かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

清見糺の短歌鑑賞 236、237、238

2022-10-20 10:55:03 | 短歌の鑑賞
     ブログ版 清見糺の短歌鑑賞    
                      鎌倉なぎさの会  鹿取 未放


236 びょういんないゆくえふめいとなりにけりしんやくるしみだしたるおきなは
                 2003年7月作

 全ひらがなで少しわかりにくいかもしれないが、「びょういんないゆくえふめい」とはつまり大部屋から重病患者用の個室かICUなどに行ってしまったということだろう。その先には多くの場合、霊安室が待っている。いずれにしろ大部屋の患者達には行く先は教えられない。同室だった患者達は、深夜苦しみだしてそのままどこかへ連れて行かれたきり戻ってこない老人のことを案じながら、明日は我が身と思っているのだ。
 ベッドの足元の方に下げられた食事用のテーブルに箸箱がひとつ乗ったきり一週間も一〇日も戻ってこない隣のベッドの老人がいた。その人のことを詠んだのだろう。


237 れんらくのとれぬところへゆきにけりりんじんとして在りしおきなは
              2003年7月作

 236番歌(びょういんないゆくえふめいとなりにけりしんやくるしみだしたるおきなは)から何日かが過ぎた。236・237番歌は「かりん」に採られなかったが作者は気に入っていた歌のようで、この歌は「りんじんとして在りし」が良いと自賛していた。大部屋の隣のベッドで何日間かを並んで眠った老人が、とうとう連絡のとれないあの世へ行ってしまったのだ。


238 とびらみなととざされし廊下ゆく死者のしずかなること無限のごとし
                          2003年7月作

 扉が皆閉ざされるとは病室の扉のこと。病院で死んでしまった人を運ぶときは、ボタン一つの操作で全ての病室の扉が閉ざされるのだそうだ。その廊下をストレッチャーに載せられた死者が霊安室に運ばれてゆくのだ。その時、息をひそめて室内にいる病人たちはどんなに恐れおののいていることだろう。


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