名物先生と斜陽日本(PART 1)
(bocchan6.jpg)
日付: Sat, 1 Aug 2009 15:34:13 +0900 (JST)
(バンクーバー時間:7月31日 金曜日 午後11時34分)
差出人: "domini@yahoo.co.jp"
宛先: "green@infoseek.jp"
件名:バカな日々を送ってましたよ。
\(*^_^*)/
やっと 昨日で長男坊の夏季セミナーも一段落
次男坊も課外授業も、いったん休憩で
残りは8月末に。
それで、 夏休みがやってきました。
明日から 軽井沢にいってきますが・・
すぐ戻る。
先生が時々 来る。
元気ですから、朝ゆっくり 起きてます。
以前は眠れず、5時か6時に目がさえてしまって、
昼間は 早く夜になって
酒を飲んで眠りたい と思い。
夜は早くから 目がさめて眠れず、
朝になって起きてしまいたい と思い。
バカな日々を送ってましたよ。
(室生)犀星に グチでもたれてきます。
さゆりより
Subj:小百合さんと二人で
また、あのせせらぎのそばを
歩きたいで~♪~す。
\(*^_^*)/ キャハハハ。。。
Date: 01/08/2009 11:50:49 AM
Pacific Daylight Saving Time
(日本時間:8月2日 日曜日 午前3時50分)
From: green@infoseek.jp
To: domini@yahoo.co.jp
CC: barclay1720@aol.com
やっと 昨日で長男坊の夏季セミナーも一段落
次男坊も課外授業も、いったん休憩で 残りは8月末に。
それで、 夏休みがやってきました。
軽井沢に行っているものと思っていたけれど、
子供のために頑張っていたんだね!?
それでこそ子供が懐かしく思い出す“まぶたの母”ですよう。
\(^o^)/ キャハハハ。。。
小百合さんが、こうして返信を書く気分になったのだから、以前から比べれば、心配事も少なくなったのでしょうね。
明日から 軽井沢にいってきますが・・
すぐ戻る。
そうです。そうですよう。。。
小百合さんも癒されないと精神的にまいってしまうもんねぇ~。
何もかも忘れて、小百合さんの“聖地”で思う存分森林浴をしてきてね。
体も心も充電してきてね。
先生が時々 来る。
うjん、うん、うん。。。
母親がどういう精神状態なのか?
それを見れば、先生は子供の状態までが分かるものですよう。
母親がしっかりしているのを見れば、先生も安心するのです。
そう言えば思い出しましたよう。
僕の弟が小学生のとき、隣の“ちいこちゃん”が同じクラスだったのですよう。
菊ちゃんと喧嘩した“おきよさん”の次女ですよう。
■『菊ちゃんを旅する』
(2008年4月26日)
(菊ちゃんとおきよさんの面白い話)
確か、弟が小学校4年生か5年生でしたね。
クラス担任が五月女(そうとめ)先生でした。
この先生は僕の親父の従弟です。
家庭訪問のときに、隣まで来たのに僕のお袋に会いに来なかったので
お袋はつい最近の思い出話でも、その事を良く思っていませんでしたよう。
やはり、会いに来るべきだったとお袋は言うのです。
もちろん、親戚だから、五月女(そうとめ)先生は僕のお袋のことを良く知っていました。
小学生時代も中学生時代も、僕の弟は模範的な生徒だったから、
とりわけ、お袋と話をする必要がなかったのです。
その当時、五月女(そうとめ)先生は独身だったので、
お袋と二人で話をすることがなんとなく気恥ずかしい気持ちだったのかもしれません。
でも、お袋が先日、火傷して入院している時に
お見舞いの品が届いたそうですよう。
20年以上経っているのに、お袋の事を忘れていないのですよね。
五月女(そうとめ)先生は、立派な先生でした。
校長先生を最後に退職して悠々自適な生活を送っています。
僕は直接、五月女(そうとめ)先生の教えは受けなかった。
親父も五月女(そうとめ)先生も教科の中では音楽が専門だったから、
五月女先生が合奏部を作った時にコントラバスをやらないかという話が出て、
それで、僕は合奏部に入ってベースをやり始めたのです。
NHKコンクールで関東甲信越地方で3位に入ったことがありました。
そのときの演奏がレコードで残っていますよう。
「ハンガリア舞曲第5番」と「美しく青きドナウ」
なつかしい。
ハンガリーの首都・ブダペストを流れる
美しく青きドナウ川
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■『暑中お見舞い』
(2009年8月9日)
「ハンガリア舞曲第5番」
<iframe width="420" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/xCBsR4lO730" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>
元気ですから、朝ゆっくり 起きてます。
以前は眠れず、
5時か6時に目がさえて しまって、
小百合さんは意外に繊細なところがあるのですね?
