復楽園(PART 1)
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『失楽園』
渡辺淳一の小説。また、それを原作とした映像作品。
小説は1995年から翌年にかけて『日本経済新聞』に掲載され、1997年2月に講談社から単行本として刊行された。
上下巻を合わせた年間発行部数は267万部、現在は300万部を突破している。
不倫を主題にし、一般向け新聞連載ではあまり例のない性描写を含め、連載当時から話題になる。
映画・テレビドラマ化され、流行語にもなった。
有島武郎の心中事件をモチーフとしており、小説後半の多くは自殺現場調書の引用で占められている。
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あらすじ
出版社の敏腕編集者である久木祥一郎は、ある日突然、編集の第一線から閑職の調査室配属を命じられた。
そんな久木の前に、友人・衣川が勤めるカルチャーセンターで書道の講師をしている松原凛子という美しい人妻が現れる。
彼女は“楷書の君"と呼ばれているほど折り目正しく淑やかな女性だが、久木の強引でひたむきな恋の訴えに、やがて彼を受け入れた。
そして、週末毎に逢瀬を重ねていくうちに、凛子はいつの間にか性の歓びの底知れない深みに捕われていく。
二人の関係は次第にエスカレートしていき、凛子の養父が死んだ通夜の晩、久木にせがまれた凛子は、夫や母親の眼を逃れて喪服姿のままホテルで密会した。
凛子は罪悪感にさいなまれるが、それはかえってふたりの気持ちを燃え上がらせる。
やがて、久木は密かに都内にマンションを借り、凛子との愛の巣を作り上げた。
しかし、そうした大胆な行動は隠し通せるものではなく、凛子の夫・晴彦は興信所の調査で妻の不貞を知る。
晴彦はあえて離婚しないことで凛子を苦しめようとし、一方、久木の妻・文枝は静かに、しかしキッパリと離婚してほしいと要求した。
家庭や社会からの孤立が深まっていく中、それでも二人は逢うことを止めようとはせず、世間並みの日常が失われていく分だけ、二人だけの性と愛の充足は純度を増していく。
そんな折、久木の会社に彼の行状を暴く告発文が送られてきた。
久木は、それをきっかけに辞職を決意し、文枝との離婚も承諾する。
凛子もまた晴彦や実母との縁を切って、久木のもとに走った。
「至高の愛の瞬間のまま死ねたら」という凛子の願いに共感するようになった久木は、誰にも告げず、二人でこの世を去ろうと決意する。
雪深い温泉宿へ向かった久木と凛子は、生命を絞るように激しく求め合ったまま、互いに毒の入ったワインを口にした。
後日発見されたふたりの心中死体は、局所が結合したままの愛の絶頂の瞬間の姿であった。
映画
1997年5月10日公開。
制作は角川書店、東映、エースピクチャーズ、日本出版販売、三井物産。
日本アカデミー賞、報知映画賞、キネマ旬報賞受賞作。
監督:森田芳光
制作総指揮:角川歴彦
脚本:筒井ともみ
キャスト:
久木祥一郎:役所広司
松原凛子:黒木瞳
衣川和記:寺尾聰
松原晴彦:柴俊夫
久木文枝:星野知子
知佳:木村佳乃
出典: 失楽園 (渡辺淳一)
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
『10分間の失楽園』に掲載
(2012年5月1日)
デンマンさん。。。今日は「失楽園」やのうてぇ「復楽園」について話しますのやろう?
そうやァ。
それやのに、あんさんはなんで『失楽園』を持ち出してきやはったん?
