「何が彼女をそうさせたのか!?」
誰しもが、野次馬的疑問や、好意的興味、あるいは多少の不可解さを、抱いている気がする。
宮城まり子さんは、そんな世間の風潮があるのも、知っているだろうと思う。
だから、そんな目で質問をしたTさんに対しても、開口一番、「私は、エゴの塊みたいな女なの!」と、機先を制した。
まごまごしているTさんを見て、ポツリポツリと、自分のことを話し始めてくれたという。
宮城さんは、小学校6年生の時に母を亡くし、その後、父が「宮城千鶴子一座」という、まり子さんを座長とする旅回り一座をつくり、それがきっかけとなり、芸能界に入ることになったらしい。
作曲の仕事をしていた弟が、交通事故で亡くなり、そのすぐあとに、父親がガンで急死。
宮城さんは、それらのショックなどから、歌をうたえなくなり、涸れ果てるほど、涙の海を彷徨ったのだろう。
「ねむの木学園」を設立しようと決心したのは、父親の死(昭和38年頃)から、約1年後だった。
養護施設であり、精薄施設であり、肢体不自由児施設であり、そのうえ教育機関でもあるなどという場所は、当時の日本に1ヵ所もなかった。
そういう法律もなく、許可にもならず・・。必要に迫られている多くの人が居るのに、なぜ、すぐに法律を作って、許可できないのか?と質(ただ)せば、各県に1つずつ位、そんな様な学校が出来なければ、法律というものはできないのだ、と。
「これでも私は、政府にデモっているような、気持ちもあるんですヨ」と、宮城さんは、ニッコリと笑った。
身内を次々と亡くし、泣き暮れていた頃。
「・・でも、歌をうたえなくたって、私には女優としての道が残されている。幸い、健康な体もある。。。私は、私は、実は幸せなんじゃないかぁ~~!と思った。そんなとき、もし健康じゃない人は、どうやって耐えてゆくんだろう、って考えたのね」と、言っている。
Tさんには、まだ腑に落ちないことがあった。人間が、全く物質的にも、精神的な報酬もなしで、これだけのことがやれるのだろうか?
「もちろん今は、学園は建設途上にあるわけですから、成長した子どもたちが、訪ねて来てお礼を言ったり、感謝されるなんてことはありません。私の喜びは、去年の運動会では、杖をついて走っていた子が、今年は杖なしでも走れたとか、最後まで走れなかった子が、最後まで走ったとかが、感動的。あるいは、ご飯のときに、『わたし、どこに座ったらいい~?』と訊くと、皆が『ココに座って!ココ・・』と先を争うように、言ってくれるときとか、そんなことが、すごく嬉しいんです」
彼女は、失った家族を、さらに新しい家族を作ることで、補おうとしているのだろうか。ぽっかりと空いたココロの隙間を、ホンの小さなささいなことにでも、飛び上がって、肩を抱き合いながら、喜びを分かち合うように埋める、温かい家族としての”ねむの木学園”、という理想郷を。
それは、岩をも砕く如く、止むに止まれぬ奔流となったのか。あるいは、あえて重荷を背負うことで、無意識にバランスをとろうとする、「天使の本能」なのか。
彼女は、私はキレイごとは言わないよ、とおっしゃっている。
「自分がエゴイストだと思うのはネ・・舞台に出たら、それは女優だから綺麗にライトに当たりたいし、学園の子供たちにだって、知らん振りはされたくないの。子どもたちが、誰も私のそばに寄って来なかったら、すごく悲しいと思う。それでもいいわ、大丈夫よ。。。な~んて、ぜんぜん思いません!」
子どもたちが、私の顔を見て、ニコッっと笑ってくれることで、私は充分なお返しを貰っています。だから、エゴイストなんですよ、と。
自分に正直に、可愛くお茶目に、飾らずに生きて闘う、「宮城まり子」さんという人の、一瞬に光射す、ある多面体の切り口が、ほんの少し見えたような気がした。
(合歓の木の花)

(季節に関係なく私が勝手に、その人のイメージに当てたお花の写真です。今回は、「気ままに野山」のぶちょうほうさんにお借りしました)
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今まで抱いていた私の「宮城まり子」像も、ほぼこのようなものでありました。
ただ、「私はエゴイスト」という言葉に心打たれます。
そこに彼女の微塵も揺るがぬ決意が見える気がしました。
たおやかとも見える彼女のどこに、強い覚悟が秘められていたのでしょうか。
我が身に置き換えてみるとき、恥じ入る次第です。
…てな事をどこかで聞きましたσ(^_^;)
正直、宮城さんの事も、その学校の事も存じあげておりません。けれどもそういう事なのではないでしょうか?法律もない、許可も下りないなんてのは、役所(の役人)がその存在を認めない(たくない)からでしか無いとも思います(怒)
