De cela

あれからいろいろ、昔のアルバムから新しい発見まで

川原清掃作業

2013-01-21 11:36:23 | 震災と復興


地元の人たちが中心で本格的に川原の整備が始まって1年半。

当初は考えも及ばなかったほどの進展。

私としてはせいぜい林の中に小路がたくさんできて動植物と共生できるような空間が出来ればよいかなと思っていました。

しかし、本来の川原に少しでも回復させるという目的があり、土木事務所とは一応そういう努力をするということで話し合ってきた。

その本来の目的を上回るように整備が進む。

この写真の何倍もの空間が切り開かれ、昨日の草焼きで凧揚げ大会が出来るような大広場が出現した。

それにしても、その空間に集い、利用してくれる人はなかなかいない。
それでも安心して犬の散歩や篠竹とりに来てくれる人はいる。

どこかの団体がクロスカントリーやBBQ、キャンプに使ってくれた方がやりがいがある。
利用者のみなさんの力も借りてゴミ拾い等もしたい。


ところで、樹木の伐採によって多量の薪材料が出来た。
地元でまきストーブをもっている人が喜んで利用してくれているが、薪の需要があるなら裁断していくらかお金をいただき団体の収入源ににしたいところ。

水上勉『故郷』

2012-09-16 22:01:44 | 震災と復興
北里大学病院にはボランティア運営の図書室があった。時間はたっぷりあるのでいままでゆっくり読めなかった小説が読める。さすがあわてて持って行った『論語』は集中できないし、これは現役時代に読むべき本。

そこで目にとまった水上勉の『故郷』を手に取った。



時代はいまから20年前の若狭湾。主人公がアメリカ生活から帰った故郷は原発ブームで一変していた。
景色は変わり、原発マネーで人の心も変わった。
あの頃から原発の恐ろしさは結構正しく受け止められていた。
いまこそ読み返してみるべき小説である。
作者にはスリーマイル事故の教訓を学ぶべきという意識があった。

著者も読者も、世間もいったん事故となれば福島原発のようなことになることをこのころみんな知っていたのだ。
若狭湾にはこの小説が書かれたころすでに11基の原発が稼働または建設または予定されていた。まさに原発銀座。
私は福島事故が起こるまで、正しく原発と付き合うべきという考えだった。
原発推進のために他の貴重な技術の進歩が抑えられゆがめられているとは知らなかった。

いまはもっと多くの知識が身についた。日本人の選択は限られている。
私たち過去の人間には日本の未来が読めない。罪を犯した世代でありながら・・。
若い子供たちの知恵と努力と、場合によっては生き方の発見に希望を持ちたい。

防災の日

2012-09-02 12:06:47 | 震災と復興
昨日、今日と防災訓練行事があちこちで行われている。
我が家の防災意識を再チェック。

・防災備蓄:3.11のあと、防災グッズを集めて一箇所に保管してある。しかし、中身は不十分。携帯ガスコンロとボンベ、ローソク、ヘルメット、軍手。

・どんな災害がいつ来るかを想定。

・震度7で、一応耐震基準を満たした我が家も倒壊。
・その時家族(私と妻二人)がともに家にいる。二人とも命は守れた。
・入浴中のことも想定して、防災グッズには着替え・作業着も

・こんな場合に備えて、最低限の防災グッズは母屋から離れたスチール物置などに収納しておく必要がある。すぐ準備しなければ・・。防災備蓄品用耐火ストッカーなど売っていないか。

この地域で大きな地震が発生した時、
・津波はない
・火災発生の危険は大きい。
・我が家と隣の距離は・・・、住宅密集地域でないのでやや安全。

・命が守れたら、とりあえず避難集合場所に集まることが基本。地域で生き延びる方法を考える。

この地は、厚い関東ローム層に守られて揺れは少ないという楽観論もある。
免震建築は特に安心だろうが、ベタ基礎構造のツーバイフォーの我が家は横滑りで向きが変わってしまう可能性もある。

・援助の手は差し伸べられるか。
個人・地域の備蓄の範囲では生き延びられる。しかし、救援は想定以上に遅れるだろう。水の確保が問題。関東ローム層に守られている相模原の台地は自然水がない。給水車が来るまでの間最低飲料水は個人備蓄か。

救援が遅れる理由;被害が広大、道路が寸断、水路も寸断、救援物資は西から来るしかないが、東海・東南海・南海地震では西の全部が被災地。東北から来る物資・救援は東京を越えてくる期待はもてない。
災害の後のみんなの絆はどうやって守るか、覚悟を決めておこう。

でも、当地の利点を考えてみると

病院の数は多いし充実している。
消防署はすぐそばだし、消火・救援の期待は持てる。
米軍補給廠が近い。米軍の物資提供があるかもしれない。
仮設住宅用地は補給廠返還予定地や淵野辺留保地に結構広くある。

富士山の噴火も同時にあることも想定すると、相当に腹をくくった覚悟を持っていなければならない。
悲観的想定として考えることをやめてしまうのでなく、想定内にしっかり組み込んでおく必要がある。

