かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

馬場あき子の外国詠 324、325 トルコ⑨

2024-05-17 10:37:08 | 短歌の鑑賞
 2024年度版 馬場あき子旅の歌44(11年10月実施)
     【コンヤにて】『飛種』(1996年刊)P146~
     参加者:泉可奈・N・I、K・I、崎尾廣子、藤本満須子、
         T・H、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:T・H 司会とまとめ:鹿取 未放
                     

324 トルコタイル陽をうる時の美しさ見上げゐてここに斃れしいもうと

      (当日意見)
★妹さんは美に殉じた。(慧子)


      (まとめ)
 妹さんが亡くなられた神学校は彫刻が美しいことで有名で、それ故に現在は彫刻博物館になっているそうだが、もちろんブルーのタイルも美しいに違いない。タイルを見上げていて斃れたというのは作者の想像か、それとも同行者がそう伝えてくれたのか。いずれにしろ「斃れしいもうと」と体言止めにして結句に万感を込めている。(鹿取)


325 水涸れし瞑想の泉に膝つきてかの日いもうとがみしものを見む

     (レポート)
 今、瞑想の泉には水が無い。そこで先生は、その淵に膝を付き、いもうと様が、かつての日に見ようとされたトルコタイルの美しさを仰ぎ見ようとされておられる。そこにはいもうと様への鎮魂の感情も流れている。(T・H)


     (当日意見)
★「膝つきて」で鎮魂の気持ちを表している。(慧子)
★亡くなった方はタイルの美しさだけに見ほれていたのだろうか。もしかしたらタイル
 の向こうにトルコの歴史、民俗、政治等さまざまなもの、宗教的な人間存在とは何か
 を見ていたのではないか。何と言っても場所は「瞑想の泉」なのだから。と、作者が
 思ったかどうかは分からないが、少なくとも今作者は、眼前に見える建物や風景の美
 しさだけを見ているのではない。「見む」は意志であるから、作者はいもうとが見て
 感じたことの追体験をしようとしている。(鹿取)


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