今月は母の祥月命日になります。
海のそばで生まれ、育ち、生き、都市生活者としての最期にも、やはり水辺を恋しがっていました。私も、何かしら水辺を見るとホッとし、これは母にも見せてやりたかったなぁ、などと思います。

春江や水辺に生きし亡き母よ 空見
幼い頃、この季節にはボールやビニール袋を持って、母に連れられて磯に海苔をとりに行きました。北国のまだ雪の道です。岩礁に海苔がへばりついているのを、指で千切るのです。これが、岩に波がぶつかって曳いていく時を見計らって、急いで走り寄って採り、またすぐ波が曳き返してくる時には逃げます。ずっとこれの繰り返しで。
氷点下では、指がすぐに真っ赤になり、感覚もなくて、なかなか海苔を抓(つま)めないのです。子どもの上にやる気もないので、幾らも採れませんでした。凍る波飛沫を受けて、唇がぶるぶると震えるばかり。しかし、さすがに母はちゃんと家族が食べられる分は採っていました。もう必死の形相でしたね。
この岩海苔(漆黒)を熱いお味噌汁に入れると、ハッとするような明るいエメラルドグリーンになるのです。それが口に運ぶ頃は、みるみるうちにブラウンとなってしまいました。
香ばしさととろとろの円やかな旨み、そして温かさがたまらないお味噌汁でした。
貧乏な生活だったので、比較的手に入りやすい海藻類などは、よくご飯のおかずになっていました。あまり食の進まない私に、母は「海草は髪の毛を良くするというよ、黒髪が豊かに艶々になるんだよ」と言います。
髪なんか艶々になるより、もっと別の美味しい物が食べてみたいのに、と心の中で思いましたけど。
母は60代前半で亡くなりましたが、頭にはほとんど白髪がありませんでした。そういう髪質を私も受け継いだのか、今も髪だけは丈夫です。子供の頃に食べさせられた’海草’のおかげでしょうか。お菓子などはなくて、お八つはその辺にあった、海苔か煮干を食べていましたから。
先日髪を梳かしていた時に、前髪の中に白い一本を見つけて、ほほぉ~と思い、夫に知らせに行きました。夫には「あんたは~幾つだと思ってるの。白髪なんかあって当然でしょうが」と憮然とされました。ちなみに、夫は40才くらいから白髪が目立ち始め、今は立派な白髪頭となっています。
私はこの白髪は抜かずに、チョンと鋏で切っておきました。また伸びてきたら、面白いので’チョン’と切るつもりでいます。
五輪真弓さんの→ 少女


彼岸とか出ないと思い出さない親不孝ものです。
人はいつか死ぬ、想い出は消えませんね。
死ぬものは 死にゆく躑躅 燃えてをり 臼田亜浪
臼田亜浪は小諸出身の俳人です。
名前ぐらいはご存知かと・・・
この句は知人の死に際し詠んだのでしょうか。
死ぬものは死ぬ、仕方がないのだと、そういいながらも
炎の色の躑躅の中に生を見い出し、使者へ想いはせています。
人の悲しみがみえる句です。
亜浪の句は遊びで無く、人生や自然を直視した強さがあります。
昭和21年に四十五年連添ったすて夫人は「にこにこと 笑うて暑き
この世去る」の辞世を残して、逝きます。
その寂しさを亜浪は次のように詠みます。
妻死んで 虫の音しげく なりし夜ぞ
寂しいコメントとなりました。
私も父を思い出すこととします。
お母様と水辺の想い出がたくさんおありですね。
水辺を見るたび、お母様への句を詠み、想いを馳せる・・・、
とても素晴らしいことですね。
そして、空見さまはお母様より黒髪という
女性にとりまして一番大切なものをいただきました。
その黒髪こそがお母様、そのものではと思われます。
生前、残された言葉や行動などは皆、貴重な財産となっているのではと。。。
今日の題にピッタリのようなメロディでした。
写真俳句、2位です。応援しております。
