かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男の一首鑑賞 1の24

2020-05-19 19:24:26 | 短歌の鑑賞
    改訂版渡辺松男研究3【地下に還せり】
      『寒気氾濫』(1997年)12~
      参加者:崎尾廣子、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
       司会と記録:鹿取 未放(再構成版)


24 一本の樹が瞑想を開始して倒さるるまで立ちておりたり

★倒されるのが近いから樹は瞑想を開始したという崎尾さんの意見には反対です。
    (曽我)
★ではなぜ瞑想を開始したかは考えなくていいということ?(崎尾)
★私も倒されるのを察知して瞑想を開始したとは読まなかった。瞑想するような樹
 も倒されることがあり、それは知徳しているのだと思う。(慧子)
★倒されるのは人間にか、自然にか分からなかったが、風雪に倒されると解釈して
 みた。(崎尾)
★私は人間が倒すのだと読んだ。目がある樹なら瞑想しようと考える樹もあるだろ
 うし、人間のように悟りを開きたいと考える樹もあるかもしれない。あるいは悟
 りを得たいなどの損得勘定?も抜きにして、ただ瞑想したい樹だってあるだろう。
 樹が動かないということに作者は深い思い入れがあるようで、この樹は瞑想した
 くなったから瞑想していた、それだけ。たまたまその樹を人間が勝手に伐ってし
 まった。でも、だからひどいというのではないのだろう。(鹿取)


           (後日意見)(2020年5月)
 木の瞑想という共通項だけを取り出せば馬場あき子にも次のような歌がある。
木の深い瞑想の中にあつたのだが木蓮はだまつて雨の朝咲く
『世紀』(2001年刊)




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