デンマンのブログ

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超古代文明

2022-10-06 01:53:01 | ミステリー


 

超古代文明

 


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ケイトー。。。どういうわけで ずい分前に起こった 超古代文明 を取り上げるのォ〜?


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実は、ネットサーフィンしながら 調べることがあって YouTube のクリップを観ていたら 次のビデオに出くわしたのですよ。。。

 


(chobunmei15.jpg)



 



こういうクリップって、視聴者を増やすために衝撃的なタイトルを貼り出して興味をそそるのよ。。。たいてい根拠も証拠もないマヤカシが多いのよ。。。ウィキペディアにも、こういう話はそのほとんどが論拠が無い、信憑性が浅薄、贋作や捏造などの理由で検証の対象となり得ていない、と書いてあるわァ〜。。。

 



超古代文明

 


(atlantis3pg)

 

超古代文明とは、先史時代に存在したとされる、高度に発達した文明のこと。

「超古代文明」は、文字による記録が残されている有史以来の文明(四大文明など)が成立したとされる紀元前4000年頃よりも前(先史時代)に存在したとされる、現代文明よりも高度な文明や、不明な点が多い文明を指す呼称である。

ムーやアトランティスなどの伝承や創作文学などを発端とするものが多い。
これらは20世紀に入ってもなお注目を集めたが、20世紀後半になると航空機・人工衛星や放射年代測定などの各種調査が本格化し、プレートテクトニクス理論や遺伝子研究も登場したことから、学術的に否定され一般的にはオカルトの類と認識されている

これらの文明には、現代文明をしのぐ卓越した技術によって繁栄したが、自らの超技術に溺れて自滅したり、驚異的な天変地異によって消滅したという伝説が付随し、様々な都市伝説や噂が広がり考古学でも議論が続くテーマでもある。

これらはしばしばファンタジーや創作の世界におけるテーマとされ、さらにはその根源を現代の人智を超越する心霊や宇宙人に基づく神秘主義に求めることもある。

物証として遺構や遺物が提示されることもあり、このうち一部はオーパーツなど学術的な検証研究の途上の遺物を含むことがあるものの、そのほとんどが論拠が無い、信憑性が浅薄、贋作や捏造などの理由で検証の対象となり得ていない

にも関わらず、こうした失われた超技術の復活や、未知なものへの憧憬や畏敬は盲信を生じやすいため、しばしばカルトが引用するなどして利用することがある。

 

主な超古代文明

アトランティス
ムー大陸
レムリア
パシフィス大陸
メガラニカ
アガルタ
与那国島海底遺跡




出典: 「超古代文明」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 



確かに、論拠が無い、信憑性が浅薄、贋作や捏造などの理由で検証の対象となり得ていないクリップもありますよ。。。でもねぇ〜、上のクリップをじっくりと観てゆくと、ちゃんと科学的な根拠があって、超古代文明が5500万年に存在した可能性があることを説明しているのですよ。。。



マジで。。。?

シルヴィーも上のクリップを観たんでしょう?

5500万年に古代文明があったなんて、馬鹿らしくって観なかったわよう。。。

そういう喰わず嫌いはいけませんよ。。。クリップを作った人だって一生懸命に作ったのだから。。。

。。。で、科学的な証拠ってどういうものなのォ〜?

ちょっと次のグラフを見てください。。。

 


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あのねぇ〜。。。5500年前に、グラフで見るように急激に地球の温度が上昇したのですよ。。。これは、二酸化炭素による温室効果が働いたとされているのです。。。

 



暁新世-始新世温暖化極大

PETM (Paleocene–Eocene Thermal Maximum)

 

暁新世-始新世温暖化極大は、数千年あるいはそれ以下の短期間で進行したと推定されている、約5500万年前に起きた急速な全球的温暖化現象
新生代に発生した温暖化現象では史上最大規模のものである。

全地球の平均気温が5℃から9℃上昇したほか、炭素同位体比(δ13C)が大きく低下し、海洋の炭酸塩の溶解による海洋酸性化も発生した。
また、この出来事は霊長類の進化史にも大きく影響したと見られている。

 

原因

原因は、重い13Cに乏しい軽い炭素が大気・海洋に莫大に付加され、二酸化炭素による温室効果が働いたとされている
この二酸化炭素の起源としては以下が考えられている。

1) 海底の表層付近に蓄積していたメタンやエタンの包接水和物の融解

2) 北大西洋の火山活動に伴う有機物の熱分解

3) 海底有機物の酸化

4) 陸上有機物の酸化

5) 彗星の衝突

 