私も子供の頃磯の岩場で「海苔獲り」をしました。
冷たい水に膝まで入って海苔を探します。
時々ヒトデなどを触ってビックリしました。
藻の間にサザエなどがあると嬉しくなりました。
荒波に 膝まで入り 海苔を獲る 山小屋
(黒髪は 親から受けし 宝物)
思い出と共に大切にしてください。
以前オコジョさんに教えていただいた’臼田亜浪’さんですね。たいへん素晴らしい方だと思います。
真面目で真っ直ぐなお句を拝見させていただくと、どうしてもオコジョさんのお人柄と、二重写しになったりいたします。
私も今、一茶宗匠にのめり込んでいますが、いろいろ難しいです。ありがとうございました
いつもありがとうございます。母はわりに早くに亡くなったので、よく思い出します。
特に今ごろ、水仙が咲いて来る頃には「あぁ、もう母はいないんだなぁ」と、しみじみ哀しくなりますね。
母はよく「黒髪は女のいのち」と言っていました。あと、大事なのは’歯と目’だと。今のところ、何とか凌いでおります(笑)
いつまで経っても軟弱な空見でございます。これからもよろしくお願い申します。で、「俳句」を外に出しましたので、「エッセイ」に変えました。ご面倒ばかりおかけして申し訳ございません
岩海苔も、荒波に負けまいと岩にしがみついていますから、なかなか獲れるものじゃございませんわ*^^*
波の穏やかな時は、螺貝なども獲りましたよ。あのね~’北の果て’って・・そりゃ~流氷は見てましたけどね(笑)凄い音がしますよ、氷って!
>荒波に 膝まで入り 海苔を獲る 山小屋
山小屋さんの足が人並みはずれて丈夫なのは、子供の頃に鍛えたからですね。o@(^-^)@o。ニッコリ♪
実家からも近い十六島(うっぷるい)で岩海苔が採れます。
波が引くとゴーの合図で岩に飛び乗って毟り取る。
波が押し寄せると引けーの合図で岸に逃れて。
これの繰り返しね。12月から1月しか採れないそうです。
貧しい海岸の女性の仕事だったようで。
現在この海苔は、珍重されて高級食材!
それはもう!磯の香りに包まれます(高くて一度しか食べてません
今ね、信濃関係の本を読んでいるのですが、’こんにちは’的な感じで、’段々’と言うのね。それで、だんだんさんを思い出しました(笑)
うっぷるい海苔?・・なにか妙に懐かしい言葉の響き。。。
そうなの、この岩海苔は冬に獲るの。冬場のが一番美味しいのでしょう。でもこれを職業にしたら、たいへんなことだわね~!私の場合は3月頃だったと思うけれど。春先とはいえ、まだまだ冬と言う感じで。
家で食べる一食分だけ毟るのだけど、まぁ遊びのようなもので。労多くして益少なし、帰りは濡れて悲惨(笑)でもあれはやっぱり、珍味だったのね~
冬の冷たい海で岩海苔を取りに行ったんですね。
波がかからないように波と競争して採らなければいけないんですよね。危険と背中合わせの感じです。(採りに行ったことないのだけど・・・)
そんな大変な思いをして採る岩海苔の味は格別ですね。
私の実家は黒部川扇状地の真ん中なので、海にも、山にも近いんです。私の父も冬の海で岩海苔を採って乾燥させたものを火であぶって食べさせてくれたこと思い出します。
磯の香りが強く香ばしくて絶品でした。その父も80を過ぎたのでさすが冬の海に岩海苔を採りに行かなくなり、今は岩海苔を食べることができなくなりました。今思えば貴重な食べ物だったんですね!
先ほどは、
誠にありがとうございました。
もう、しびれっ放しです。
胸キュン少しいたしました。
美味しいだけのフキノトウに仕上げてしまいました。
ちょっと、フキノトウさまに失礼でした。
後で、よろしければ覗いて見てくださいね~。
あぁ~、それでなくて、絶対ですよ~~♪
いつもお世話になりましてありがとうございます。