双头爱染明王 (PART 1)

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デンマンさん。。。 どないなわけで“愛染祭り”のクリップを持ち出してきやはったん?

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めれちゃんは、大阪人やんかァ~。。。 そやから めれちゃんを元気付けるために大阪の祭りを持ち出してきたのやがなァ~。。。 上のクリップを見て、めれちゃんも元気になったやろう?
わたしいはクリップを見なくても元気ですねん。。。 そないなことより、どないなわけで、奇妙な漢字のタイトルを書きはったん?
実は、「愛染祭」とタイトルは関係あるねんでぇ~。。。
愛染祭

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愛染祭り(あいぜんまつり)は、大阪府大阪市天王寺区に位置する和宗総本山四天王寺の別院・愛染堂勝鬘院、通称「愛染さん」で催される祭りを指し、天神祭、住吉祭に並ぶ大阪三大夏祭りの一つ。
仏教寺院が主催する夏祭り。
どれも、愛染さん、天神さん、住吉さんと愛称で呼ばれることが多いことから、「大阪の夏祭りは愛染さんで始まって住吉さんで終る」といわれることから、「あい(=愛)すみ(=住)ません」という言葉の語源となったという説や、「あい(=愛)すみ(=住)ません(=天)」と、大阪三大夏祭りの3つの覚え方として知られる。
毎年6月30日から7月2日に開催される。
愛染祭りは、聖徳太子の「苦しみ、悲しみを抱く人々を救済したい」という大乗仏教のご意向を直々に受け継ぎ、1400年の間続いている無病息災を祈る祭事。
夏越しの大祓を兼ねており、初日の6月30日には和宗総本山四天王寺の住職らが出仕する「夏越しの祓え大法要」が多宝塔にて厳修される。
聖徳太子ゆかりの四天王寺支院である勝鬘院(豊臣秀吉による再築。重要文化財)。
金堂の御本尊が愛染明王(あいぜんみょうおう)であるため、「愛染さん」の愛称で親しまれている。
愛染明王の御誓願を頼って開催される祭りに、色町の芸妓衆が駕籠に乗って参詣したのが「宝恵駕籠(ほえかご)」の始まりとなり、現在も浴衣娘が大勢参加する「女の祭り」。
かつては、今里新地の芸妓が宝恵かごパレードの主役を務めた。
祭り期間中は、良縁成就・縁結び・夫婦和合に商売繁盛といったご利益がある愛染明王と、豊臣秀吉が朝鮮出兵の際に奉安したとされる大日大勝金剛尊が特別に無料開帳される。
また、6月30日にはキャンペーンガールの愛染娘12人を紅白の布と愛染かつらの花で飾られた7台の「宝恵駕籠(ほえかご)」に乗せて「愛染さんじゃ、宝恵かご!」とJR天王寺駅前から勝鬘院までを練り歩くパレードで、最終目的地の愛染堂に到着した「宝恵駕籠(ほえかご)」は、本堂の前で高々と「かご上げ」され、一層の盛り上がりを見せる。
参拝者は商売繁盛・愛嬌開運・恋愛成就を願って愛染娘さんたちから「花守り」と「笑顔」を受け取る。
大阪市内最古の建築物である多宝塔(国の重要文化財)にて総本山四天王寺の管長および高僧が集結して厄除け祈願法要が行われる。
7月1日には、愛染娘たちが各自の隠し芸や一発芸(書道・カラオケ・チアダンス・手品など)を舞台上で披露し、ミス愛染娘を決定する愛嬌コンテストで盛り上がる。
300余の露店も出て、大変な賑わいを見せている。
また、関西で夏祭りとされる初日(6月30日)ということで、浴衣を着て訪れる参詣者が多く、浪速の「いとさん」、「こいさん」たちがこの時期から浴衣を着始めることから別名、浴衣まつりとも呼ばれている。
夕方に浴衣で愛染まつりに出掛けると、先着順に愛染娘から「ラブブレス」なる愛のブレスレットを無料で配っている(手を握って腕に巻いてくれる)サービスがある。
6月30日の宵宮、7月1日の本祭、7月2日の残り福の3日間の間に、一度は小雨が降る。
俗に言う愛染パラパラ。
愛染さんへおまいりして、その行き帰りの途中で、この愛染パラパラに出あうと、その二人は結ばれるとか。
また、愛染まいりの帰りに芝居を見るとゲンが良いとされる。
正式名称は愛染まつり。
しかし主催の勝鬘院が発行するポスターやホームページ上でも愛染祭、愛染祭り、愛染詣で、勝鬘愛染会と表記がバラバラで、特に拘りはないようである。
出典: 「愛染まつり」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

