小沢昭一的ココロのスタイル

2008-10-10 21:19:24 | こんなンで委員会

コルチカム (別名 イヌサフラン)


その日、小沢氏とは六本木の喫茶店『アマンド』の前で待ち合わせていた。そこを指定されたからである。

六本木などという華やかな街には、当然私は行った事がない。未だにそこにどうやって行ったのかさえ、ほとんど分っていないのが情けない。

カメラマンのMさんの背中だけを見詰めながら、ひたすら後を付いて行くだけ。へぇ~ここが有名な六本木かぁ~・・ただ人が多い場所だなぁと思うばかりなり(笑)

『アマンド』は満席のようだった。と、すぐに左手からコート姿の小沢氏が、颯爽とこちらに向って歩いて来るのが見えた。

小沢氏は気さくな感じで、先日来の知り合い人のように簡単に挨拶を交わし、パッとドアを開けてお店の人と席の交渉をしていたが、満席ならば致し方ないこと。

じゃ、違う喫茶店に行こう!という訳でまた歩き出した。巧みに人混みの中を縫うように、コートの裾を大きく翻して闊歩する氏。はぐれないように真剣に後をついて行く私とMさん。周りを見ている余裕のない、私はとんでもない”方向音痴”なのであった。

スクランブル交差点を渡っている時、氏の顔見知りのTVスタッフが交差点の雑踏を撮っていたらしい。
氏はいち早く見つけて近寄り、「今日は何を撮ってるの?まさか僕じゃないよね?」と声をかけていた。
スタッフの人たちはにこやかに、違います~と手を振っていた。さすが芸能の人、その眼は広く色々な物を逃さないように見て、絶え間なく動いているものだ、と妙に感心したり。

さて、氏行きつけの『ベル』という名前の喫茶店に落ち着いて、インタビューが始まった。


 コルチカム 清々しく


☆小沢さんは俳優でありながら、コントや演出・本の出版・レコード制作など、まさに八面六臂の活躍をされています。私たちの眼には多才な人と映りますが。

小沢)自分ではそれほど多才だとも思っていないんだけれども・・。色んなことをしているのは確かで、多才だと誤解されるような事もやっているんだが。
ボクはそれもこれも皆やっぱり”役者の仕事”と考えているんです。どれもタダでやっていなくて、お金を貰ってやってるんですからね。。それほどスウコウなことではないんでありまして。
「趣味生活」としてやっているんであれば、小沢昭一もマコトニ立派なものなんだけれど。

☆「長生きも芸のうち」などと言いますが、小沢さんも「長生き」に執着されているとか(笑)

小沢)普通の人はヨイヨイになってまで生きていたくないと言いますが、ボクはヨイヨイになっても長く生きていたい方ですよ。

☆それは、人生がすごく面白いものだからでしょうか。

小沢)そうです、面白いのです。もしもヨイヨイになったらなったで、それなりの面白い生き方があるんじゃないか、なんて思って。。今、アイディアが二つ浮かんだ。まだ時間をくれれば。。

☆どうぞどうぞ(笑)

小沢)そんな風になっても、決して慌てることはない。ヨイヨイ人生を大いに楽しんで生きようじゃないかー!と思っているぐらいだから、ボクはいつまででも生きていたい。

☆芸人に徹し切って、という生き方ですか。

小沢)そうだかどうだか、よく分らないんですけどね。

☆環境の変化によって自分が変化して行って、その中でも確実に生かし切れる自分というのは?

小沢)そうねぇ。「生かす」というよりも、どうやっても食って行くかということだけど。。その中にも楽しさは必ずある、という考え方ですよ。だからよく「乞食」にまで落ちたくないというけれど、乞食はそうとういいんであってね。

昨日のお彼岸、大阪の天王寺さんをブラブラしていたら、そういう方がいっぱい居た。あそこは名所でね、何千年も前からずーっと居て、今もやっぱり居る。昔に比べると少なくなったけれども。
その方々が、色んなことをしてお金を取ってるんですよ。その取り方はいろいろある。
そういうのを隣で見ていて、ボクは非常に感動したわけです。で、今はイヤだけれども、年取ってね、先行きあの仲間に入って並んでおもらいすることを、全然平気で、ちょっととっても素晴らしいと思う。
その乞食の姿というのは、自分でもわりと惚れていて、まぁ・・憧れている姿ですね。

☆2年ほど前にレコード『ドキュメント・日本の放浪芸(小沢昭一が訪ねた道の芸 街の芸)』を出されて、たいへん話題になりました。振り返ってみていかがでしょう。

小沢)まだ続けてやっているんですよ、続編を。昨日、天王寺さんに居たのも、その仕事でです。

☆あ、そうなんですか。この先ずっと続けられるのですか?

小沢)ええ。ずっとと言っても限度があると思いますけど。まぁ、あと1年かそこいら位でしょうか。やりかけた仕事なんでね、少しまとまるまでやってみようかなという気持ちです。

☆そもそも「放浪芸」のお仕事は、どういった動機で始められたのでしょうか。

小沢)あれは、自分が芸人としてです、仕事をやる上での一つの精神的な”骨”のようなものを掴んで来たかった、ということで始めたわけです。ですから、全く個人的なことで。。
ああいうものを残さなきゃならないとか、ああいう芸がものすごくスバラシイから今の人に聴かせたい、知らせたい、などと思ったことは一度もなかった。
そういうものを漁っている中で、ボクが現代に生きる俳優として、仕事をやる”骨”みたいなものを掴みたかっただけ。

それが、商品にしようという声があって、商品になって、それでお金が入ってきたという事は、たいへん申し訳ないと思っているわけです。
だいたい役者ってものは、自分の修業のなかで人知れずそっとね、己の”乞食袋”になんでもかんでも貯め込んで、それが発酵して何ができるかなぁ、という性質のものなんです。
その”乞食袋”を開放して「こういうふうにやりました」なんていうのは、ボクにとってとても恥ずかしいことで・・居ても立ってもいられないものです。

。。しかし、あのためにお金が入って、それで親子四人が暮らせたんですから、しょうがないな~とは思っているんだけどね。


芸能の原点を求め続けて、放浪芸の収集、発掘、記録、保存、著述等の活動を熱心に推し進めている。


との世間の評価を、これはあくまで自分のためだけにやったこと、と何度も繰り返し話されていた小沢さんの真摯な偉さを、今更ながら噛みしめている私が居る。お会いした当時の小沢昭一さんは、まだ40代半ばであったのだ。 (次回に続く)


 
オシロイバナ(白粉花)

※このインタビューは、小沢昭一さんが大活躍されていた1973年のものです。現在においては不適切?な言葉が何度となく出されているかと思いますが、当時のままに載せています。どうぞご寛恕くださいますよう、よろしくお願い致します。



にほんブログ村 シニア日記ブログへ   『放浪芸』について考えてみた という方はポチッと



コメント (17)    この記事についてブログを書く
« 惚れさせるのでなく、先に相... | トップ | 小沢昭一的ココロのスタイルⅡ »
最新の画像もっと見る

17 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
渋谷ジャンジャン (山裾の人)
2008-10-10 22:45:32
こんばんわ
懐かしいアマンドですか・・
赤坂見附、六本木、渋谷あの界隈は若い頃に歩きました。
ジャンジャンは永六輔さんマルセ太郎さんの出演のときは必ず行きましたね。
狭くて隣の人と方が触れあうような最高の場所でした。
小沢さんは新橋演舞場?明治座?定かではありませんが
斜め前の客席に深く腰掛けていたのが印象的でした。
懐かしい時代です。
返信する
山裾の人さんへ (トーコ)
2008-10-10 23:25:39
山裾の人さんこんばんは^^

え?そういう所に通っていらしたのですか~、通ですね通
私は高卒で上京したばかりの頃で、まったくどこも知りません。仕事を覚えるのに一生懸命でね~(笑)
「アマンド」は有名でしたね。渋谷「ジャンジャン」とかは、三輪明宏さんが出ていたとか?むろん行ったことはありませんが^^;

ところで「シモバシラ」は見ていただけましたか?右のブログ内検索で、よろしくお願いします、ご感想を~
返信する
ラジオ族には懐かしい (だんだん)
2008-10-11 01:08:08
ズーッと前からラジオ愛してます。
彼のあのお話しが、まだ続いてるのは知らなかった。
トーコさんは記者をされていたのですか?
活躍してたのですね、オバサンには遠い世界・・・
インタビューだけでも、本になる内容です。
素敵な方

