チョー有名な三角関係(PART 1)
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(bedrm03.jpg)
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(himiko22b.gif)
デンマンさん。。。 なんだか おもろい画像でござ~♪~ますわねぇ~。 おほほほほほ。。。 でも、どうしてベッドルームが日本間なのでござ~ますか?
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(kato3.gif)
だから、日本のお話ですよう。
ムカついている女性は、日本人には見えませんわ。。。んで、最近のお話でござ~ますか?
いや。。。 ずいぶんと昔の話ですよ。 卑弥子さんは最近の“チョー有名な三角関係”を知っているのですか?
いいえ。。。 あたくしは、そのような事には興味がござ~ませんわァ。
あれっ。。。 マジで。。。? 女性は、けっこう そういう事には興味があるじゃありませんかァ! 女性週刊誌が売れるのも芸能界の乱れた関係やゴシップが たくさん書いてあるからじゃないのですかァ?
。。。んで、ずいぶん昔の“チョー有名な三角関係”というのは、いったい誰のことでござ~ますかァ~?
卑弥子さんも良く知っている人物ですよ。 ちょっと次の和歌を読んでください。
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茜(あかね)さす
紫野行き
標野(しめの)行き
野守(のもり)は見ずや
君が袖振る
作者:
額田王(ぬかたのおおきみ)
現代語訳:
茜色の光に満ちている紫の野、
天智天皇御領地の野で、
あぁ、あなたはそんなに
袖を振ってらして、
野守が見るかもしれませんよ。
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あらっ。。。 このお歌は、あの有名な額田王(ぬかたのおおきみ)がお詠みになったものではござ~ませんかァ!
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そうですよう。
懐かしいですわァ。 確か以前にデンマンさんは『日本で最も有名な三角関係』というタイトルで記事を書いていましたわね。
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■『日本で最も有名な三角関係』
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。。。んで、どう言う訳で、また額田王のお歌を取り上げたのでござ~ますか?
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あのねぇ~、実は夕べ本を読んでいたら次の箇所にぶち当たったのですよ。
「天智・天武」兄弟の争いか
『日本書紀』や『万葉集』はこの二人と額田王の関係を文芸的、映像的に描くが、歴史学者や文学研究者のなかにできすぎの話とする見解が増えてきた。
天智・天武兄弟説の矛盾には「大化の改新」でも触れたが、この二人をめぐる額田王の恋歌にしても早くから白川静、沢潟久治、池田弥三郎、山本健吉らによって否定されている。
短歌の文体も初期の漢詩体ではなく数十年後の文体であり、後世の造作の疑いが大きい。
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(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
イラストはデンマン・ライブラリーより)
298ページ 『ゼロからの古代史事典』
編著者: 藤田友治、伊ヶ崎淑彦、いき一郎
2012年8月10日 第2刷発行
発行所: 株式会社 ミネルヴァ書房
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つまり、上の歌は額田王がお詠みになったのではなくて、誰か他の人が作ったというのでござ~ますか?
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そうですよゥ。。。
。。。んで、デンマンさんも、そう思うのでござ~ますか?
そうです。。。 「大化の改新」だとか。。。 いろいろと考えてゆくと、この当時、不思議な謎が多すぎるのですよ。
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(taika001.jpg)
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「大化の改新」はマジでなかったのでござ~ますかァ?
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もちろん「乙巳の変(いっしのへん)」という大事件はあったのですよ。 つまり、中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌子(藤原鎌足)らが宮中で蘇我入鹿を暗殺して蘇我氏(蘇我本宗家)を滅ぼしたのですよ。 でもねぇ~、その後、中大兄皇子は体制を刷新して大化の改新と呼ばれる改革を断行したことになっている。 でも、この一連の政治改革について、歴史研究者の間で、いろいろな疑問を投げかけている人がいるわけですよ。
上のビデオクリップは、その疑問についてのことでござ~ますか?
そういうことです。
。。。んで、額田王のお歌とされているものも、「大化の改新」と関係あるのでござ~ますか?
僕は関係していると思うのです。。。 だから、こうして また“チョー有名な三角関係”を取り上げたわけなのですよ。
分かりましたわ。。。 では、その訳をさっそく 伺いたく思いますわァ~。
あのねぇ~。。。 上の引用の中で次のように書いてあることに注目してください。
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(bond010.gif)
『日本書紀』や『万葉集』は
この二人と額田王の関係を
文芸的、映像的に描くが、
歴史学者や文学研究者のなかに
できすぎの話とする見解が増えてきた。
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できすぎの話というのは、いったい どういうことでござ~ますか?
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つまり、あまりにも都合のいいような話ということですよ。
誰にとってでござ~ますか?
もちろん、天智天皇の後に政権の座につく天武天皇に都合のいい話になっているのですよ。
そうでしょうか?