大阪人なら「愛染さん」は天神祭、住吉祭に並ぶ三大夏祭りの一つやと知ってますねん。。。 そやけど、“双头爱染明王”というような文字を見たことおまへん。。。

“愛染明王”というのんは、めれちゃんも知ってるやろう?
四天王寺の金堂の御本尊が愛染明王ですやん。。。
愛染明王
(あいぜんみょうおう)

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愛染明王は、仏教の信仰対象であり、密教特有の尊格である明王の1つ。
梵名ラーガ・ラージャ(Ragaraja)は、サンスクリット経典にその名は見られず、また、インドでの作例もない忿怒尊である。
衆生が仏法を信じない原因の一つに「煩悩・愛欲により浮世のかりそめの楽に心惹かれている」ことがあるが、愛染明王は「煩悩と愛欲は人間の本能でありこれを断ずることは出来ない、むしろこの本能そのものを向上心に変換して仏道を歩ませる」とする功徳を持っている。
愛染明王は一面六臂で他の明王と同じく忿怒相であり、頭にはどのような苦難にも挫折しない強さを象徴する獅子の冠をかぶり、叡知を収めた宝瓶の上に咲いた蓮の華の上に結跏趺坐で座るという、大変特徴ある姿をしている。
もともと愛を表現した神であるためその身色は真紅であり、後背に日輪を背負って表現されることが多い。
また天に向かって弓を引く容姿で描かれた姿(高野山に伝えられる「天弓愛染明王像」等)や、双頭など異形の容姿で描かれた絵図も現存する。
愛染明王信仰はその名が示すとおり「恋愛・縁結び・家庭円満」などをつかさどる仏として古くから行われており、また「愛染=藍染」と解釈し、染物・織物職人の守護神としても信仰されている。
さらに愛欲を否定しないことから、古くは遊女、現在では水商売の女性の信仰対象にもなっている。
日蓮系各派の本尊(曼荼羅)にも不動明王と相対して愛染明王が書かれているが、空海によって伝えられた密教の尊格であることから日蓮以来代々梵字で書かれている。
なお日蓮の曼荼羅における不動明王は生死即涅槃を表し、これに対し愛染明王は煩悩即菩提を表しているとされる。
出典:
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
『おんぶされて観た映画』に掲載
(2009年4月29日)

めれちゃんは、ちゃんと分かってるやんかァ~。。。

そやから、大阪人ならば知ってますねん。。。 そやけど、“双头爱染明王”というようなもんは見たことおまへん。。。
ちょっと次のリストを見て欲しい。。。

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■ 『拡大する』

これは わての Denman Blog の8月29日の「リファラ(リンク元URL)」のリストやねん。。。 赤枠で囲んだリファラに注目して欲しい。

そのリンクをクリックすると どないなページが出てきよるのォ~?
次のページが出てくるねん。

(so70830a.png)
■『拡大する』
■『現時点での検索結果』

あらっ。。。 「双头爱染明王」を入れて検索したのやねぇ~。。。

香港に住んでいる劉嘉玲(ラウ・ガーリン)さんが検索して わての Denman Blog にやって来たのやがなァ~。。。

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■『拡大する』

。。。で、どの記事を読みはったん?

赤枠で囲んである次の記事やがなァ~。。。

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■『歎異抄』と煩悩

。。。で、そもそも“双头爱染明王”というのんは、日本語で分かり易く言うと、どないな意味になるん?

“双头”とは“双頭”という意味やねん。。。 つまり、日本では“両頭(りょうず)愛染明王”として知られてるねん。。。

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向かって左に愛染明王、
右に不動明王の頭を抱く異形仏。
日蓮系各派の本尊(曼荼羅)にも不動明王と
相対して愛染明王が書かれているが、
空海によって伝えられた密教の尊格であることから
日蓮以来代々梵字で書かれている。
なお日蓮の曼荼羅における
不動明王は生死即涅槃を表し、
これに対し愛染明王は煩悩即菩提
を表しているとされる。

。。。で、劉嘉玲(ラウ・ガーリン)さんは どないな話に興味を持ちはったん?