進行

温暖化極大の初期について、二酸化炭素が海水に溶けて海洋の酸性化を起こし、炭酸塩補償深度(CCD)と溶解躍層(リソクライン)が上昇、海底に堆積していた炭酸塩が溶解してさらに温暖化を促進するという、正のフィードバックが生じて温暖化が強化されたと提唱されている。

CCDの上昇は全球的に深海底堆積物の炭酸塩含有量の低下をもたらした。
太平洋や南極海での炭酸塩減少は部分的な程度に留まったが、大西洋やカリブ海ではほぼ完全に堆積が停止した。
CCDは温暖化開始から数千年で上昇し、その後数万年をかけて元の深さに戻ったと推測される。

この炭酸塩の融解により、温暖化極大初期や直前の海底炭酸塩は溶解してしまっており、当時の記録は深海コアに保存されていない。
掘削や生物擾乱の影響も考慮すると、当時の炭酸塩が保存されているのはCCD以浅の浅い遠洋や陸棚堆積盆などのコアに限られる。

南半球高緯度のCCD以浅のコアからは三段階のδ13C値の負シフトが見られ、初期の負シフトほど顕著であることが示された。
この解釈として、大気・海洋への炭素供給が複数回に及んでいる、炭酸塩の主な起源となったナノプランクトンの種の構成比率が変化している、再堆積・生物擾乱・溶解などによる二次的なノイズが入っているなどの主張が提唱されており、2008年時点では最後の仮説が有力視されている。

ニュージャージー州の陸棚堆積物などから得られた単一固体の浮遊性有孔虫から得られたδ13C値は最初期に唯一最大かつ急激な負シフトを示しており、地質学的にはごく短期間の変動があったことが示唆されている。

 

影響

海洋底掘削で得られた浮遊性有孔虫の殻より得られたホウ素の同位体比から、当時の海洋のpHひいては大気二酸化炭素濃度を推定できる。
それに基づくと、暁新世から始新世の大気二酸化炭素濃度は2000ppmvで、新第三紀中新世以降の濃度である約300ppmvの約6倍であった。

テトラエーテル脂質温度計での測定によると、南極で約4℃、南半球中緯度で約1℃から4℃、北半球中緯度で約5℃から8℃、北極で約5℃の温度上昇が見られている

後期暁新世末には、白亜紀から支配的であったベラスコ型底生有孔虫群集の20 - 40%が絶滅した。
これは陸上の温暖化により降水量が増大し、表層水の塩濃度が低下して密度差が小さくなり、海洋の熱塩循環が停滞したことによるとされる。

なお、地表の温暖化から有孔虫の絶滅までは3000年のタイムラグがあったと指摘されており、これは循環停滞までの時間として合理的である。
温暖化極大後の底生有孔虫は、安定的であったそれまでの環境ではなく、新生代の不安定な海底環境に適応した。

暁新世においてユーラシア大陸と北アメリカ大陸はベーリング陸橋で繋がっていたが、現在よりも7°程度高緯度に位置していたため極めて寒冷な気候であり、ベーリング陸橋を介した動植物の移動は困難であった。

しかし温暖化極大によって全球的に熱帯気候や亜熱帯気候が拡大し、ベーリング陸橋にも亜熱帯の樹木が生育するようになると、陸橋を介した動物の移動が可能となった。この時代にアジアから北アメリカへ進出した動物では、肉歯目や齧歯目の哺乳類が代表的である。

サウスダコタ鉱物技術大学のジョナサン・ブロックによると、繁殖力に長けた齧歯目は霊長目に近縁であるプレシアダピス目と生存競争を繰り広げ、その結果プレシアダピス目は果実や枝を掴みやすい母指対向性の獲得を促進された。




出典: 「超古代文明」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 



でも、上のウィキペディアの説明によると、その原因は超古代文明によって化石燃料が燃やされて、それによって二酸化炭素が急激に増えたというようなことは書いてないじゃない。。。。



そういうことを書くと、証拠がないと言われてウィキペディアの編集者から削除されてしまうので書けないのですよ。。。でもねぇ〜、上のクリップで見れば分かるように2人の科学者が「国際宇宙生物学雑誌(International Journal of Astrobiology)」に5500万年前に超古代文明があった可能性を示唆する論文を発表したのですよ。。。一人は、NASAゴダード宇宙研究所の気象学者・グイヴィン・シュミット博士。。。もうひとりはアメリカのローチェスター大学の天文学者・アダム・フランク教授なのです。。。

。。。で、その証拠というのは。。。?