家に居る時の自分と家族は守れそうな気がしてきた。
しかし、都心など外にいたとしたら・・・、
娘など身内家族の安全は・・・

車運転中の覚悟はできている。安全に停車することができたら、車検証を持ってキーを挿したまま歩いて我が家に向かう。4WDのサーフだから、いつか誰かの役に立つ。

戦争をしない国

2012-08-15 12:35:26 | 震災と復興
また終戦記念日がめぐってきました。
戦争の悲惨さを語り継ぐために・・・。

「戦争をしない国」とは・・・。

思いを巡らせてみました。
意外と簡単なことではない。
「戦争をしない」とは不戦敗を受け入れるということ。
外交努力が尽き、外国が攻めてきたとき、戦わないということは戦争による人的犠牲に引き替えて、国の財産やプライドを譲り渡すこと。

その覚悟が求められる。

冷戦時代が終わり、局地的な紛争はそれぞれの国で解決を求められる。
実質的に日本は不戦敗を通してきた。
それが弱腰としてエスカレートされる。

海洋に一本の線が引かれ、新たな権利の侵害がこれからも起こるかもしれない。

庭改造中

2012-08-14 10:29:33 | 震災と復興
このくそ暑いさなか、ちょっとずつ庭改造を続けています。
この付近はどうやら最終の形が見えてきました。
知り合いの建材屋さんの裏庭にいつまでも放置してある薔薇アーチがあったのでいらないのかと聞いたら適当にもって行ってよいということでバラしてもらってきました。再組み立てに少々苦労をしましたが見事我が家で生き返りました。



庭の隅にはいくつものせみの脱出孔があります。繰り返し掘り返している庭ですが、この10年以上も掘り返しからまぬがれた庭の隅です。その周りの木には孔の数以上のセミの抜け殻があるということは・・・?

ザボン

2012-03-11 20:39:11 | 震災と復興
これは中津川フィールドで採れたザボンです。


昨日採ってきました。10年前に、我が家の庭から移植して、その間一度も実をつけませんでした。やっと今年一つだけ。

今日、震災1周年の日。ちょうどその時、みどりの協会で刈払機(草刈り機)の安全衛生講習会を受けていました。館内放送で、一斉黙とうのアナウンスがありましたが、講座は途切れることなく続いていました。ちょっと心にひかかる後味です。

直接被災してない私たちの生活は、表面的にはほとんど変わらずに途切れなく続いています。でも、人々は何かどこかこの時から変わったはずです。どこがどう変わったかわかりませんが。
被災者を身近に感じていないから被災者を思いやる心が何かもわかりません。

残りの生をどう生きるかを考えるとあせりも感じますが、楽しく生きる生き方も選択したい。
価値観も変わった。だから選ぶものは選んで、捨てるものは捨てなければ・・・。
命(いのち)と向き合う思いが生まれたのは歳のせいばかりではない。



隣町で活動中です

2011-12-24 15:48:28 | 震災と復興


愛川町に活動をシフト

最近の私の活動地域はもっぱら愛川町に移ってきた。
大都市では一人の声は通りにくく、コミュニティは形成しにくい。

愛川も、今年度から地方交付税交付団体に陥ってしまった。
これからは、県の財政状況と合わせて住民が期待する行政サービスは細って来る。

一方で、コミュニティの中で助け合う習慣は強く残っている。
それが閉鎖性につながる面もある。
また、一方では現在の日本の課題である高齢化、耕作放棄地、自然環境の劣化、雇用問題などがより濃く出てくる。結局、大都市よりもより自分たちのことは自分たちで解決していかなければという想いも覚悟もできている。


思いは強い公益住民活動~パートナーシップ協働

しかしながら、市民活動や、パートナーシップ協働という点では、行政や議会に想いはあってもまだ仕組みが完全ではない。でも、こういう仕組みを構築して、住民の力に期待し、育て上げなければ行政サービスが行き渡らないことも分かっている。9月・12月と町議会を傍聴してみると、協働ないし公益住民活動の発展を期待する一般質問は数多い。相模原市という大都市議会でほとんど遭遇しないのと比べると大きな差を感じる。地方自治体のサイズは巨大化させるのではなくある程度に分割するべきという意見もあるが納得できる。

議員と住民との距離も近い。住民が議員を育てている(と感じる)。私は町外住民であるが、コミュニティの絆のための公益住民活動を議員とも協力して参加している。政令市と違って、小さな自治体は県の力を借りなければならない場面も多い。そこには行政との距離がより遠いという問題に突き当たる場面もあるが。

愛川町で生まれ、18歳で出て行ってからリタイヤするまで疎遠であった。兄弟親戚もほとんどいなくなった地であるが、まだ墓地やわずかな所有地が残っており、あるべき姿になってほしいという想いもあってしばらくは見守りながらわずかな協力をしていこうと思っている。

