かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男の一首鑑賞 1の30

2020-06-03 17:55:59 | 短歌の鑑賞
    改訂版渡辺松男研究4【地下に還せり】(13年4月実施)
      『寒気氾濫』(1997年)12~
      参加者:崎尾廣子、鈴木良明、曽我亮子、鹿取未放
      司会と記録:鹿取 未放(再構成版)

              
30 寒雲をひとつ浮かべてしずまれる空そのものの無言 父の背

 ★寒雲と言った場合寒々としたわびしさのようなものが感じられる。それを父の
  背が映し出している。身体によるメッセージだ。身体としての言葉が背中とか
  に表れてくる。ニーチェの言葉をあえて出すと、「私は身体である。霊魂とは
  ただ身体に属するあるものをあらわす言葉にすぎない。身体は一つの偉大な理
  性である。」(「ツァラツストラ」身体を軽蔑する者たちについて)と言ってい
  る。普通われわれが考えているのとは逆のことを言っている。まあ、ニーチェ
  が言っているからというのではなくて日本人だと無言の父の背中は分かるとこ
  ろがある。空は何も言わないけれど無言のメッセージを放っていて、父の背も
  そうだ。映画で言うと高倉健のよう。(鈴木)
 ★父の背中から非常に通俗的な読みができる歌はたくさんあるだろうけれど、
  この歌はとてもスケールが大きくて通俗性を全く感じない。評者は叙景と言っ
  ているがそうなのかな?一字あけの前後がイコールで結ばれている訳ですが、
  「寒雲をひとつ浮かべて」いるところまでは叙景だけど、しずまれる空を無言
  ととらえているところはいわば比喩であって叙景ではない。これが渡辺さんの
  歌い方だと思う。通俗的になりがちな父の背を、精神の高みに導いてくれるよ
  うな歌い方に魅力を感じる。(鹿取)

  

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