良い方に読んで頂いて、ありがとうございます。
人物を描くには、良い面ばかりを書き連ねると、嘘になります。それでは、煩悩多い人間ではなくなりますからね。
少し落としておいて、ちょっと上げてみたり?、、、。面白くても、読後に気分が悪くなるようなのは、私は好きではありません。だから、少しだけ、いい話にしています。
実際、良くない事の裏には、すごく良い事があるのですもの。
ひよどりさんは、純粋な方だろうと思います。すぐに、ごじぶんに引き換えて、反省なさる。それは美点だろう、と思います。申し訳ありません、ずっと先輩の方に、生意気を言って。
真摯なコメント、ありがとうございました。嬉しいです
そうなのでしょうね。認められないような人でも、まず認めるところから始めなくては、いけないのでしょう。
この世に、認められない人間なんて、いないと思います。「みんな違って、みんないい!」と、詩人の金子みすずさんも、言っています。
お役所は、既成事実が積まれていないと、認めてくれません。時代のあとから、ようやく追認するだけです。
出る杭は打たれる、で、和をもって尊しとする民族ですからね。それはそれで、良いのですけれど。。。まぁ、なにかを言おうと思えば、ある程度言える国であるのは、ありがたいことですね(笑)
深いお考えのコメント、ありがとうございました
まずは名前を出していただき、面映さがあります。
お礼を申し上げる気持ちで゛もないし、かといってそれを怒る気持ちでもありません。
つまり、「まぁどうでも宜しい・・・」と、こう思っているわけなのです。
宮城さんのこのお話に出合った時に、なぜかマザーテレサを思い浮かべました。
そのこころはと言いますと「お前にこの真似が出来るか?、さぁどうだ?、さぁ、さぁ、・・・」と自問する回路が内蔵されていて、答えはいつも「とても真似できない・・・」と言うものですが、そのことが情けなく、残念です。
宮城さんにおいては女性の媚を多分に含みながら、活動され、テレサさんではもう少し枯れ切った求道者の息遣いを感じましたね。
見当ハズレのわざわざしなくても良い比較かもしれませんが・・・・。
「私たちに無理なく出来ることは・・・?」とさかんに反芻している自分が居ます。
トーコさんのエッセイはなかなか文章が優れていて素晴らしいです。
彼女の幸せとは、人のふれあいや成長にたずさわることだったのでしょう。
そこには金銭や社会的な地位など関係ない、心のつながりがあるのですね。
とても素晴らしいお話でした。
こちらは、今朝は雪景色でした。今は、解けて晴れていますが。。。
お名前を出して、リンクもしたこと、ぶちょうほうさんのポリシーに反したかもしれない、と反省しております。
あれほど、「写真は無断にて、勝手に使って宜しい!」と、言われていたのに・・。気に障ったら、ごめんなさいデス。懲りずに、またお付き合いくださいましね~
マザー・テレサは、慈母観音のような方でしたが、「私はいいから、放って置いてほしいのに」という人も、中には居たと思います。たぶん、言い出せなかったでしょうけれど。
良かれと考えてしている事でも、押し付けではなく、そのひとの心情を汲むというのは、忘れてはいけないのでしょうね。
ぶちょうほうさんの心情も、今、わかりかけています。コメント、ありがとうございました
昨夜は、どういうわけか、左肩が脱臼しそうになっていました。現在、サロンパスを貼って、小康状態にありますが・・。ニコラス刑事の”タタリ”でしょうか?
たくたくろさんは、いつでも褒めてくださるので、アリガタイ存在です。
これは、エッセイなのでしょうか。書いている本人が、分かっていません
学園経営もなんとか軌道にのり、マスコミも好意的な記事を載せてくれるようになったころ、
日本中からねむの木学園にプレゼントが届くようになった。
北海道からは学園の子供たちに食べさせてくださいってじゃがいもが何箱も送られてきたり。
宮城さんはその都度、「あなたの住んでいる地域にも施設はあるはず、困っている人たちがいるはず、
そういう人たちに送ってあげてください」と。
わたしはこの話を聞いて、本当に立派な人だと思った。20数年前の話です。
ふ~ん、20数年前にそんなことがあったの。。。
このブログ記事、のっちさんに啓発されたところもあったのね。もしかして、読んでくれるといいな~!、って思っていた。
「地上に降りた最後の天使」は、のっちさんに贈る言葉でもあったの。
コメント、ありがとうございました