次は『渋谷駅』★
近年、若者の街として24時間賑やかで有名ですが、昭和50年代前半までは、非常に静かな街でした★
もちろん、昼間は「東急東横店」などを目指す人で、駅構内やその周辺はそれなりに人が集まってはいましたが、日が落ちて夜ともなりますと、「道玄坂」「文化村通り」「宮益坂」からは人がマバラとなり、「渋谷センター街」にいたってはサラリーマン達がお酒を一杯やるために集まる程度でした★
「公園通り」方面は、旅館街(今風で言うとラブホテル街)ですので、お子ちゃまは一人も見られませんし、「道玄坂上」から先の地域は花街として芸者さん達の置屋が多数見られ、所々から三味線の音色が聞こえてきたものです★
昭和44年まで営業していた「東急玉川線」(通称玉電)と「京王井の頭線」のホームは並んでありましたが、その下には赤ちょうちん街がありました★
今でもその頃から営業を続けている「鳥若」などのお店は、その名残りとして当時を思い出させてくれます★
『渋谷駅』といえば、忠犬ハチ公の話も有名ですね★
1944年に当時、渋谷(現在の東急本店付近)に住んでいた東京大学農学部の上野教授の飼い犬「ハチ」が、毎日ご主人の送り迎えをし続けていましたが、翌年の教授が急死後も毎日駅まで迎えに行って、「ハチ」自身が死ぬまで待っていたという話です★
とても感動する話で、当時の朝日新聞の記事から、全国的なヒーローとなり、駅前の「ハチ公」の銅像は、実は「ハチ」がまだ生きている時に建立されていました★
ただ、一説によると、毎日駅まで行っていたのは、駅にある焼き鳥屋の店員さんが余った肉を与えていたため、それを目当てに通っていたとの意見もあるようです★
「ハチ」が駅の近くでフィラリアのために急死した後、解剖をした結果、胃の中から焼き鳥の肉と串が数本出てきたそうで、それがその説の有力な証拠になっているとの事です★
まあ、真相はどうであれ、毎日駅まで来ていたのは事実ですから、「ハチ」は非常に頭が良かったのでしょうね★
なお、「ハチ」の剥製は、上野にある「国立科学博物館」に保存されています★