だってぇ、そうじゃありませんか!? 上の歌を読む限り額田王が 後に天武天皇になる大海人皇子に惹かれているのがよく解る。 この歌を後世の我々が読むと、どうやら人間的に見て天智天皇よりも天武天皇の方がすぐれているのではないか! だから、額田王も天武天皇の方に惹かれているのではないか! 僕は、初めて上の歌を読んだ時に、そのような印象を持ったのですよ。 ところで、この時大海人皇子(後の天武天皇)は額田王の上の歌に答えている。
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(murasaki2.jpg)
紫草(むらさき)の
にほえる妹(いも)を
憎くあらば
人妻ゆえに
われ恋ひめやも
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額田女王は、大海人皇子の間に十市皇女をもうけていますが、
その後、額田女王は天智天皇に召され、大海人から見れば“人妻”となったのです。
この歌は、二人の“秘めた恋心”を大胆に告白したものと解釈している人が多いですよ。
つまり、後の天武天皇が、こう詠(うた)っているんですよね。
今のオマエは天皇の妻であるかもしれない。
でも、ボカァ~、オマエのことが忘れられないんだよ。
こんなに愛してしまっているんだよ。
もう、恥も外聞もないよ。
ボカァ~、だから、オマエ見ると、どうしても、
あのように手を振ってしまったんだよ。
分かるだろう?
こんな気持ちだと思うのですよね。
この歌は、668年の蒲生野での遊猟のあと、大津宮での浜楼での宴の際に衆目の中で詠まれた、と言われています。
後に額田女王をめぐって大海人皇子と天智天皇(兄弟)との確執を招き、壬申の乱の遠因になったという歴史家も居るほどです。
この歌は、“戯れ”の歌という見方もあり、戯れの中にこそ真実が秘められているといった解釈もあります。
いずれにしてもこの古代のロマンにあふれるこの歌が、今も多くの万葉ファンを魅了していることは疑いのないことです。
天智天皇の死後、その子である大友皇子と大海人皇子の間で皇位継承をめぐって戦われたのが672年に起こった壬申の乱です。
この乱は額田女王にとって大きな悲劇でした。
大海人皇子とは十市皇女をなした仲です。
一方の大友皇子は十市皇女の夫です。
つまり、かつての愛人と娘の夫が戦ったわけです。
戦いは大海人皇子に有利に展開し、瀬田の合戦に破れた大友皇子は山背国、山前の地で首をくくり自害したのです。
十市皇女も夫の後を追って自殺したと言われています。
乱後の大海人皇子は天武天皇となり、その時、彼を側で支えたのは額田女王ではなく、天智天皇の娘(後の持統天皇)鸕野讚良(うののさらら)皇女だったのです。
その後、額田女王の身の上にどのような変化があったのかは史実としては不明ですが、彼女は自分自身の時代の終焉を悟ったに違いありません。
大津宮は遷都からわずか6年余りで廃都となりました。
額田女王は“万葉の女王”で
あるにもかかわらず、
なぜ謎の女性なのか?
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(seisho05.gif)
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額田女王こそ、万葉集という現代人には無縁のような歌集にロマンをちりばめている日本史上屈指の女流歌人だと僕は思いますね。
また、僕だけではなく、多くの歴史家や、文学愛好家や、歌人、詩人たちがそう信じていると思います。
額田女王は大化の改新から壬申の乱にかけて活躍し、
万葉随一の女流歌人と言われた。
彼女はまた絶世の美女とも言われ、天智天皇・天武天皇に深く愛された。
激動の歴史の中で、額田女王は、ひたすら自らの思いに忠実に生きた。
美しく、才知にあふれ、強く情熱的な女性であった。
あなたもそう思いませんか?
だからこそ、万葉集の額田女王の歌はロマンを漂わせながら光り輝いている。
なぜ、光り輝いているのか?
もちろん歌そのものがロマンに満ちている。
しかし、それならば、なぜ、『日本書紀』には、額田女王の記述がたったの1行なのか?
なぜなのか?
額田女王のすばらしい業績が万葉集の中で光っている!
それなのになぜ?
僕はこのことでずいぶんと考えさせられました。
何も僕が深刻ぶって悩まなくても良いのですが、僕にとって、額田女王が、あたかも“古代のレンゲさん”のような存在になっている。
叶わぬ僕の片思いなんですよ。
つまり、“心の恋人”です。うへへへへ。。。。
僕は気が多いのですよ。
では、マジになって。。。
あれほど万葉集の中で輝いている額田女王が『日本書紀』の中では、なぜ1行の記述なのか?
それは次の天皇家の系図を見ると実に良く分かりますよ。
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(keizu03.gif)
この当時の実権を握っていたのは持統天皇と藤原不比等だったんです。
この二人の結びつきがこの系図にありありと表れています。
この二人の人物は政治的に2人3脚で律令政治を確立させて実施した同志だったんですよね。
『日本書紀』の編集長は誰か?
藤原不比等です。
壬申の乱の後、大海人皇子は天武天皇となった。
その時、彼を側で支えたのは額田女王ではなく、天智天皇の娘(後の持統天皇)鸕野讚良(うののさらら)皇女だった。
天武天皇はあれほど額田女王を愛していたのに!
なぜ?
あなたにも分かりますよね?
水面下で額田女王と持統天皇との女の確執がある。
額田女王は人から愛される性格だった。
それは、この女性が二人の天皇から愛されたことでも良く分かることです。
ところが持統天皇は人から愛されるような性格ではなかったのです。
持統天皇にしてみれば、同じ女として面白くあろうはずがない!
これは歴史家が誰も言っていないことですが、僕は持統天皇が境界性人格障害者だと信じることができます。
もちろん、当時、そのような病名はない!
他に、このようなことを言う人も居ませんよ!
とにかく持統天皇は独占欲の強い人だった!
それは、天武天皇の血を引く天皇後継者の息子たちがたくさん居たにもかかわらず、持統天皇は断固として、自分の血が流れていない者には皇位に就(つ)かせなかったことからも実に良く表れています。
(すぐ下のページへ続く)