ここまでくると江戸の旅人のような気分になってくるのが不思議です☆
日本橋を起点として京都三条大橋までの主要街道は、ここ中山道と東海道のふたつですが、東海道では大井川や天竜川などの増水で川止めがあるため、確実な時間に到着できる中山道は商業的にはとても重要な街道でした☆
日本橋を出て最初の宿がここでしたから、上方から下ってくる旅人も含めて江戸時代にはとても賑わっていた事でしょう☆
時は現代、いまの板橋宿はどうなっているのでしょうか☆
こちらは「板橋宿不動通り商店街」という名称です☆
街のシンボルキャラクターは『ラッピー』、これは「Lapin(ラパン)」と「Happy(ハッピー)」ということのようです☆
通りの中ごろには中山道69宿が順番で掲げられていましたが、今更ながら江戸の人たちは徒歩で約500キロの道のりを踏破していた事を思うと日本人の後輩として先輩を尊敬してしまいます☆
都内でもあまり見かけなくなった銭湯も商店街に面していました☆
花の湯、、、中は暖かい湯気で溢れているんでしょうね☆
時間があればひと風呂浴びたかったんですが、湯上りで赤ら顔の方々を見ながら想像で我慢です(笑)☆
王子新道の交差点まで来ますと、ここから先は仲宿商店街のエリアに入ります☆
しかしながら、時計は午後6時半、、、そろそろ帰らないと☆
商店街を歩きだすと時間が経つのを忘れてしまいます☆
板橋区は滅多に来れなかったので、歴史あるこの街の奥をもっと見てみたいですね☆
『中山道(なかせんどう)』
江戸時代の五街道の一つで、本州中部の内陸側を経由する路線である。
「中仙道」とも表記するほか、「木曾街道」や「木曽路」の俗称も有した。
日本橋を起点として京都三条大橋までの主要街道は、ここ中山道と東海道のふたつですが、東海道では大井川や天竜川などの増水で川止めがあるため、確実な時間に到着できる中山道は商業的にはとても重要な街道でした☆
日本橋を出て最初の宿がここでしたから、上方から下ってくる旅人も含めて江戸時代にはとても賑わっていた事でしょう☆
時は現代、いまの板橋宿はどうなっているのでしょうか☆
こちらは「板橋宿不動通り商店街」という名称です☆
街のシンボルキャラクターは『ラッピー』、これは「Lapin(ラパン)」と「Happy(ハッピー)」ということのようです☆
通りの中ごろには中山道69宿が順番で掲げられていましたが、今更ながら江戸の人たちは徒歩で約500キロの道のりを踏破していた事を思うと日本人の後輩として先輩を尊敬してしまいます☆
都内でもあまり見かけなくなった銭湯も商店街に面していました☆
花の湯、、、中は暖かい湯気で溢れているんでしょうね☆
時間があればひと風呂浴びたかったんですが、湯上りで赤ら顔の方々を見ながら想像で我慢です(笑)☆
王子新道の交差点まで来ますと、ここから先は仲宿商店街のエリアに入ります☆
しかしながら、時計は午後6時半、、、そろそろ帰らないと☆
商店街を歩きだすと時間が経つのを忘れてしまいます☆
板橋区は滅多に来れなかったので、歴史あるこの街の奥をもっと見てみたいですね☆
『中山道(なかせんどう)』
江戸時代の五街道の一つで、本州中部の内陸側を経由する路線である。
「中仙道」とも表記するほか、「木曾街道」や「木曽路」の俗称も有した。