私の国では火あぶりです(PART 1)

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デンマンさん。。。あんさんはどうして残酷な火あぶりの刑など持ち出してきやはったん?

あきまへんか?
むごいやんかア! しかも火あぶりの刑にされているのは女性ですやん。
そうやァ。
女性蔑視。。。女性虐待やんかァ。 ドメスティック・バイオレンスどころではないのやでぇ~。。。こないなことをネットで書きはると女性市民団体からクレームが殺到しますがなァ。
めれちゃん。。。上の写真はジャンヌ・ダルクが火あぶりにされたという歴史上の事件を基にして映画にしたものやでぇ~。。。その映画のポスターやんかァ。
ジャンヌダルク
(仏: Jeanne d'Arc)
(英: Joan of Arc)

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誕生: 1412年1月6日
刑死: 1431年5月30日
ジャンヌダルクは、「オルレアンの乙女」(仏: la Pucelle d'Orléans/英: The Maid of Orléans)とも呼ばれる。
フランスの国民的英雄で、カトリック教会に於ける聖人。
百年戦争で活躍してオルレアン解放に貢献したが、コンピエーニュで捕虜となり、ルーアンで刑死した。
火刑

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1431年5月30日、ジャンヌは異端者として教会から破門とイングランド軍による即時死刑を宣告され、ルーアン市内のヴィエ・マルシェ広場で火刑に処された。
火刑は中世ヨーロッパのキリスト教的世界に於いて、処刑される者にとっても最も苛烈な刑罰だった。
その残虐な刑罰方法もさることながら、重要なのは死体が灰になってしまうという点にある。
当時の埋葬方法は土葬が基本だった。
キリスト教のカトリックであれば誰もが死後には土葬を望んだのである。
その理由というのは、遺体が燃やされて灰になってしまっては最後の審判の際に復活すべき体がなくなってしまうから、という宗教的なものだった。
火刑は肉体的・身体的な恐怖感のみならず、精神的・宗教的な絶望感をも与えたのである。
近代に入り、欧米でも国によっては火葬は公衆衛生学的な視点から伝染病対策などとして積極的に勧められるようになったが、熱心なキリスト教の信者たちは火葬に対して強い抵抗を感じていた。
点火されるまでのジャンヌは「神様、神様」と泣き叫んでいたが、火の勢いが強くなると「全てを委ねます」といって無反応になったと記録されている。
炎の中、ジャンヌが高温と煙で窒息死し、その服が燃えた時点で一旦火は遠ざけられた。
群衆に向けてその裸体、性器を晒し、ジャンヌが聖女でも両性具有と思われていた魔女でもなく、ただの女性に過ぎないと示すためであった。
ジャンヌは死してなお、性器を晒されるという女性としての屈辱も受けたのである。
その後約4時間をかけて燃やされたジャンヌの亡骸の灰は、セーヌ川に流された。
このように灰さえも残さず決して土に返さないという遺体の取り扱いに於いても、ジャンヌが受けた取り扱いは当時としては最も苛烈なものだった。
出典: 「ジャンヌ・ダルク」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

あんさん! こないな事まで書く必要ないやんかァ!

めれちゃん。。。ムカついたのか?
そやかてぇ、火あぶりにされた挙句、公衆の面前で裸にされ、性器を晒されるなんてぇ、女性として我慢ならへんわ。
さよかァ~。。。
さよかァじゃありまへんがな。 どないなわけで、あんさんはこのようなエゲツない事を書こうと思いはったん?
あのなァ~、わては夕べ、バンクーバー図書館から借りてきた次の本を読んだのやがなァ。
動物には魂がありません