次の卑弥子さんの話やがなァ~。。。
白拍子というのは、平安時代後期に活躍した、
一口で分かりやすく申し上げるならば、
芸者のような者でござ~♪~ますわ。

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このように白の水干(すいかん)に
立烏帽子(たてえぼし)、白鞘巻(しろさやまき)という男装で
「今様」と呼ばれる歌を謡(うた)いながら、
男舞と呼ばれる舞を舞うのでござ~♪~ます。
白拍子であった祗王は、時の権力者・平清盛の寵愛を受け、
彼の館で幸せに暮らしておりました。
あるとき、清盛に歌舞を披露したいという
別の白拍子が現れたのです。
その者が仏御前だったのですわ。
ただの白拍子に過ぎない仏御前を清盛は追い返そうとしました。
でも、遠路はるばるやってきた彼女を見かねて、
心の優しい祗王がとりなしたのでござ~♪~ますわ。
それで、仏御前は清盛に舞を見せることになりました。
しかし、これを見た清盛は心を奪われ、
仏御前を寵愛するようになってしまったのでござ~♪~ます。
皮肉なものでござ~♪~ますわねぇ~。
男と言うのは本当に浮気なものでござ~♪~ますわ。
祗王の座を奪う気持ちのない仏御前は辞退しようとしました。
しかし、それに気づいた清盛は、
邪魔な祗王を追放してしまったのですわ。
本当に悲しい事でござ~♪~ますゥ。

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萌え出づるも
枯るるも同じ
野辺の花
いづれか秋に
あわではづべき
館を出る祗王がせめてもの忘れ形見にと
詠んだ句でござ~♪~ます。
さらに翌春、清盛は退屈している仏御前を慰めるためといって、
祗王に仏御前の前で舞を披露することを強要したのです。
祗王は、あまりの屈辱に死を決意するのでござ~♪~ました。
しかし、五逆罪になることを母親が説き、
やむなく祗王は清盛の館へ向かうのです。

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仏もむかしは凡夫なり
われらも遂には仏なり
いずれも仏性具せる身を
隔つるのみこそ悲しけれ
このように謡(うた)いながら舞い踊り、
諸臣の涙を誘ったのでござ~♪~ます。
祗王は都に居れば、
また同じような思いをしなければならないと、
母、妹と共に尼となり、嵯峨の山里で仏門に入るのでした。
当時、祗王21歳、妹の祇女は19歳、
母の刀自(とじ)は45歳でござ~♪~ました。
ところが、ある秋の夕べ、仏御前は祗王の元を訪れたのです。
なぜ。。。? どうした事でござ~♪~ましょうか?
実は、祗王の運命を自分に重ねて世の無常を思い、
仏御前は、清盛の館を抜け出して
尼となっていたのでござ~♪~ます。
それからのち、祗王一家と仏御前は、余念無く仏道に励み、
みな往生の本懐を遂げたのでござ~♪~ます。
小百合さん、いかがでござ~♪~ますか?
女の身として涙なくしては読めないですよね。
おほほほほ。。。
それにしても、祗王寺のお庭は
苔がとっても美しいですことォ~。。。
見とれてしまいますわぁ~。
あああぁ~。。。デンマンさんとご一緒に見たいわぁ。。。
うしししし。。。

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『愛憎と苔寺 (2008年10月7日)』より

仏御前も祗王も煩悩に身を焼かれる苦しみ、つらさから浮世を離れて仏門に入ったのやがなァ。。。つまり、尼さんになってしもうたのやァ。

そやから、どうしたと、あんさんは言わはるの?
波乱に富んだ人生を歩みながら、煩悩に身を焼かれる苦しみ、つらさから救いを求めて尼さんになったのやァ。
つまり、劉嘉玲(ラウ・ガーリン)さんも煩悩に身を焼かれる苦しみ、つらさから救いを求めて尼さんになろうとしてる、とあんさんは言わはるのォ~?
ちゃうねん。。。 劉嘉玲(ラウ・ガーリン)さんは、香港中文大学で英語と日本語を勉強して、現在は香港演芸学院で、演劇を専攻してるねん。。。 そいで やがてはハリウッドと日本でも女優としてデビューする夢を抱いてるねんでぇ~。。。
そやから、どないなわけで“両頭愛染明王”、それに“煩悩”に関心を持ちはったん。。。?
ちょうど、演劇のレッスンで“煩悩に身を焼かれる苦しみ”についての演技指導があったのやァ。。。、その時の先生が“双头爱染明王”のことにふれたよってに、ラウ・ガーリンさんは、ふと思いついて「双头爱染明王」を入れて検索したわけやァ~。。。
。。。で、“煩悩に身を焼かれる苦しみ”を演技するに際しての何かヒントでもゲットしやはったん?
次の箇所を読んで、ラウ・ガーリンさんはヒントをゲットしたそうやァ~。。。
それ程、極楽浄土が
素晴しいのなら、
なぜ今すぐに逝かないの?

