かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 206

2024-02-21 11:16:49 | 短歌の鑑賞
 2024年版 渡辺松男研究 25(15年3月) 
   【光る骨格】『寒気氾濫』(1997年)86頁~
    参加者:S・I、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:渡部 慧子  司会と記録:鹿取 未放
    

206 暴風雨に錯乱をする竹の叢 一遍らかく踊りしならん

      (レポート)
 剛と柔を併せ持つ竹は、暴風雨にまさしく錯乱するかのごとくゆれているのだが、一遍らの踊り、つまり念仏踊りへと作者の思いは及ぶ。居住まい正しい座禅がある一方、一遍らの念仏踊りの衆生の手の振り、足腰の自由さなど風雨にゆらぎながら折れない竹の叢にかさねられたのだろう。念仏踊りの絵図を見た経験から、作歌上のこのような飛躍を楽しく思う。(慧子)


    (当日意見)
★作者はこの奥にあるものをみてらっしゃるのかなあ。この時代には元寇(げんこう)
 などの社会 的背景があって、人々は不安にかられていた。(S・I)
★「錯乱をする竹の叢」の形態から一遍の踊り念仏を想像する。何とか大衆が救われる
 ように願った一遍は、一度念仏を唱えれば救われるんだよ、極楽浄土に行けるよと、
 貧しく文字も読めない人々に説いた。その教えを信じた人々が狂乱して踊った、その
 求めの懸命さとかエネルギーを暴風雨に激しく揺れ動く竹群のイメージに重ねてい
 る。それは「一心は虚空にありて雲雀とは囀り よりもしげき羽たたき」の雲雀の羽
 たたきの一心とか、少し前に出てきたキェルケゴールの神に真向かう真摯さとも通じ
 ると思います。(鹿取)


        (後日意見)
 食べることもままならず、正体もわからぬ外敵や病気にも襲われ、将来も見通せず、不安が蔓延する世の中、一遍上人と共に、仏の救いを求め、念仏を唱えながら踊り狂った人々。その姿を、荒れ狂う嵐にしだかれ揺さぶられる竹林に重ねる作者。南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏…「錯乱する」竹叢から、来世の幸せを願う多くの人々の念仏の声が湧き上がってくるようです。飛躍しすぎかもしれませんが、追い詰められデモ行進する人々、武器を持って侵攻するIS軍までが「錯乱する」竹叢のイメージに重なってきてしまいました。(T・H)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 渡辺松男『寒気氾濫』の一首... | トップ | 渡辺松男『寒気氾濫』の一首... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

短歌の鑑賞」カテゴリの最新記事