💬持続可能な社会、あるいは生物多様性もアメリカ由来の言葉であろう。戦争中の本土決戦、一億玉砕と同じで、こういうスローガンには時代が見えることが多い。
持続可能というのは、元来は化石燃料に依存する社会に対する警告だったろう。アメリカ中西部の農業は、氷河が解けて地下にたまった水を吸い上げて行われている。使っていれば石油同様この水もなくなる。
トウモロコシ畑からは表土が流れ、いずれは土もなくなる。マクロ的に見れば危ない国である。だから持続可能な社会に、と発せられる。
日本はどうか?石油はもともとないが、水はローカルに循環し不足することがあっても、なくなることはない。日本の川はほとんどが清流で、土も流れない。山林が多く植物相が豊富で自然自体は豊かである。しかし今のエネルギー消費は賄えないのだ。この消費型を10分の1以下にするのは不可能であろう。
戦争中の家族の写真が残っているが、それを見るとどこかの難民キャンプの家族写真に似ている。よくあんな時代を生き延びてきたなぁ、と思う。冷暖房はなく、暖房は火鉢程度、子どもは冬でも半ズボン、トイレはくみ取り型、車がないから重量物の運搬は人手か牛馬、食べ物はあれば何でもありがたかった。
それがいい時代だったというつもりはない。それでも生きられた、というだけのことである。…実態経済はエネルギー消費と並行する。考えるのは無料だけれど、社会システムは有料である。それを別な言葉では<経済>という。(養老孟司)
霧降から見た男体山↑
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます