De cela

あれからいろいろ、昔のアルバムから新しい発見まで

庭仕事ひさしぶり

2011-03-30 21:46:20 | ガーデニング
急に春らしくなり、大変に遅れたガーデニングを始めました。

セリンセ。元気のよい株からはつぼみらしきものが見え始めました。


コヒガンザクラが遅れを取り戻すように一気に咲き始めました。明日は満開でしょう。


ウッドデッキのステップの作り直しに着手すべく、ロイヤルホームセンターから資材購入。本日はこの写真の部分を分解、ごみ集積所に持ち込める形に始末。

福島原発
一歩も良い方向には進んでいません。夕食時のニュースを見るのはつらいです。消化もよくありません。
今の電力事情が日本経済にもたらす影響は、ニコニコしながら語れる状況のものではありません。
「1~4号機は廃炉になると思います・・・?」思うではなく、確実に廃炉です。廃炉にしたら終わりというわけでなく、ずっとコストのかかる管理状態に置かなければならないことは確かですが・・。

さて、今後のエネルギー政策を真剣に考えなければなりません。私は、原発は、リスクを織り込んで、決して安全でなくむしろ大変な危険なものという認識のもとに国民が選択する前提で容認派でした。原発ルネッサンスは安全技術の進歩を伴うと楽観していました。
しかし、大きな間違いでした。リスクとは犠牲と引き合わない膨大なコストがかかることが証明されました。
これだけのコストをかけるなら、効率の悪い自然エネルギーの活用と技術改革に金をかけた方が良かった。
自然エネルギーには無限の可能性がある。大資本を動かす人には魅力がなさすぎるのが発展を遅らせた理由であろう。夏の太陽も、冬の雪も、我が家の地下100メートルの安定した温度も、みんな活用できるエネルギーだ。
山も川も、無駄に作った治水ダムも、活用できるエネルギー源が一面に広がっている。原点に返って多様なエネルギーの征服のために人智を集めよう。

遅い歩みでも春は来ています。被災地も・・

2011-03-29 15:54:40 | ガーデニング
今日は暖かくなりました。遅い足音ですが春が聞こえてきます。クレマチスの花の準備やらを行いました。




 年度末でいろいろな事務作業をしています。
しかし、こんなことをやっていて良いのだろうかと自問自答しています。
これが社会の役に立っているのだろうか、今の自分のやることだろうか。

 ちょうど今、我が家を訪ねてきた学習塾をやっている人に自分の疑問を聞いてもらいました。もっと大切なこと、もっと役にたてられることがあるのではないか・・。
答えは、「今やっていることが大切・・」。
と、言ってもらえることが分かっていて、聞いてみただけ。

 机に向かってみて、やっぱり違う。問題は、今投げ出すことができないだけ、と気がつく。
 人々を信じよう。こんなときに小さな瑕疵をあげつらうより、前向きなことを考え、形に残ることをすべきだ。「小さな一歩」は目の前にたくさん広がっている。

 正義と言えば聞こえは良いが、それで溜飲を下げて自己満足しているだけではないか。

 悪い奴はどんな時にも生まれる。これが世直しの役に立つものにならないことは確か。自分だって、立場が変われば小さな悪さをするかもしれない。


 といって、この齢(よわい)で被災現地に飛ぶわけにもいかない。足手まといをになるわけにもいかない。いずれこの地にも訪れる災難に少しでも立ち向かえる小さなつながりを準備することならできるはず。気持ちを託す一回り若い仲間を探せば、それは私と同世代の助けにもなる。

 毎日見せつけられるこの悲惨から、このショックから当面立ち上がれそうにない。

規制緩和・特例法を

2011-03-21 12:05:12 | 震災と復興
やはりこんな法が復興を邪魔している

避難者の役に立てるよう、流れ着いた車のガソリンを抜いたり、プロパンボンベを活用したり、自販機の飲料を抜き取ったりすることができるサバイバル的緊急避難条例を即立てるべきではないでしょうか。

救援活動に邪魔な車を撤去することもできないなんてあまりにも愚かな規制だと思う。

この考え方に厳密に従えば、家の一部だった木切れを燃やして暖をとることも窃盗なのだろう。
あとで窃盗罪で逮捕されるとしても、生き延びる命がある限り、救援が来ない限りやるしかないのでは。
特に自転車に対しては警察も過剰に反応する。後であった場所に返すとして、直せるまたは使える自転車も活用すべきではないか。

こんご、がれきの撤去には大変な時間と労力がいる。その処分のコストと環境への影響も膨大である。集められた木材(木切れ)は燃料資源として再利用できないだろうか。東北地方に木質ペレットを燃料とする暖房機を普及させ、廃材からペレットを生産する。震災廃材は1年も持たずに使い切るかもしれないが、その後は森林の間伐などで日本には資源は十分ある。