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唯円(ゆいえん)、今日のおまえはおかしいぞ。いったいどうしたのじゃ。

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こんなことを申し上げると、もしかして聖人さまのお側(そば)におられないかもしれませんが、どうか私の心の内を聞いてくださいませ。
帰ってからではいかんのか?
いえ、意を決した今こそ、お聞きせねば!
よくよくのことじゃな。申してみよ。
私は聖人の教えを信じお念仏しております。救われるはずのない私が救われるわが身をありがたく思っております。しかし、本当にそう信じているなら踊りあがってこの上もない喜びをかみしめることでしょう。なのに私はいつまでたってもそこまでの喜びがわき上がってまいりません。さらには娑婆(しゃば)が無明(むみょう)の世界と知りながら一刻も早くお浄土へ参りたいという心が起こってこないのです!唯円は。。。唯円は。。。聖人のお側におりながら心底(しんそこ)み教えをいただいておりませぬのか?!

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もはや私には阿弥陀様のお心が届いておらぬのではと毎日毎日苦しむばかりです。(号泣)
唯円よ。私もそれをいぶかしく思っておったが、そなたも同じ心であったか。
“同じ心”でございますか?
そうじゃよ。唯円よく申してくれた。ありがとうよ。
聖人さま、もったいない!
よくよく考えて見ると躍り上がるほど喜ばねばならぬことを喜ぶことのできないわが身を思うにつけ、いよいよ往生(おうじょう)が定まった身といただけるのう。
なぜでございます?!阿弥陀様のお救いにあずかりながら、それにふさわしい喜びがわいてこないのは本当に救いを求めていないからではありますまいか?
そうじゃな。それはどうしようもない恩知らずで浅ましいことじゃ。
うわぁ。。。やっぱり。。。
ここにも、そういう恩知らずがおるがな。
そんなぁ。。。聖人さまは違いますぅ。
唯円よ、悲しいのう。。。
はっ。。。?
この世におると愛憎の渦に巻き込まれ欲得にふりまわされる。右も左も煩(わずら)わしいことだらけじゃ。
ですから。。。
まあ聞きなさい。お釈迦様はそんなものを捨て去って真実に目覚めなさいとお示しくださった。

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ハイ。
しかし、愛憎の中でしか生きていけないのも事実。。。誰も彼もむなしい名利(みょうり)にすがってこの世に執着(しゅうちゃく)しておる。真実、すなわち阿弥陀様のみ光、に背を向け煩悩(ぼんのう)の闇へ闇へと向かっていくのが。。。
凡夫(ぼんぷ)。。。でございますね。
そうじゃ。そのあわれな凡夫を阿弥陀さまは見捨てられたかの?
い。。。いえっ。。。あっ。。。!もしかして私が急いでお浄土にお参りしたいと思わないのは煩悩のせいだとおっしゃるのでしょうか?!
おーっ、さすがじゃ、唯円。尊いみ教えをいただきながら喜べないのは、まさしく煩悩のせいじゃ。じゃが、そんなことはずっとずっと前から阿弥陀様はお見通しじゃよ。。。よいか唯円。その凡夫だからこそ阿弥陀様の救いの目当てなのじゃ!
(ガーーン)。。。阿弥陀様は急いで参りたいとも思わない私のような迷いとまどう者こそ不憫(ふびん)と思うてくださる。。。そうですね。
のう唯円。。。私たち凡夫も娑婆という所も一筋縄(ひとすじなわ)ではいかないのじゃ。愛する者と出会(でお)うたかと思えば別れ。。。今上(こんじょう)の喜びを得たと思うたら、それ以上の苦しみがくる。。。なんとか命ながらえたと思えば老いてゆく。ただ老いるのではないぞ。病にもかかるし税金も払わにゃならん。
ホンマ、つらいですね。
しかし、お浄土は安らかな所じゃ。早く行きたくならんか?
イエ。。。ですから。。。その。。。それでも娑婆に。。。その。。。未練(みれん)が。。。
やっぱり、一筋縄ではいかないのう。。。はっはっはっ。。。
面目ありません。
いやいや。。。そういう者のための阿弥陀様の救いじゃ。おまえのように仕事も一生懸命な者ほどこの世にしがらみは多いじゃろ。
ハァ。。。
私がもし、お念仏の教えをいただいてすぐ「ああ、お浄土はすばらしい!早く参りたい!」と思ったならば、もしかして自分には煩悩はないのだろうかと、かえっていぶかしく思うのではないか。。。のう、唯円。
ハイ!
お念仏の教えをそれこそ何万遍(なんまんべん)も聞かされながら「急いでお浄土に参りたいという気持ちが起こらない」という問いは、一見お念仏をいただいていないように思えるが、お念仏をいただいたからこそ、このような浅ましい本当の自分の姿が見えてきたと思わんか?凡夫と気づいたのは阿弥陀様のみ教えが心に響(ひび)いてきたからじゃないのか。。。どうじゃ?
ああっ。。。
愛憎の煩悩に惑(まど)わされて、いそいでお浄土に参りたいという心が起こらない浅ましい身に気づくならば、その身をなげくより、そんな私を捨てずに救うという阿弥陀様の大悲(だいひ)のたのもしさを仰(あお)ぎ「わが往生は一定(いちじょう)なり」と思いとるがよい。
はい!
ありがたいのう。ナマンダブ、ナマンダブ。唯円よ。名残り惜しくも娑婆と縁がつきたその時こそ、お浄土に共に参らせてもらおうじゃないか。

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ありがたいことです。聖人さま、唯円を救っていただきありがとうございます。

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なにを言う。私も凡夫じゃ。救ってくださったのは阿弥陀様じゃよ。
【デンマン注: 読み易く句読点を加えてあります。画像はすべてデンマンの趣味により加えてあります。】
199-211ページ 『漫画 歎異抄』
作: 岡橋徹栄 画: 広中建次
発行: 本願寺出版社
2003年9月30日 第二刷発行
『愛憎と極楽浄土 (2008年10月9日)』に掲載

上の箇所を読みはってぇ、ラウ・ガーリンさんは どないなヒントをゲットしやはったん?

上の部分は、あの有名な『歎異抄』の中のエピソードやねん。。。 法然上人の直弟子だった親鸞聖人(しんらんしょうにん)の教えが書いてあるのやけれど、実は、親鸞聖人が書いたのではあらへん。 いろいろな説があるのやけど、現在では常陸国河和田(かわわだ:現在茨城県水戸市)出身の唯円(ゆいえん)という親鸞聖人の直弟子が書いたという説が有力なのやァ。
要するに、親鸞聖人の教えは、誰でも極楽浄土へ行けるという教えですやろう?
そうやァ。。。 でもなァ~、よう考えてみィ~なァ。 極楽浄土なんてぇ、わてはあるとは思うてへん。 そやから、あの世に行ってから救われたとて、わてにとっては全く意味があらへん。 わては、この世で救われたいねん。
そやけど、『歎異抄』の中では、この世の救いなんてぇ、なんも言うてへん。
そうやァ。。。そやから、あの世なんてぇ無いと思うている人には『歎異抄』は説得力があらへん。
それで、あんさんは、どのように救いを求めやはるのォ~?
もう一度 愛染明王(あいぜんみょうおう)を読んでみィ~なァ。。。
愛染明王
(あいぜんみょうおう)

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衆生が仏法を信じない原因の一つに「煩悩・愛欲により浮世のかりそめの楽に心惹かれている」ことがあるが、愛染明王は「煩悩と愛欲は人間の本能でありこれを断ずることは出来ない、むしろこの本能そのものを向上心に変換して仏道を歩ませる」とする功徳を持っている。
(中略)
もともと愛を表現した神であるためその身色は真紅であり、後背に日輪を背負って表現されることが多い。
(中略)
愛染明王信仰はその名が示すとおり「恋愛・縁結び・家庭円満」などをつかさどる仏として古くから行われており、また「愛染=藍染」と解釈し、染物・織物職人の守護神としても信仰されている。
さらに愛欲を否定しないことから、古くは遊女、現在では水商売の女性の信仰対象にもなっている。
(中略)
なお日蓮の曼荼羅における不動明王は生死即涅槃を表し、これに対し愛染明王は煩悩即菩提を表しているとされる。

つまり、煩悩の中にこそ救いがあると、あんさんは考えはるのォ~?

わてが考えてるのではなくて、昔の人の中には、そう考えていた人もおったのやァ。。。 愛染明王は「煩悩と愛欲は人間の本能でありこれを断ずることは出来ない、むしろこの本能そのものを向上心に変換して仏道を歩ませる」とする功徳を持っている。
そやけど、煩悩と愛欲の中に救いがあるやろか?
愛染明王信仰は愛欲を否定しないことから、古くは遊女、現在では水商売の女性の信仰対象にもなっていたのやがなァ~。。。 実は、わての記事を読みはってぇ、劉嘉玲(ラウ・ガーリン)さんも 共感したのやがなァ~。。。
マジで。。。?
それで、ラウ・ガーリンさんは演技する上で、とっても参考になりました、とメールを書いてよこしたのやでぇ~。。。
ホンマかいなァ~?
“信じる者は救われる!”と昔の人は言うたのやでぇ~。。。 そやから、めれちゃんも わての言う事を信じて救われたらええやん。。。

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(すぐ下のページへ続く)