De cela

あれからいろいろ、昔のアルバムから新しい発見まで

日本人はどこから来たか

2013-01-22 20:39:49 | 日本人起源説
私は朝鮮半島からの征服民族か、南方から来た先住民族か、どちらの血を多く引き継いでいるのか・・・などルーツを考えるのが楽しい。というか、現在の歴史解釈はいろいろあってまだ安定していないからロマンが広がるから無責任なことも言える。

昨日の夕刊で関連する記事を見つけた。旧石器時代から朝鮮半島と交流があったという証拠が出た。こういうときには必ず朝鮮半島からの渡来、交流という説が出るがその逆は本当に無いのか。
この場合は九州から朝鮮半島に剥片石器の文化は伝わったと考えるのが妥当。



日本列島に半島から騎馬民族が繰り返し押し寄せ、その最後の朝廷が大和朝廷で、すなわち今の皇族と我々である。その前は、石器時代、縄文時代を含め南方から民族が北上してきたに違いないというのが私説。

倭人と言われた民族は九州から朝鮮半島(百済)に分布していてよく似た顔と同じ言葉を話していた。百済が滅亡して朝鮮半島は中国の影響を強く受け、日本との違いが広がった。

最近テレビがハイビジョンデジタル化して人の顔がしわまでわかるようになり、日本人に残されたわずかな南方民族の特徴も見分けられるような気がする。南方系は詩歌・音曲・芸能を良くする平和な民族だが、国を動かしているのは主に半島からの征服民族である。

ホモサピエンスはアフリカの一人のミトコンドリアイヴから生まれた。そして脱アフリカの後、南北に分かれて東へ。先端を進む民族は後から来る先進的な民族に追われ、混じり合っていくつかの人種を作った。
脱アフリカの先駆者は南アメリカの奥地に住む原住民、インドネシアの離れ島に住む原住民、オーストラリアのアボリジニとして残されている。






神話横取り説

2012-08-22 10:15:17 | 日本人起源説
2011-9-19、このころ私は日本人起源説を書き込んでいた。
そこで、記・紀は神話とは言え、事実に基づいたもので、その後の日本を作り上げた騎馬進駐民族によって横取りされたというような説を述べた。
全く同じようなことを言っていそうな本があることがわかった。
図書館で検索したが市内でただ一冊が貸し出し中ですぐには読めない。
でも、題名から大方のことは想像つく。
記紀横取り説が正しければ倭人伝からの歴史のつながりが理解できる。



川の流れのように人類が流れていく。
日本列島においては古代、多くは南から北へと人類が移動していった。何千年かけて・・・。
先に到着した民族が後から来る民族によって北へと押しやられる形で・・・。
共通した特徴は、海洋民族であり平和的民族だったのだろう。
しかし、次第に北方からの移住勢力がこの列島を支配するようになる。
そして、北方騎馬民族のまとまった襲来で政権が握られた。
その政権がそれまでの列島の伝説を日本で初めての文書として記・紀を作った。
万系一世の皇国史観が出来上がった。
もしかすると、記・紀以前の文書は抹消されたのかもしれない。

正しくはないかもしれないが
政治経済で日本の中枢を握る人々は、長い間この北方騎馬民族の血を多く引く人たち、
芸能・文芸では南方系の血を多く引く人たち
もはや血は入り乱れて区別はできないが、統計的には有意差があるような気もする。
しかし、いま南方系特有の顔つきをした首相が政治を治めている。
政治をやるものは好戦的な血をひくものでなければダメなのかもしれない。

魏志倭人伝では倭人は全身入れ墨をして貫頭衣をまとっていた。どうも大和朝廷の祖先とは思えない。
『盗まれた神話』を読んだら、また書いてみよう。

日本人の起源(3)

2011-09-20 14:32:00 | 日本人起源説


日本語の起源について韓国人の金容雲という人がごく最近主張している
「日本語の正体」で、日本語は百済語という主張をある程度受け入れる。
ある程度というのは、現代韓国人の史観では、
日本文化のことごとくが韓国を起源とするという一方的な説が強いのが鼻につくからである。
古代遺跡の中に韓国と日本で同じようなものが発掘されるたびに
韓国起源論、韓国の影響と韓国人優位論を展開するが、
それは日本人が朝鮮半島に置いてきた文化という方が正しい。
朝鮮半島はその後(白村江の戦い後)完全に中国の支配下になり、
一気に中国化が進む。日本は半島に置き去りにした技術を取り戻すために、
繰り返し技術者を日本に拉致した。
これが朝鮮文化の日本伝承の背景である。
その後豊臣秀吉の朝鮮出兵や西郷隆盛の征韓論が出てくるのは
こんな歴史の遺伝子を日本人が持っているからではなかろうか。

確かに金容雲氏の言うように、日本語は百済民族の言葉と共通で、
日本語の中に色濃く残っているに違いない。
新羅や高句麗を基とする現代朝鮮語と日本語の間に大きな差が出来てしまった。
万葉時代、朝鮮語と日本語は通訳なしで解せる方言の違い程度しかなかったと言われる。

もうひとつ、理解を苦しめるのは日本語である。
日本語はウラル・アルタイ語系に属するSOVの語順をもつ言語であり、
日本語と朝鮮語の特徴である。
世界では圧倒的にSVO語順の言葉である。
大きな影響を受けたはずの中国からも話し言葉に中国語の影響はわずかである。
南方系民族の言葉がSOVであるかどうか定かでないが、琉球語もアイヌ語もSOVである。
もし、古代琉球語やアイヌ語がSVO語順であれば、
弥生人は半島から日本の真ん中に割って入ってきたと言えるのだが。
南方系民族といってもやはり中国大陸華南の少数民族の流れだと思う。
彼らの言葉がSOV語順であったという証拠はあるのだろうか。
言語が支配者によって替えられるということは、
古代においては不可能なことであったはずである。
むしろ支配者といえども少数民族が現地の言葉を取り入れていく方が多かったと思う。
現に、少数民族支配の代表的事例として清朝が漢語を用いていた。


清張の「古代史疑」でも最後に、
「大陸から朝鮮半島を経由し、直接日本に侵入し、
倭人を征服・支配したある有力な騎馬民族があり、
その征服民族が大陸系北方複合体を自ら帯同してきて、
日本に普及させた・・・。」としている。
北方複合体をもってきたと無理にこじつけるよりは、
日本本土に定着していた文化・制度に彼らが同化したという方が無理が少ない。


【一応結】

日本人の起源(2)

2011-09-19 21:15:14 | 日本人起源説


弥生文化の始まったころ、倭という民族は九州、奄美群島から琉球、
朝鮮半島南端に広がっていた南方系海洋民族だった。
日本列島に散らばる民族もほぼ南方系を中心とする人種であった。
倭国もこの民族の国家である。

畿内に大和朝廷が築かれたころ、突然日本民族は騎馬民族にすり替わっている。
ここが危険な私の仮説である。
そのころ騎馬民族と言えばアジア北方民族であり、その影響を受けた中国である。
海を渡る手段をもてば、1万足らずの北方騎馬民族が朝鮮半島より日本に渡り、
一気に日本を征服するのは容易である。
少数民族支配はあの中国でも長い清朝が続いた事実がある。
弥生のころから、次々と半島経由の民族が日本に押し寄せ、
民族的にも征服者の受け入れ態勢はできていたと思える。
鎌倉時代の元寇は失敗したが、弥生時代のそれは成功していたのである。

冒頭、日本民族の疑問として日本語と顔つきといった。
南方系人種の瞼は二重である。ご存知の通り北方モンゴル系は一重が多い。
日本人は比率的に二重が多いと思う。
最近地デジになってテレビ画面の精彩度が急に上がって、毛穴まで見えるようになった。
そこに映る日本人の目を見ると一重瞼は少数派と見える。
整形手術の影響か・・。
瞼は別にしても日本人の顔つきは概して朝鮮系である。
しかし、東南アジアの少数民族の中に、
まさに日本人の特徴を備えたクリッとした目をもつ少女の顔をよく見る。
私の好みの期待論かもしれないが。

大和朝廷は北方民族の征服者説の一つの理由は、
万世1系の天皇家が典型的な一重瞼であるということである。
では、古事記・日本書紀の記述は何か。
これは口伝の継承伝説ではあるが、日本を征服した少数騎馬民族が融和策の意味もあって、
天皇史を横取りした。

朝鮮半島南端も倭人と言ったが、百済王国は倭人系で成り立ち、
言語も日本と共通であった。
百済が滅亡し、日本に逃げ伸び、その時の王が大和朝廷を作ったとも考えたが、
百済人が果たして騎馬民族といえたかどうかが疑問である。
朝鮮との交流は白村江の敗戦でその後途絶えた。

((続く))

日本人の起源

2011-09-18 14:55:32 | 日本人起源説

松本清張の「古代史疑(昭和48年)」と岡田英弘の「倭国」を借りて読んだ。
今の時点で正確には後者は読み途中である。

私が日本古代史にほんのちょっと関心があるのは、やはり我々日本人はどこからやってきたかという疑問である。
今日現在も邪馬台国九州説も畿内説も決着がついていないし、この2冊を読んでその疑問が解消したわけではない。
ただ、私の仮説もますます怪しくなってきたという印象はある。

