌は読んでとても爽快な歌である。二月の晴れわたった鎌倉の海辺を歩きながら「マンマ」を唄っている。材木座海岸であろうか、どこまでも続く砂浜と晴れやかに唄う作者の高揚した姿が見えるようだ。
「マンマ、歌って下さい、あの子守唄を」で始まるこのカンツォーネは、第二次世界大戦中、イタリア兵士の愛唱歌だったという。作者の母は五十代半ばという若さで亡くなっており、その母を愛してやまなかった作者は切なく懐かしく母を偲びつつ「マンマ」を唄っていたのだろう。
聞くところによると、作者が中学時代、一家は江ノ島近くに家を借りて一夏を過ごしたことがあったそうだ。長く結核を病みやっと快復した父親は、この時作者たち兄弟に泳ぎを教えた。この一夏は人生でいちばん輝かしい思い出だったらしい。
ちなみに、作者は中学時代オペラ歌手になるのが夢だったそうで、都々逸からオペラのアリアまで何でも唄えたし、何を唄っても上手だった。(鹿取)
※ 日本語では海の中に母がいる。フランス語では母(la mère)の中に海(la
mer)がある。 三好 達治(フランス語表記は、鹿取加筆)
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