藤本美和子/重陽の膳なる豆腐づくしかな

2019-10-11 19:19:50 | 青萄の第六絶滅期俳句

 

 

 

 

 

 

 

重九や上皇つとにお優しく/青萄

 

 

 

 

 


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Unknown (青萄)
2019-10-11 20:19:30
俳句に馴れる(因みに慣れるではない)というのも恐ろしいような気がする🐱
それなりの実力者であれば、それなりの句を…簡単に無尽蔵に作れるようだが、所謂アタラシミが一つもない、作ることに馴れきっているので句に真実味面白味が殆どない。あるいはそれに気付いていないのかもしれないし、気づいていても気にしないようにしているのかもしれない、ワカラン😅
さすがにその上の超実力者らは、前と同じような句は間違えて作っても出さない。常に新しい目を以て句作しているのが(手に取るように)分かる。その辺は格の違いと言うべきか。
昔話、一茶が7年ほど旅をして江戸へ戻り、葛飾派の句会へ出ると…自分が留守にしていた7年前と同じような句ばかりで、非常に驚いたのである。何一つ新しみが無かったからである。要は進歩の欠片もない。一茶は「食うに困らぬやつらの俳句はこんなものか」と思った。当時、食うや食わずで草履を磨り減らし、連句の旅をしていた一茶は、もう葛飾派に依らずともその上の実力を知らぬ間に蓄えていた。しかし、江戸で宗匠になる夢はついに叶う日は来なかった。成美さんにも「正風」ではない、と言われている。一茶は旅から旅を続け、最後は柏原の雪五尺の土蔵暮しで俳人として完成したとも謂える☺
「これがまあつひの栖か雪五尺」は成美さんが絶讚した句である。成美さんが選をしなければこの句は後世に残らなかったかもしれない❄

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