広瀬隆の見方

2011-03-20 11:07:23 | 環境


米国、世界の見方は広瀬氏寄りだと思います。
ロスの娘から、(チケットが買えるうちに)アメリカに避難してくれと再三電話やメールが来ました。
NHKの言っていることとCNNの言っていることが違う。オバマさんさえ日本政府は国民になにか隠している・・と疑っている。
3号炉の爆発のとき、日本(東電?)はさじを投げたかという論評もあったようです。

その後、私もCNNを時々見ていますが、日本不審のトーンは減っているのではないかという感じですが。

その後、決死隊的な動きが気持ちを落ち着かせてくれています。祈るしかありません。
私はどんな結果になろうとも、どんな親切な誘いがあろうとも日本から脱出する気持ちはありません。

我々が知識を持つことは大切です。
私の世代、中学の理科の教科書に、確かに放射線(α、β、γ線)の説明があったのを鮮明に覚えています。キューリー夫人の物語が国語の教科書に載っており、『臨界』という言葉も覚えました。それ以来特に放射線に関して学んだことはありませんが、子供のころの教育はしっかり記憶に残るということだと思います。いま、NHKのキャスターもその知識は持ち合わせていないようです。とっくの昔に教科書からは消えているのでしょう。

日本人の共通する知識として、この分野の教育は復活してほしいと思います。

固いコヒガンザクラのつぼみ

2011-03-09 14:13:09 | ガーデニング
まだ固く小さなコヒガンザクラのつぼみ・季節はどうなったの


それはともかく、
ケビン・メア米国国務省日本部長と言う地位のおバカさんの発言は痛く心に突き刺さりますね。
あれが米国人の、もしかして日本人を説明する時の本音なのかもしれません。

昔はサルと言われました。

その講義のノートを公開したのは日系4世の学生。
日本人の血を引く彼がその場に居なかったら、そのまま講義を聞いた学生たちの知識の中におさまっていったのか。

沖縄人はゆすりの名人、ゴーヤもまともにに栽培できない、すなわち思い切り無知の人種と言いたかった。

日本人は、これから外交的いじめの餌食にされる。
その中で、アメリカとの間に築いた信頼関係は唯一の慰めである。
理不尽な基地問題を抱えてはいるが、少しでも長くこの国との関係を続けないと、自由にものも言えない他の外国勢力と入れ替えになる可能性もある(私の未来論)。

日本は明らかに折り返し地点に到達した。この先は日本人のdecisionである。政治に対する甘えで今まで通り気楽に保護される人も産業もない。

重い雪、重い世相

2011-03-07 10:52:26 | 話題・問題・ひとこと
去年は早すぎる春の後に冬の舞い戻り。
今年は遅い春。
温暖化現象で桜の開花がだんだん早まっていた・・・と思ったのに。




政局で明け暮れる国会。政争の具にはちょうど良いタイミングであらわれた外務大臣の不祥事。大きい小さいは別にしても、対抗勢力にとってみれば次々転がり込む敵失。
その道具の影で国民生活はとんでもない窮地に追いやられつつある。
予算が決まらないことで、ガソリン税が下がった春もありました。
あれは国民にとってもうけものに感じた。

政治ばかりでない、
いや政治のしわ寄せなのだろう。
ご近所にもひしひしと暗い世相の現実のシーンが、世の中の平均的現象として現われているように見える。

何日も見つからなかった隣人の孤独死。
ニュースにもならなかった。

今日もご近所に、何か楽しくないことが起こっている???
ひっそりと運び出された引っ越し荷物。
雪の中で人気の消えたお屋敷。

心も病んでいる??
ご近所がいじわる・・、と言って泣きこんでくるわかい奥さん。
ぎくしゃくする自治会と地域住民

未来がそんなに明るくないなら、
地域だけで、片よせあって、頼り合い、助けあえないのか。

誰が、何に苦しんでいるか、外目にはみんな幸せそうに見えたのに
本当のことはさっぱり分からない。

余計な干渉をするなって??
どうもそんなのんきなこと言っている段階を越えているかも

寒い庭

2011-03-04 22:11:29 | 生活情報
温暖化という言葉も忘れかけるほど、なんとも遅い春です。

セリンセは、40%ぐらい寒さで消えていきました。こぼれ種から伸びたものを庭で寒さ対策をいろいろ施しましたが全滅。鉢に種まきしたものは写真のようにうまくいっています。

これをご近所に繁殖させたいと計画しています。

庭の花はみんな遅れています。クリスマスローズやアネモネなどがほんの少し花を持った程度です。






古い日記帳が出てきました。10年日記。1982年から10年。
どうも厳しい世相やつらいことばかり書いていたようで、読み返すのが楽しくありません。
日記は楽しかったことだけ書いておく方が良いのかもしれません。

誰の役に立つわけでもなさそうなので明日のゴミ出しで処分することにしました。