去年のブログを確認するとミモザの開花は1カ月以上お売れている。コヒガンザクラも1カ月以上。椿は長持ちしている。
そして、花粉症とはほとんど縁のなかった私が、風邪をひいたか鼻水とくしゃみと、熱はないのだが病気状態。晴れているのでやるべきことはたくさんあるのに・・・。
そして、花粉症とはほとんど縁のなかった私が、風邪をひいたか鼻水とくしゃみと、熱はないのだが病気状態。晴れているのでやるべきことはたくさんあるのに・・・。
これは中津川フィールドで採れたザボンです。
昨日採ってきました。10年前に、我が家の庭から移植して、その間一度も実をつけませんでした。やっと今年一つだけ。
今日、震災1周年の日。ちょうどその時、みどりの協会で刈払機(草刈り機)の安全衛生講習会を受けていました。館内放送で、一斉黙とうのアナウンスがありましたが、講座は途切れることなく続いていました。ちょっと心にひかかる後味です。
直接被災してない私たちの生活は、表面的にはほとんど変わらずに途切れなく続いています。でも、人々は何かどこかこの時から変わったはずです。どこがどう変わったかわかりませんが。
被災者を身近に感じていないから被災者を思いやる心が何かもわかりません。
残りの生をどう生きるかを考えるとあせりも感じますが、楽しく生きる生き方も選択したい。
価値観も変わった。だから選ぶものは選んで、捨てるものは捨てなければ・・・。
命(いのち)と向き合う思いが生まれたのは歳のせいばかりではない。
昨日採ってきました。10年前に、我が家の庭から移植して、その間一度も実をつけませんでした。やっと今年一つだけ。
今日、震災1周年の日。ちょうどその時、みどりの協会で刈払機(草刈り機)の安全衛生講習会を受けていました。館内放送で、一斉黙とうのアナウンスがありましたが、講座は途切れることなく続いていました。ちょっと心にひかかる後味です。
直接被災してない私たちの生活は、表面的にはほとんど変わらずに途切れなく続いています。でも、人々は何かどこかこの時から変わったはずです。どこがどう変わったかわかりませんが。
被災者を身近に感じていないから被災者を思いやる心が何かもわかりません。
残りの生をどう生きるかを考えるとあせりも感じますが、楽しく生きる生き方も選択したい。
価値観も変わった。だから選ぶものは選んで、捨てるものは捨てなければ・・・。
命(いのち)と向き合う思いが生まれたのは歳のせいばかりではない。
神奈川県民は地方税の中で一人当たり950円の水源環境税という超過税を一律支払っていたのですね。
その重要な使い道の一つとして、市民活動による水源環境保全再生事業に補助金が出されています。
一般の補助金制度かと思って、私の関係している団体から申請をしてみましたら、見事採択されました。
水源環境保全事業として認められたということです。
採択にあたって結構厳しい条件(?)が求められました。
この補助金は、県民から特別に追加徴税しているもの。
県の水源地の環境保全という目的に合った活動という認識を新たにしてほしい。
水源環境税を使った活動であることを機会捕まえて県民に知らせる手段をとってほしい・・云々。
そういう目的から圧倒的に森林の間伐や間伐材の活用の活動が多く採択されている。同時に、自主財源の確保できる収益事業を持っているかどうかが求められていた。
その重要な使い道の一つとして、市民活動による水源環境保全再生事業に補助金が出されています。
一般の補助金制度かと思って、私の関係している団体から申請をしてみましたら、見事採択されました。
水源環境保全事業として認められたということです。
採択にあたって結構厳しい条件(?)が求められました。
この補助金は、県民から特別に追加徴税しているもの。
県の水源地の環境保全という目的に合った活動という認識を新たにしてほしい。
水源環境税を使った活動であることを機会捕まえて県民に知らせる手段をとってほしい・・云々。
そういう目的から圧倒的に森林の間伐や間伐材の活用の活動が多く採択されている。同時に、自主財源の確保できる収益事業を持っているかどうかが求められていた。
人前でレクチャーするということがほとんどなくなって、いきなりやると大きな失敗をします。
知らない人たちが注目して聞いている場面ではなおさらのこと。
明日は重要な補助金獲得の微妙なレクチャー。時間も制限され、募集条件からちょっと外れ気味な事業計画。いかに重要で私たちに任せることが有益かを話さなければならず、甘く考えていたことが今頃急に不安に・・。
お上の義務を市民が代わって果たそうという提案なのに、なんでお上にへつらうようなことを言わなければならないんだ・・・などという思い上がりは顔に出さないこと!!
レジュメは考えをまとめるために書くだけで、実際に読み上げるためではなかったのに、いまや、棒読みしても自分で書いた意図を忘れて、つっかえる始末。中学生に戻ったみたいだ。
まあ、たいてい人前に立ってしまえば度胸も湧いてくるものだが・・・。
知らない人たちが注目して聞いている場面ではなおさらのこと。
明日は重要な補助金獲得の微妙なレクチャー。時間も制限され、募集条件からちょっと外れ気味な事業計画。いかに重要で私たちに任せることが有益かを話さなければならず、甘く考えていたことが今頃急に不安に・・。
お上の義務を市民が代わって果たそうという提案なのに、なんでお上にへつらうようなことを言わなければならないんだ・・・などという思い上がりは顔に出さないこと!!
レジュメは考えをまとめるために書くだけで、実際に読み上げるためではなかったのに、いまや、棒読みしても自分で書いた意図を忘れて、つっかえる始末。中学生に戻ったみたいだ。
まあ、たいてい人前に立ってしまえば度胸も湧いてくるものだが・・・。