
椋鳥と人に呼るる寒哉 一茶
<むくどりと ひとによばるる さむさかな>
小林一茶は長野県の北部、北国街道柏原宿(現・信濃町)の農家に生まれ、15歳から江戸へ奉公に上ったのでした。
「椋鳥」とは、田舎から都へ来たものをあざけるように使う言葉だったそうです。特に農閑期に江戸へ出稼ぎに行き、春に帰国する”信濃者”を指して言ったのだとか・・椋鳥の渡りの習性にことよせたようです。寒いのは”冬”だからですが・・そればかりではないということですね。
椋鳥と我をよぶなり村時雨 一茶
という句もあります。これは。。
旅人と我が名呼ばれん初時雨 松尾芭蕉
を意識しての句ではないかと言われております。芭蕉さんは「旅人」として諸国を巡ったけれど、一方の自分はただの「渡り鳥」としてではないか、という少し眇めの較べ方だったでしょうか。
私の父親や親類なども、冬場は雪のない地方へ”出稼ぎ”に行っていました。小さい頃はそれが普通のことと思っていましたが、お友達のお父さんなどは家に居ましたので、不思議な感じを持ったものです。
資産家やお店の経営者・公務員とか、大きな会社などに勤めていれば、雪国でも出稼ぎに出なくてもよかったのでしょうけれど・・。

古里は蠅すら人をさしにけり 一茶
江戸より父親の看病のため、一時的に故郷へ戻ったのが39歳の時。父は遺産を、弥太郎(一茶)と弟と折半にするようにと遺言して、亡くなります。しかしその後、10年以上に渡る継母・弟との争いごとになりました。
俳句などを稼業としている一茶には、世間(集落)の眼も冷たかったのかもしれません。この地方では、蠅より少し大きな虻が居て、夏などには大量発生してよく人を刺したそうです。「ウルリ」と呼ばれるようです。
日光の山あいの温泉でも、露天では虻やら蜂がよく出ます。洗い場には、必ずハエたたきが数本置いてあります。一糸まとわぬ身の頼りなさですから、とってもスリル満点~!・・とはいきませんね(笑)そもそもが、憩いの場であるべき露天風呂などで、殺生はしたくありません。
出代の市にさらすや五十顔 一茶
<出代は[でがわり]と読み、奉公人がその雇用期間を終えて交代すること。またはその奉公人を指すようです>
50歳という年齢で奉公を終えたのか、町の市場を気の抜けたほうけた感じで歩いているように見える男。気を張り通した仕事を終えて、ホッとしているのか、あるいはこの先のことを考えて不安なのか。そんな瞬間に、いかにも年をとったという風に「五十顔」が垣間見えた、というのかもしれません。
その男に、自分の姿を重ねて見ていたのでしょうか。あぁ、我も他人から見るとあんなふうなのだろうなぁ、という。
そういえば「四十面、五十面(づら)下げて」と、子供のころ大人たちの会話に聞いたことがあります。え?「四十肩、五十肩」とは違いますよ(笑)五十、というのは大人として分別を弁える年齢だったのでしょうね。現代ではトーゼンの如く「死語」です。
過去には、男性の平均寿命が40歳代前半の頃もあり、50といえば立派な人になっていなくてはならなかったのかも・・?あ、先ほどのニュースに出ていました、時代の寵児だったスーパースターKさんも、ジャスト50歳とか。お若く見えますが。
ちなみに、最終的に一茶が帰郷したのは、弟との係争がある程度収まった50歳の時だったそうです。
それについては、面白い遺産分配をしています。片住居(かたずまい)といって、家屋敷の折半では異母弟仙六が北半分に、南半分に一茶が住んだようです。なかなかに、骨肉の争いほどせつないものはありませんね。

一茶って、ちょっといじけた感じがありますね。そうならざるを得なかったのでしょうけれど。
浮世離れした(ような?)俳諧師でも、現実は人間臭いものですね。
屈折した面はあったと思いますが、それもまた私の好みでもあります~(笑)
今日の分は、そんな句ばかりを集めたからですね、きっと。どうか一茶さんを嫌いにならないで~
一茶の頃はもう少し長生きしたのでしょうか?
一茶も人の子ということでしょうね。
それにしてもよい句をたくさん残したようです。
俳句を詠む人を「俳諧師」と呼ぶのですか?
空見さんは「徘徊(はいかい)師」と呼ぶにはまだ早いでしょう。
もしそうなったらしっかり服に名札をつけてください。発見しやすいそうです。(笑)
軽妙な味わいは抜群ですね。
今は、柏原は雪の中でしょうね。
昔、おとずれただけですが、
ここで、句を読んでいたら行きたくなりました。
できれば、雪五尺の頃に・・・
でも、今はそんなに積もりませんが・・・
一茶の句集を欲しくなりました♪
解説付きがいいですね。
何かお勧めの本があったら、教えて下さいね~
空見さんは一茶に詳しくて凄いな♪
ぜひ黄色に咲いたらまたアップしてくださいね。
一時私達こちらのブログ仲間達が夢中に
なって追っかけて、撮りに走り回りました。
なにせお札になる木ですからアハハ!
一茶さんは65歳で亡くなっていますね。
最後は火事にあって、土蔵の中に住んでいたようです。
「俳諧師」として俳句の指導などもしていたようですが、これはあまりお金になりませんからね。
胸に名札を付けておけばいいのですね、分りました~(笑)山小屋さんこそ、足が丈夫なだけに徘徊には気をつけてくださいね。おそらく誰も追いつけないですから~(≧ω≦。)プププ
柏原は雪深いのでしょうね。
信州信濃の新蕎麦よりも・・とか。お蕎麦の名産地ですかね。「信濃川」という映画もありましたっけ♪
一茶さんは生涯に、2万句余りも作ったようです。今で言えば、日記(ブログ)のような感じでしょうか~
一茶さんのこと、泥縄で勉強していますが、あっちの本こっちの記事や資料と、引用に次ぐ引用で(ほとんどが)パクリで書いています(゜ロ)ギョェ~(爆)
岩波文庫『一茶俳句集』(丸山一彦・校注)というのが・・良さそうですけど。あまり信じないでね~(笑)
ミツマタ、そろそろ出てきました~
昨年の3月に携帯写真で一枚だけUPしています。
時間があったら見ていってくださいませ♪↓
http://blog.goo.ne.jp/decollo07/e/2ef87885534ad7e461bc4ee6aa07a3b6
この繊維がお札になるんですってね!目立たないお花ですけどね(爆)