ヽ(´ー`)ノ うしししし。。。
■『仙台辛味噌ラーメン』
(2009年2月24日)
でも、そう言う繊細な心があったからこそバンクーバーまで「仙台辛味噌ラーメン」を送ってくれたのでしょうね!?
小百合さんの繊細さとやさしさを僕は愛していますからね。
\(@_@)/ キャハハハ。。。
昼間は 早く夜になって
酒を飲んで眠りたい と思い。
夜は早くから 目がさめて眠れず、
朝になって起きてしまいたい と思い。
バカな日々を送ってましたよ。
犀星に グチでもたれてきます。
はい、はい、はい。。。
犀星に たくさんグチをたれてきてね。
そうすれば、小百合さんの気持ちもさっぱりするでしょう!
そう言えば、あの犀星の文学碑ね。
あの場所は夏ならば、めちゃ涼しいだろうね。
あの文学碑は記事でも、ずいぶんと取り上げたけれど、
僕にとっても懐かしい場所になりました。
そうだよね。
あの文学碑は夏には軽井沢で最も素晴らしいスポットだと僕は信じますよう。
それこそ森林浴には絶好の場所ですよう。
あのせせらぎは、「アカシヤの小径」、「恋人たちの小径」のそばを流れてゆくのですからね。
うん、うん、うん。。。小百合さんと二人でまた、あのせせらぎのそばを歩きたいですね。
\(*^_^*) /キャハハハ。。。
は~♪~い。
そう言う訳で、小百合さんも文学碑を僕の分まで眺めてきてね。
癒されて、身も心も充電して、元気にたくましく生き抜いてね。
(\__/)
(+'.'+)
(")_(")
じゃあねぇ~
『暑中お見舞い』より
(2009年8月9日)
デンマンさん。。。また古いメールを持ち出してきたのですわね。
いけませんか?。。。 しばらくぶりに読んで小百合さんも懐かしいでしょう?
懐かしいというよりも、なんだか子供の学校の事で嫌な事がまず思い出されましたわ。
小百合さんは次男の事でまだ頭を悩ませているのですか?
いいえ。。。いつまでも次男の問題で振り回されるのもどうかと思いまして、最近では心を切り替えるようにしていますわ。 それにしても、どうして「名物先生と斜陽日本」というタイトルにしたのですか?
たまたま以前に書いた記事の中で次の小文を見かけたのですよ。
「ザ・コーチ 人生ノ教科書」
横道にそれてもいいんだ
伝説の国語教師 橋本武
2009年10月12日(月) 午後10:45~11:30
「ザ・コーチ」は、スポーツ、芸術、学問など、さまざまな分野で優れた人材を育ててきた名指導者たちの教えを通して、子育てやコミュニケーションのヒントを探る番組です。
今回の主人公は、元国語教師・橋本武さん(97歳)。
橋本さんは、神戸の中高一貫校、灘中学・灘高校で50年間教壇に立ち、かつては無名だった同校を、私立としては初めて東大合格者数日本一に押し上げた“伝説の国語教師”です。
しかし進学校のイメージに反して、その授業は世の受験勉強とは全く異なるものでした。
教科書代わりに使ったのは、一冊の文庫本。
中勘助の小説「銀の匙」です。
橋本さんは、およそ200ページのこの作品を、中学の3年間かけて読み込む異色の授業を行いました。
国語嫌いだった生徒からも、学ぶ意欲を引き出し、やがて東大へと導いた橋本さん。
その指導法とはどんなものだったのでしょうか?
『横道にそれてもいいんだ
~伝説の国語教師 橋本武~』より
学ぶ意欲を引き出し、やがて東大へと導いた橋本さんが素晴らしい先生だと言いたいのですか?
