馬場あき子の外国詠59(2013年12月実施)
【発光 武寧王陵にて】『南島』(1991年刊)P90~
参加者:K・I、崎尾廣子、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:崎尾 廣子 司会とまとめ:鹿取 未放
423 永遠(とは)の眠りしづかに暗く求めたる王は朽ちゐき宝冠の辺に
(レポート) (崎尾)
■武寧王陵石室
百済中期の都・熊津(ウンジン)、現在の忠清南道公州(コンシュ)にある。町の北西丘陵上
にある宋山里古墳群中にあり、処女墳の状態で発見された。中国南朝墓制の影響を受けた磚室
形式である。羨道にあった墓誌から墓主の名が武寧王(斯麻(しま)王)であることが判明し
た。磚室は、粘土を焼いて煉瓦のように作ったもの。(図説韓国の歴史・河出書房新社)
(当日発言)
★長い間この王は発見されなかったのよね。発掘されずに静かに眠りたかったかもしれないけど、
発掘されて王冠の辺りに朽ちた状態で見つかった。(曽我)
★いくら王たる人が永遠の眠りを求めても体は朽ちてしまって王冠だけが残っている、そういう
ことだと思います。(慧子)
★それだと、体が朽ちたら永遠の眠りではない、ということになりますよね。そうではなくて、王
様は人目に触れずに永遠に墓の中にいたかったということでしょう。だけど発掘された。(鹿取)
★私は発掘されてみんなにさらされることに疑問を感じている。(崎尾)
★昔の王様のことだから過去にしてもいいのに、「求めたる」と現在形にしているのはどうして
でしょう?連綿と続いているということ?(慧子)
★「たる」は現在形ではなく完了の助動詞ですよね。「し」って過去より、完了を使うことで王
様のこころを身近に引き寄せているんでしょうね。(鹿取)
(追記)(13年12月)
〈KONEST〉という韓国の観光案内記事に「武寧王陵は、1971年に6号墳の排水工事の際に偶然発見されました。当初は古墳内部を一般公開していましたが、史跡保存のため1997年7月以降中止され、現在は観覧できなくなっています。武寧王陵からは冠装飾や耳飾り、腕輪、首飾りなどの20,906点もの副葬品が発見され、そのうちの12種類、17点が国宝に指定されています。」
「<宋山里古墳群模型館>1997年に武寧王陵の内部の公開が禁止され作られた模型館。5、6号墳と武寧王陵の内部が再現されています。実物の大きさで作られており、6号墳、武寧王陵の模型は中に入って観覧できるようになっています。また、武寧王陵の中から出てきた副葬品のレプリカや、武寧王陵の築造過程の模型なども展示されています。」とある。
馬場の旅は1987年なので、本物の古墳内部を見学したのだろう。
「発掘は王の眠りを妨げる」という意見が出たが、今日読んだ「邪馬台国大研究H・P」によると、武寧王陵が発掘される折、「王の眠りを妨げるな」というデモが発掘現場近くで行われたそうである。(鹿取)
【発光 武寧王陵にて】『南島』(1991年刊)P90~
参加者:K・I、崎尾廣子、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:崎尾 廣子 司会とまとめ:鹿取 未放
423 永遠(とは)の眠りしづかに暗く求めたる王は朽ちゐき宝冠の辺に
(レポート) (崎尾)
■武寧王陵石室
百済中期の都・熊津(ウンジン)、現在の忠清南道公州(コンシュ)にある。町の北西丘陵上
にある宋山里古墳群中にあり、処女墳の状態で発見された。中国南朝墓制の影響を受けた磚室
形式である。羨道にあった墓誌から墓主の名が武寧王(斯麻(しま)王)であることが判明し
た。磚室は、粘土を焼いて煉瓦のように作ったもの。(図説韓国の歴史・河出書房新社)
(当日発言)
★長い間この王は発見されなかったのよね。発掘されずに静かに眠りたかったかもしれないけど、
発掘されて王冠の辺りに朽ちた状態で見つかった。(曽我)
★いくら王たる人が永遠の眠りを求めても体は朽ちてしまって王冠だけが残っている、そういう
ことだと思います。(慧子)
★それだと、体が朽ちたら永遠の眠りではない、ということになりますよね。そうではなくて、王
様は人目に触れずに永遠に墓の中にいたかったということでしょう。だけど発掘された。(鹿取)
★私は発掘されてみんなにさらされることに疑問を感じている。(崎尾)
★昔の王様のことだから過去にしてもいいのに、「求めたる」と現在形にしているのはどうして
でしょう?連綿と続いているということ?(慧子)
★「たる」は現在形ではなく完了の助動詞ですよね。「し」って過去より、完了を使うことで王
様のこころを身近に引き寄せているんでしょうね。(鹿取)
(追記)(13年12月)
〈KONEST〉という韓国の観光案内記事に「武寧王陵は、1971年に6号墳の排水工事の際に偶然発見されました。当初は古墳内部を一般公開していましたが、史跡保存のため1997年7月以降中止され、現在は観覧できなくなっています。武寧王陵からは冠装飾や耳飾り、腕輪、首飾りなどの20,906点もの副葬品が発見され、そのうちの12種類、17点が国宝に指定されています。」
「<宋山里古墳群模型館>1997年に武寧王陵の内部の公開が禁止され作られた模型館。5、6号墳と武寧王陵の内部が再現されています。実物の大きさで作られており、6号墳、武寧王陵の模型は中に入って観覧できるようになっています。また、武寧王陵の中から出てきた副葬品のレプリカや、武寧王陵の築造過程の模型なども展示されています。」とある。
馬場の旅は1987年なので、本物の古墳内部を見学したのだろう。
「発掘は王の眠りを妨げる」という意見が出たが、今日読んだ「邪馬台国大研究H・P」によると、武寧王陵が発掘される折、「王の眠りを妨げるな」というデモが発掘現場近くで行われたそうである。(鹿取)
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