『失楽園』を持ち出さへんかったら、「復楽園」の意味がよう解(わか)らへんやないかいなァ。 そもそも『失楽園』は有島武郎の心中事件をモチーフとしているねん。
それは上のウィキペディアの中にも書いてありますやん。
そうやァ。 それにもかかわらず、あの映画は有島武郎と波多野秋子の心の問題を、阿部定と石田吉蔵の体の問題とごちゃ混ぜにして作られてるねん。
失楽園 (1997) 予告篇
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「至高の愛の瞬間のまま死ねたら」という凛子の願いに共感するようになった久木は、誰にも告げず、二人でこの世を去ろうと決意する。
雪深い温泉宿へ向かった久木と凛子は、生命を絞るように激しく求め合ったまま、互いに毒の入ったワインを口にした。
後日発見されたふたりの心中死体は、局所が結合したままの愛の絶頂の瞬間の姿であった。
そやから、悲劇というよりも喜劇、喜劇と言って差しさわりがあるならば、有島武郎と波多野秋子の心中事件のパロディーになってしもうとるねん。 そやから、わては初めの10分間ほど見ていたら、けったいな話の進め方に、見ていて恥ずかしくなってしもうたのやァ。
どこが、けったいやったん?
あのなァ~。。。まず、久木祥一郎と松原凛子が、どないなわけで離れられへん関係になったのかが初めに描かれてへん。 まるで1980年代のアダルトビデオの導入部分のようなデレデレした二人の関係が初めに映し出される。
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見ていて恥ずかしくなるねん。 アダルトビデオを見ているのとちゃうねん。
それは、あんさんの個人的な受け留め方やん。
そうやァ。 とにかく、観ている人が恥ずかしくなるような映画を作ったらあっか~ん!。。。そう、わては叫びたくなったのやがなァ。
わたしは、それほどけったいやとは思わへんかったわ。
めれちゃんは、デレデレしたシーンが好きやさかいになァ。 しかも、わてが「これは、もうあっか~ん!」と思うたのは、初めから10分後に出てくる久木祥一郎と友人の衣川和記が、ちょっとした小料理屋のようなところで酒を飲むシーンやァ。 まるで小津安二郎監督が作るようなシーンを真似てるのやないかいなァ! そう思わせるようなシーンなのやァ。
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それが、けったいやったん?
そうやァ。 寺尾聰が演じる40代のおっちゃんが「あ~ァ。。。恋がしたいなァ~」と言うねん。 そないな事を40代の男が言うはずないやろう!
それも、あんさんの個人的な意見ですやろう? 40代のおっちゃんがそないに言うのが、それほどけったいなん?
あのなァ~。。。もし小津監督が同じシーンを撮るとしたら、もうちょっとましな台詞を考え付くと思うでぇ~。。。
たとえば。。。?
たとえば。。。「なんかァ、こう。。。若者に戻ったような気にさせる。。。、一緒に居るだけで、わくわくするような女に出会いたいなァ~」。。。せめて、こないに言うて欲しかった。 それやのに、「恋がしたい」と言うねん。 10代の青春映画ならそれでもかまへん。 そやけど、結婚して子供が居るような中年のおっちゃんが、「恋がしたい」。。。では、芸にならへん。 わてならば、もっとましな台本を書くでぇ!。。。
つまり、脚本がダメやったと、あんさんは言いたいん?
そうやァ。。。脚本が良ければ、下手な役者がやっても、それなりに観れるものや。 そやけど、脚本がダメやと、どないに旨い役者が演じてもダメなものやでぇ~。。。
そうやろか?
とにかく、あの映画から受けた感じは魔女さんが次の文章の中で代弁してくれとるねん。
渡辺淳一文学【失楽園】ブーム辺りから
不倫恋愛を婚外恋愛と美化するのは愚かしくも卑しく醜く感じます。
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失敗談を美談に置き換える計算なのか
大抵ブログで見掛けるのは他人様の夫や妻を摘み食いされる
又はするお馬鹿さん達が得意顔で記事を書いては自己満足か
自慰みたいな自己憐憫であり不自由な状況での欲求不満ばかりが目に付く。
奇妙な世の中よね。
辻褄合わない虚言夫婦話もあれば異常執着する話も有るけど、反面教師。
相変わらずお馬鹿な戯言を抜かすのも目に付いて
こんな日にこんな話題と読んで思わず笑ったわ。
可哀想にとね。
あぁは成りたくないと思うだけですけど。
『良い夫婦の日が過ぎて』より
写真はわてが付け加えました。
改行等ちょっと編集してあります。あしからず。
『楽園と無責任大国日本』に掲載
(2007年11月25日)
。。。で、あんさんが監督さんなら、どないな映画にするのォ~?