私は、日本語と日本人の顔つきの分類から、どこからきたかの疑問が付きまとっている。
それを説明してくれる書物が無いかなということである。

結論を先に言えば、日本民族の基底は南方系すなわち華南・東南アジア系の人たちで、
大和朝廷を築いたのは半島系ないし北方系民族であったという考えである。

人は長い年月の間大河の流れるごとく大陸を、そしてこの列島を流れて行った。
1万年、5千年規模で考えれば、南北双方から多くの人がたどり着き、
あるときは合流し、あるときは海に突き落とし、あるときは押し返した。

縄文人がどこへ行ったか、弥生人はどこから来たかという論争が今の日本人起源論の中心だと思う。
日本列島が大陸と地続きの時代があったとしても、
最初に人類がこの地に踏み込んだ時から日本人は始まっている。
私は島伝いに南から来た民族の方が多かったと想像している。
北からの民族は温暖な方向に流れやすかったはずだが、
いっとき南は沖縄から北は樺太まで南方系民族が広がっていったとみている。
私は琉球民族とアイヌ系はほぼ同一の種族かと思っている。

古代に海を渡るのは危険でほとんど不可能かの様に感ずるが、
海路の移動の方が陸路よりはるかに速く、成功の確率は高かった。
陸路は山川の障害物の上に、民族同士の衝突を乗り越えなければならず困難を極めた。
航海に使われる船が丸木舟であったとしてもである。
海路を南から北上して琉球や九州にたどり着いた南方民族にしてみれば、
さらに北方に海を利用して進出するのはたやすかったのではないか。

((続く))



日本語の正体

2009-10-15 23:38:02 | 日本人起源説
金 容雲著「日本語の正体」
新聞広告からネットで購入。韓国でベストセラーだそうで・・。
私は日本語の特殊性にもともと関心を持っているが、この本は、日本語は韓国語の亜流であるという主張が述べられているであろうことは読む前から想像はついた。私も、やまとは朝鮮半島から渡ってきた民族によって建国されたものという説を支持している。そして、今の韓国語との差がどうして生まれたかがわかるかもしれないと興味を持って購読した。

この本は韓国語からの翻訳だと思うが、語源や発音の変化の解説は韓国語を全く知らないものにとっては読みにくいものである。しかし、日本語が、いや日本人が朝鮮半島から押し出された百済の民によって形成され、その後の朝鮮半島の民族は当時の唐との関係から韓国語のほうがより変化して行ったものであるという予測はほぼ一致した。

私は、カタカナで表すのにふさわしい1子音と1母音とから1音節を作る日本語は他の言語がsoundであるのに対して日本語がcode(符号)であり、符号の組み合わせで単語が「作られ」たものではないかという仮説を持っている。わずかな音節の種類の組み合わせで表現できてしまう日本語は朝鮮半島に渡る前からどこかに生まれ、日本に根付いたものだろうか。この辺の疑問に答えてくれる著書ではなかった。

今、私が書いている構文もSOV語順のために一番最後に来る動詞や肯定か否定かをあらわす単語を読むまでは意味が全く分からない。もしかして、同時通訳者のためにも日本語も意識的に動詞や結論を主語に近いところに持ってくるような表現努力をしないといけないかもしれない。

マヤ文化の源流は縄文人

2006-06-22 12:35:58 | 日本人起源説
日本の調査隊がペルーで4800年前の遺跡を発見
私は、長い人類の歴史の中で考えれば、日本の文化はすべて渡来という固定した考え方は出来ないと思っている。古代に、日本列島から発信されて発展した文化があってもおかしくない。そこで、5000年前、日本列島に住んでいた縄文人が集団で海を南下し、サモア諸島に移り住むとともに、一部は南米西海岸にたどりついたという説を信じている。現実に縄文土器と同じものがペルーの海岸近くで発見されている。しかし、マヤ文明に縄文人を結びつけるのは無理があった。4800年前の遺跡があったとすると、それより200年ほど前(このスケールの年代誤差は100年以上あるが)たどり着いた縄文人の子孫が築いたとする可能性も残されたことになる。

日本人のDNAの中に縄文人の痕跡は残っていると思われる。それが現在のペルー人と一致すればこの仮説は相当近いのではないか。あくまでも空想・仮説だが、モンゴル系民族がユーラシア大陸北部からアメリカ大陸に渡り、次第に南下したのがいまのインディオと固定的に考えることはない