いや。。。別に東大へ導いたことが素晴らしいと言うつもりはありません。 生徒を勉強嫌いにさせないと言うことですよう。 生徒から学ぶ意欲を引き出し、やる気を起こさせ、学ぶことの大切さと楽しさを教え込むと言うことですよう。
橋本先生が、そのような事を国語の授業を通じてなさったということにデンマンさんは感動したのですか?
その通りですよ。 文章の中に出てくる様々な文物を、実際に見せたり味あわせたり、体験させたりするのですよう。 駄菓子が出てくれば、生徒全員にその駄菓子を与えて食べさせてみたりする。 凧揚げが出てくれば実際に凧を作ってあげてみるのです。
面白そうですわね。
小百合さんだって駄菓子が食べられれば授業が好きになれるでしょう?
そうですわね。 田楽が出てきて味噌田楽でも授業中に食べられれば最高の授業だと思いますわ。うふふふふふ。。。
橋本先生は周辺知識を真面目に取り上げて、どんどん横道にそれてゆくのですよう。 文章に干支が出てくれば、干支の説明をしっかりすることに加えて、十干十二支を教えて、「甲子園球場」の名前の由来はを教えたりするのです。
どういう由来があるのですか?
大正年間に始まった全国中等学校優勝野球大会は、豊中球場で始まって第3回大会からは兵庫県武庫郡鳴尾村(1951年に西宮市と合併)にある鳴尾球場で開催されるようになったのですよ。 だんだんこの野球大会が人気が出てきた。 特に1923年の第9回大会では鳴尾球場に近い地元・甲陽中が決勝戦で和歌山中との近畿対決を制したことから、中等学校野球人気がピークに達した。 それで主催の大阪朝日新聞は、本格的な野球場建設を提案したわけです。 なんとニューヨークにあったニューヨーク・ジャイアンツの本拠地、ポロ・グラウンズをモデルに設計したというのです。 完成するまでは枝川運動場と名づけられていたのだけれど、1923年が十干十二支の最初の組み合わせに当たる甲子年(きのえねのとし)という60年に1度の縁起の良い年であることから、甲子園という名前にしたのですよ。 そういう由来も橋本先生は説明したわけです。
野球の好きな生徒は喜ぶでしょうね。
それから、橋本先生は自作の研究資料・授業プリントを作るのですよう。 僕が驚いたのは小説の中で分からない語句が出てくると橋本先生は徹底的に調べるのです。 それでも分からないと作者の中勘助さんに手紙を書いて教えを請うのですよう。
マジで。。。?
僕も仙台商業高校で教えたことがあるし、カナダの大学でも教えたことがあるけれど、そこまでした事は無かった。 つまり、橋本先生の生徒に教える熱意が良く分かるのですよ。
デンマンさんには生徒に教える熱意が無かったのですか?
もちろんありましたよう。 ただし、初めだけで、そのうち教える事に興味を失って辞めてしまった。 橋本先生のような熱意はありませんでした。。。僕は反省しています。
それで。。。橋本先生の教え方に、それ以外に独創的な事でもあるのですか?
あのねぇ~、1年間教え終えたら資料やプリントを綴じ込ませて冊子にする。 これを3年間続けるのだから、手作りの教科書が3冊できることになる。
それを6年続けたのでござ~♪~ますか?
そうなのです。 灘中学・高等学校は、ある学年の教科担当は6年間持ち上がりだそうです。 つまり、最初に中学1年生の国語を担当したら、その教師は6年間その生徒の国語を教えることになる。 したがって、その学年の学力は担当した教師に全責任がかかることになる。
つまり、灘校の教師は、ご自分の全責任で6年間通して生徒の教科を担当するということですか?
そうなのですよう。 つまり、先生も生徒も燃えるのですよう。 先生は、いろいろな手法を試そうとする。 惰性で教えていたら学力向上は望めない。
つまり、そのようにして橋本先生は生徒を勉強嫌いにさせなかったのですわね。 そして、生徒から学ぶ意欲を引き出し、やる気を起こさせ、学ぶことの大切さと楽しさを教えたのですわね。
その通りですよ。 ところが最近の日本の教育は斜陽になっている。
どういうことですか?
ちょっと次の小文を読んでくださいよ。
(すぐ下のページへ続く)