原発はこれを永久に放棄する

2011-12-12 11:52:42 | 震災と復興
東電原発事故から9カ月が経ちました。
電力は、思いのほか足りています。
これから原発稼働はさらに減っていくのでしょうが、ほかの手段で補完されるという望みも見えてきました。
今日の検針で、我が家では12月に入っても電力使用量は昨年同時期の30%以上節電が保たれています。地球環境問題から、節電意識は昨年もあったと記憶していますが、それでもさらに節電は可能であることがわかりました。冬場の暖房はどうしても電気に頼らねばならぬところがありますので、厳冬期節電率がどうなるか予断は許しませんが、しっかり意識していきたいと思います。


その努力の結果として、我々日本人は原発依存度を大幅に下げていくというご褒美をいただかなければなりません。原発事故の不安のない世界を作らなければなりません。

2度と許すまじ原発事故を
2度と許すまじ原爆を・・・と世界に訴えた結果、広島長崎以降65年も、そしてこれからも原爆が人の上に投下される不安は減少しました。
2度と許すまじ原発事故を・・・と言い続ければ、本当に原発事故はこれから先世界中で2度と起こらないかもしれません。

地球環境を汚さないエネルギーを開発する努力を続けなければなりません。でも、やればできるという想いがだんだんとつのってきました。わが市でも広大なゴミ処理最終処分場に市営のメガソーラー発電設備を作るという話も持ち上がっています(関連記事をアゴラ58号に寄せました)。最大の自然エネルギー源は節電と電力の有効利用だということもわかってきました。スマートグリッドや電気自動車の普及はこのエネルギー源を支えることになります。


原発はこれを永久に放棄する
日本国憲法は、「戦争はこれを永久に放棄する」と謳っています。憲法ではなくとも、「原発はこれを永久に放棄する」と宣言することは可能です。原爆と原発事故を経験した日本は戦争と原発を放棄した初めての国と認められることです(もっとも、原発を国民投票で放棄した先進国もすでにあるが)。

節電ビジネスモデル

2011-08-25 21:07:01 | 震災と復興
高齢者住宅節電支援



全国的にやったら相当なエネルギー節約になりそうな事業モデル提案です。
どこかのNPOでチャレンジしないかなあ。

まず、ちょっと古い住宅では電力の契約アンペアは結構高いまんまであることがうかがえます。
我が家も8年前に建て替える時は60A契約を40Aに替えました。ちょっと微妙なところはありますが、意識して注意すればブレーカーが飛ぶことはありません。

その契約変更で基本料金はぐっと安くなります。

この事業はその変更手続きサービスを代行します。
それだけでは直接節電にはなりません。

そこで、電灯をLEDにつけ替えるサービスをします。
その費用は電気屋さんと行政と受益者が等分して負担していただきます。
受益者は、電気料金の大幅低減ですぐ元がとれますから、照明の購入費用を負担していただけると良いです。

東京電力に寄付をお願いすることも可能かもしれません。

仮に、1軒当たり1カ月20kwの節電ができたとして100件1年で24,000KWという電力の節減になります。全国規模で考えたら原発の1基や2基分になるかもしれません。

節電と言っても電気を使わない不便な生活を強いるのでなく、特に高齢者住宅に目を向けるだけでも一つの資源が見つかります。

こういう事業は信頼が必要ですから、行政との協働事業にして、戸別訪問は職員や民生員などの同行など、考えれば道は開けそうです。



アジア・シルクロード音楽フェスティバル

2011-08-14 11:09:02 | 震災と復興
東日本巨大地震被災地慰問チャリティコンサート


というのが12日、愛川文化会館で開催され、招待を受けたのでfrauとみてきました。

こういう文化活動が愛川町の一市民団体(NPO法人ユーラシアンクラブ・愛川サライ)で実行できるということに「結構やるじゃん」というのがfrauの感想。とても入場券買ってまでは・・・となめていたのですが、結局感動して慰問コンサート実行の募金として切符代相当を置いてきました。

開催団体代表のある思い入れが強すぎて食傷気味なところが大きなブレーキになっているのですが、NPOの活動としてはそれでよいのかもしれません。でも観客を呼び込むためには今後ちょっと工夫が必要です。

演奏の中身はレベルも高くもっときちんと全国規模で普及の努力が求められます。演奏者の中で知られている名前はあるのでしょうか。

河西堅・ギター
木村俊介・篠笛、津軽三味線
橋本岳人山・尺八
パンチャン・ラマ(ネパール)
サラバン・ラマ(ネパール)
アヨーシバトエルデネ(モンゴル)
アブドセミ・アブドラフマン(新疆ウイグル)




難を言えば、地域市民の協力を得るために地域保存文化獅子舞や、笛・尺八の地元愛好会の発表会にオープニングの長い時間を使わざるを得なかったこと。主催者のある思いがナレーションや解説でしつこく出過ぎたことでしょうか。

それと、宣伝が行き届かず、市民に知られなさすぎること、周辺市町村からもお客さんを呼び込む努力をしなかったこと。主催者さん、はっきり言ってしまってごめんなさい。アンケート用紙に書き込みたかったことでもあるので許して。




今後できることがあれば運営がスムースに行くようお手伝いさせていただきます。