師であった内村鑑三が「この度の有島氏の行為を称えるものが余の知人に居るならば、その者との交流を絶つ」と言うたのやァ。 おそらく、有島武郎は師からそう言われるのを知っていたに違いない。 それなのにどうして心中を選んだのか? そこを映画で描くべきやったのやァ。 それが『失楽園』では『愛のコリーダ』の続編のようなものになってしもうた。 性欲不満をどうするか? というような映画になってるねん。
辞世の歌は次の3首。
○幾年の命を人は遂げんとや思い入りたる喜びも見で
○修禅する人のごとくに世にそむき静かに恋の門にのぞまん
○蝉ひとつ樹をば離れて地に落ちぬ風なき秋の静かなるかな
唐木順三の評では上の3首は「いずれも少女趣味以上ではない」となってるねん。
あんさんも、少女趣味以上ではないと思いはるゥ~?
いや。。。深い意味が上の3首の中には眠っていると思うでぇ~。 そやから、わてが映画監督なら、その深いものを映画の中で描くつもりやァ。
あんさんも映画を作ったらええやんかァ。
映画は金がかかるよってに、『軽井沢タリアセン夫人 - 小百合物語』を書いてるねん。
■『軽井沢タリアセン夫人-小百合物語』
。。。んで、そのテーマは。。。?
『復楽園』。。。
あんさんは『軽井沢タリアセン夫人 - 小百合物語』の中でマジで復楽園を描いているつもりやのォ~?
そうやァ。。。めれちゃんには、そのように見えへんのかァ~?
そないに見えしまへん。
愛想のない言い方やなァ~。。。
あんさんと小百合さんの物語を読んで、魔女さんは次のように書いたとわたしは思うねん。
大抵ブログで見掛けるのは他人様の夫や妻を摘み食いされる
又はするお馬鹿さん達が得意顔で記事を書いては自己満足か
自慰みたいな自己憐憫であり不自由な状況での欲求不満ばかりが目に付く。
奇妙な世の中よね。
(中略)
相変わらずお馬鹿な戯言を抜かすのも目に付いて
こんな日にこんな話題と読んで思わず笑ったわ。
可哀想にとね。
あぁは成りたくないと思うだけですけど。
めれちゃんの僻(ひが)みやなァ。
なんで、わたしが僻まんとあかんのォ~?
そやかて、めれちゃんは次のように書いていたのやでぇ~。
ディスレクシア
オマエは言葉がわからないんだな
ディスレクシアだからな
オマエにもわかるように言ってやる
わたしのすべてと関わるな
わたしにとってオマエの存在を消せ
オマエの頭からわたしを消せ
こっちだっていつまでも
我慢するわけにはいかないんだ
オマエの影がちらつくと
吐き気を催すんだよ
わたしを利用するのはやめろ
どっかのババアをネタにすれば
それで話は片付くんじゃないのか
オマエがこれ以上関わってくるんなら
強制的に排除してやるからな
潔くあきらめちまえ
未練がましいオマエが
心の底から気持ち悪いんだ
by merange (めれんげ)
September 28, 2009 17:08
『極私的詩集 ディスレクシア』より
『仲直りの接吻』に掲載
(2010年1月23日)
わたしが僻んでこれを書いたと、あんさんは言わはるのォ~?
そうやァ。。。それ以外に考えられへんがなァ。 小百合さんの出現に、初めの内は堪(こら)えていたのに堪えきれなくなって、めれちゃんのムカムカはついに限界に達して、このように爆発してしもうたのやがなァ。 そやけどなァ、小百合さんは何と呼ばれようが冷静やったのやでぇ~。。。それで、めれちゃんをじっと見守って次のように書いていたのやないかいなァ。
(すぐ下のページへ続く)