コルチカム、大好き!
けなげにお空に手を伸ばしてるみたいでネ
返信する
仕事 (オコジョ)
2008-10-11 07:08:06
私は、仕事とは何かというと、一年に一日も旧家は取らない、休日も出勤する。時には午前まで仕事をする。
でも、仕事人間ではなかったですね。
子供たちから、「見れば、趣味で生きている。」と・・・
だから60でさっつと仕事をやめなした。
きらいなものは続けないと(笑)
だから、まだ、退職金を食いつぶしています。
与えられた仕事は、きちんとするが、好きではないし、それ以上には・・・
だから、出世はしなかった(笑)


小沢さんは、趣味が仕事だったんでしょうね。
幸せな人なのかもしれません・・・
だから、生き生きしているのかもしれませんね。
返信する
訂正 (オコジョ)
2008-10-11 07:10:08
「旧家」だって、「休暇」ですよね。
いつものとおり訂正です。
返信する
だんだんさんへ (トーコ)
2008-10-11 09:58:32
だんだんさんおはようございます^^

ただのOLなんですけれど、そういう(会報を出すような)部署があって、そこで仕事をさせていただきました。短い間でしたが、夢のように楽しい日々でしたよ。
文中で小沢さんが言っている「乞食袋」とは、確か「ほいとぶくろ」と読むのではなかったか。若い私には、顔をしかめたくなる言葉ばかりで。。。辛いものがありましたが
コルチカム、犬サフランを品種改良したのがコルチカムだと聞きました。不思議なお花ですが、綺麗ですよね。コメントをありがとうございました。感謝~~

返信する
オコジョさんへ (トーコ)
2008-10-11 10:16:03
オコジョさんおはようございます^^

小沢さんは今、幾つになるのかしら。。80歳近いでしょうね。中年の小沢さんの良さがわからなかったデス。でも今の小沢さんは味があっていいなぁ、と再認識した次第です
彼の中には、戦中(終戦)戦後の傷あとを引きずっているやるせない哀愁と、ある種の日本人としての気概を感じるのです。これは、若い時には気付けなかったことでした。

男性も、仕事と趣味と家庭サービスと、うまく調整してやっていくのは大変そうですね。今はオコジョさんは”趣味”に生きていらっしゃるのでしょうか。私も、よく考えれば好きなことしかしていない自分を、幸福者だと思っています。コメント訂正もありがとうございました。今後も、当ブログに呆れかえる事のないようよろしくお願いいたします~
返信する
紫がきれい! (かずこ)
2008-10-11 21:04:16
イヌサフランの紫色がすてき!
そして清楚な花ですね。
よくいろいろなお花を見つける事!
感心するやら、羨ましいやら・・・
返信する
トーコさん・こんばんは^^ (じぃじ)
2008-10-11 22:55:07
 トーコさんは、何をなさっておられた方なのですか?
 小沢昭一氏のレコード「日本の放浪芸」、じぃじも買って持っていますよ。
 6枚組だったか7枚組だったかな。
 懐かしいですね。
 いま、あのレコードどこにしまってあるだろう。
 器用な方ですね。

 それよりも、じぃじが驚いたのは、
 トーコさんが、小沢氏と対談しているということです。

 トーコさん、次回を楽しみにしています。
 またね^^
 
返信する
凄かです。 (森と山ちゃん)
2008-10-12 08:29:25
トーコさん。おはようございます。

最近は落ち葉ちらつく茶色が秋という季節を一層引き立てます。
いずれ身にこたえる寒さが人恋しさを誘い出すでしょう。

しかし、凄かです。小沢さんと仲良しだったなんて。

あの頃の東京の空は何色だったんでしょう。
やはりいつも都会特有の灰色だったのでしょうか。
しかし、夕方の茜色だけは眩しかったでは。

どうでもよかとですが
「アマンド」はクラバァンの「アマンダ」
「ベル」はバァクスの「ブルーベル」を思い出すとです。
又読み返す気になりました。有難うございます。

へえ~。小沢さんは自分では芸人と思っていたのかあ。
次回作も期待しとります。

しかしトーコさんは凄かです。。。

返信する

コメントを投稿

こんなンで委員会」カテゴリの最新記事