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さる年、ある機会があって大手の新聞社が主催するシンポジウムに登壇させられた。
その時のテーマは、みどりや環境の保全であったが、話が転がって、欧米人の自然観、日本人の自然観という中味になっていった。
私は、輪廻転生に言及して、一切衆生悉有仏性だの四海同胞だのと柄にもない話から、「運命共同体としての宇宙船地球号」---これは月面着陸をした宇宙飛行士の感慨として有名な言葉である---の上では、動物も人間も同格である、といった大演説をぶち上げてしまった。
そうしたら、隣席のフランス人の先生が「私の国では、そんなことを言ったら、火あぶりの刑です。 何となれば、動物には魂がありません」と言ったのである。
「あっ!」と思った。
なんという明快な割り切りようであろう。
ソルボンヌ大学出で、日本通のこの先生の、しかし、いかにも西欧の人らしい自然観を目のあたりにした思いであった。
本当にそうであろうか?
動物にタマシイはないのであろうか?
(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)
36ページ 『カラスの早起き、スズメの寝坊』
(文化鳥類学のおもしろさ)
著者: 柴田敏隆
2002年12月20日 第7刷発行
発行所: 株式会社 新潮社

この部分を読んでなァ、動物にタマシイがあると言うただけでフランスではジャンヌ・ダルクのように火あぶりにされるのかいな?。。。そう思うたわけやァ。。。

あんさん!。。。それはフランス人の先生が冗談に言うたのですやん。
冗談にしても、そのような事を言うこと自体が日本では考えられへん!
そうやろか?
そうやろかってぇ。。。、めれちゃんも今さっき言うたばかりやないか! 「火あぶりにされた挙句、公衆の面前で裸にされ、性器を晒されるなんてぇ、女性として我慢ならへん」と。。。
そうですう。
冗談にしろ、フランス人の先生は、「動物にタマシイがあるなんて言うと、その酷(むご)い火あぶりの刑にされてしまうでぇ~」と言うたのやないかいなァ!
それで、あんさんは「私の国では火あぶりです」というタイトルにしてこの記事を書こうと思いはったん?
そうやがなァ~。。。カルチャーショックやがなァ。
ちょっとばかりオーバーとちゃうん?
いや。。。オーバーなのは、そのフランス人の先生やがなァ。
どないなわけでフランス人の先生がオーバーやと、あんさんは言わはるのォ~?
わては、かつて次のようなことを記事に書いたことがあるねん。

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ヘリオット先生。。。次は私の番だと思いますのじゃ。

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どういう。。。どういう意味ですか?
あのう。。。今夜、ヘリオット先生が診察してくださったのに、愛犬のベンがあの世に逝ってしまいましたじゃ。

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それで、次は、とうとう私の番になるだろうと思いますのじゃ。 私には判るのですよ。。。先生。。。

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そのようなことはありませんよ。 ベンが亡くなってしまったので、おばあさんは落ち込んでいる。 だから、そんな風に考えてしまう。 誰だって同じような目に遭(あ)えば、気持ちが落ち込んで不吉なことを考えるものですよ。 そのようなことはありませんよ。
いいえ、先生。。。私はなにも死ぬのが怖くて言ってるのじゃありましぇん。 あの世は、この世よりも素晴らしいと思える。。。ずっと以前からそんな気がしていますのじゃ。
(長い沈黙)
先生。。。でも、一つだけ気がかりなことがありますのじゃ。
その気がかりな事ってぇ。。。いったい何ですか?
先生。。。残されるワンちゃんやニャンニャンのことを思うと私はとても恐ろしくなるのですじゃ。
どうして、そう思われるのですか?
だってぇ、先生。。。私はあの世に逝けば両親や兄弟に会える。 でも。。。、でも。。。残されたワンちゃんやニャンニャンとは。。。
あの世に逝っても、この愛犬と愛猫には会えないと言うのですか?
その通りですじゃ。
どうして、そのようにお考えになるのですか? 誰が、そう言ったのですか?
だってぇ、先生、世間ではそう言いますがなァ。 動物たちには魂(たましい)がありません。 だから、魂のない動物たちはあの世に逝けん。 そやから、私はこのワンワンやニャンニャンに永遠に会えませんのじゃ。 それを思うと、死んでも死にきれませんのじゃ。
おばあさん。。。そのようなことはありませんよ。 愛犬たちも愛猫たちも我々と同様に愛することができます。。。その意味では愛犬も愛猫も我々と同様に魂を持っていると言えますよ。 我々となんら変わりがないじゃありませんか!
先生は、ホンマにそのように思うとるんですか?
もちろんですよ。
私は眠れない夜に、あの世に逝くと、もう永遠にワンワンやニャンニャンに会えないかと思うと、悲しくなって。。。恐ろしくなって。。。もう眠るどころではありませんのじゃ。
そんなことは決してありません。 あの世に逝かれても、またこの愛犬や愛猫に会えますよ。
本当に。。。?
私は絶対にそう信じているのです。
本当ですか?
私は心からそう信じていますよ。
『愛犬と神さま』より
(2012年8月4日)

このヘリオット先生はイギリス人でキリスト教徒なのや。

同じキリスト教徒なのにフランス人の先生は「動物に魂はない」と信じはってぇ、ヘリオット先生は動物にもタマシイがあると信じはってるのやねぇ。
そうやァ。 たぶん、ヘリオット先生が獣医さんやからとわては思うでぇ。 日本人なら動物にも魂があると素直に信じている人が多いとわては思うのや。
そうやろか?
例えば、12歳の「あかり」ちゃんを残して膵臓癌であの世に逝かねばならないお母さんが、愛犬・ソックスを可愛がっている「あかり」ちゃんのために手紙を犬小屋の奥に残すのやがなァ。
どのような手紙やのォ~?
次のよなものやァ。 めれちゃんも読んでみィ~なァ。
ごめんね、あかり。
おかあさんはあかりを置いて先に逝きます。
ソックスが生きているうちはソックスが私のかわり。
あかりを見守ってくれるよ。
そして、ソックスも、いつかはあかりより先に逝くでしょう。
そのとき、私はいよいよ念願の風になります。
いつかあかりは私を風みたいだってほめてくれたよね。
あれ、かなりうれしかった。
ちょっといたずらな風が吹いたら、私がそばにいると思ってください。

それからもうひとつ。
『犬との10の約束』は覚えてくれてる?
あれにはつづきがあります。
それは約束ではなくて、『虹の橋』という詩です。
ソックスが先に逝ってしまったあとで読んでみてね。

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『虹の橋』
動物は、死んだあとに虹の橋と呼ばれる場所で暮らします。
そこは快適で満ち足りているのですが、ひとつだけ足りないものがあります。
それは特別な誰か、残してきてしまった誰かがそこにはいないこと。
それがさびしいのです。
草原で遊び回っている動物たちのうち一匹が突然遊ぶのをやめ、遠くに目をやります。
一心に見つめるその瞳は輝き、からだはかすかに震えはじめます。
その子は突然草原を飛ぶように走り出します。
あなたを見つけたのです。
あなたとあなたの特別な友だちは再会のよろこびに固く抱き合います。
そして、あなたを心のそこから信じているその友だちの瞳を覗き込みます。
あなたの人生から長い間失われていたけれど、
心からは一日も離れたことのなかったその瞳を。
じゃあ、元気でね。 芙美子 母より
(写真はデンマン・ライプラリーより)
200-201ページ 『犬と私の10の約束』
著者: 川口 晴
2008年2月25日 第11刷発行
発行所: 株式会社 文藝春秋

お母さんは愛犬にも魂があることを当然のように信じている。 そやから愛犬のソックスと「あかり」ちゃんは、いつか『虹の橋』と呼ばれる天国で再会出来るのやがなァ。

そうやと、わたしも思いますねん。
うん、うん、うん。。。 わても、めれちゃんがそう言うやろうと思うたでぇ~。。。
どうして。。。?
そやかて、めれちゃんは次のように書いていたやないかいなァ。
美女にゃ

我が家の長女猫です!
親バカですが、
とびっきりの美猫です
おまけに頭脳明晰!
ふと気付くと、
見とれていることも…
by めれんげ
2008.07.20 Sunday 14:10
『即興の詩 美女にゃ』より
『美女猫』に掲載
(2009年10月19日)
(すぐ下のページへ続く)