地質を調べると、5500万年前の地層に、はっきりと二酸化炭素が急激に増えたことが記録として残っている。。。二酸化炭素の起源として、上のウィキペディアでは5件の原因が考えられると書いてあるけれど、どれもイマイチで確証がない。。。そうであるならば、現在、二酸化炭素の温室効果で地球温暖化を迎えている我々人類と同じような原因も考えられるのではないか?!。。。つまり、超古代文明があったに違いない。。。こういう論文なのですよ。。。

でも、やっぱり確証はないのでしょう?

ない。。。でもねぇ〜、我々人類の文明と言っても、せいぜい誇れるのは2000年から3000年というところですよ。。。マジで誇れるのは、産業革命から月に人類が一歩を踏みしめ、インターネットが世界を結んだ最後の200年ですよ。。。ところが、2000年以上前にも、現代の文明の産物か? あるいは、それ以上の文明の利器と思われるようなものが見つかっているのですよ。。。

あらっ。。。そうなのォ〜?

ちょっと次のクリップを観てください。。。

 


(chobunmei13.jpg)



 



この上のクリップに出てきた最古のアナログ計算機は、紀元前3世紀から紀元前1世紀中頃の間に製作されたと考えられているのです。。。未開人にはとても作れないものですよ。。。

 




アンティキティラ島の機械

 


(chobunmei13.jpg)

 

アンティキティラ島の機械(アンティキティラとうのきかい、希: Μηχανισμός των Αντικυθήρων, Mechanismós ton Antikythíron)は、アンティキティラ島近海の沈没船から発見された古代ギリシア時代の遺物で、天体運行を計算するため作られた歯車式機械であると推定されている。

 
沈没船の引き揚げ

この機械は1901年に考古学者ヴァレリオス・スタイスによってアンティキティラの沈没船から回収された。
ただし、その複雑さや重要性は何十年もの間気づかれることがなかった。
紀元前3世紀ー紀元前1世紀中ごろの間に製作されたと考えられており、同様な複雑さを持った技術工芸品は、その1000年後まで現れることはなかった。

フランスの海洋学者ジャック=イヴ・クストーは1978年に最後に沈没船を訪れている。
しかし、「アンティキティラ島の機械」の残りの部分を発見するには至らなかった。
アンティキティラ島の機械に関する最新の研究を指導しているカーディフ大学のマイケル・エドマンド教授は「この装置はこの種のものとしては抜きん出ている。
デザインは美しく、天文学から見ても非常に正確に出来ている。

機械の作りにはただ驚嘆させられるばかりだ。これを作った者は恐ろしく丁寧な仕事をした。
歴史的にまた希少価値から見て、私はこの機械はモナ・リザよりも価値があると言わねばならない」としている。

実物はアテネ国立考古学博物館の青銅器時代区画にデレク・デ・ソーラ・プライスによる復元品と共に展示されている。
その他の復元品は米国モンタナ州ボーズマンのアメリカ計算機博物館、マンハッタン子供博物館に収められている。

 
起源

発見場所やすべての使用説明がコイネーで書かれていることなどからギリシャで作られたことはほぼ間違いなく、製作時期は紀元前3世紀ー紀元前1世紀中ごろの間に入るとされる。

構造が非常に精巧であるので、古代の著名な科学者が作成にかかわった可能性がある。
例えば、本機械の製作を、天文学と数学の中心として知られたロドス島と結びつける仮説がある。
当地では天文学者ヒッパルコスが活躍し、またストア哲学者ポセイドニオスにより設立されたアカデミーがあった。

ただし、歯車に書かれた日付から年代が紀元前205年以前(すなわちこれらの人物以前)に遡るともいわれる。
また、2008年6月30日発行の『ネイチャー』で発表されたアンティキティラ島の機械研究プロジェクトの最新の報告では、機械の概念は古代コリントスの植民地に起源をたどることができるとし、アルキメデスとの関係も示唆されている。

この機械が沈没船に載せられた経緯は不明である。
研究者たちによると、沈没した船は当時この機械をユリウス・カエサルによる凱旋式で称えるため、この島から略奪されたその他の財宝と共にローマに運ぶ途中だったのではないかと考えている。

機械の作りが完璧なため、発見されていない試作品や類似の機械の存在が予想される。
多くの歯車が組み合わさっており、最古のアナログ計算機と呼ぶ人もいる。

 
使用目的に関する推測

設計者は天体の位置を計算するために天体運行の理論まで知っている必要はなかった。
バビロンの天体計算式「システムB」が紀元前260年までには考案され、ギリシャに受け継がれていたのである。
当時ごく少数の、太陽と月とその他の天体の運行の基礎が理解できる教育された知識人と、教養のない庶民との間には科学と文化において大きな隔たりがあった。

 
アンティキティラ島の

機械研究プロジェクト


この機械の研究は現在、アンティキティラ島の機械研究プロジェクトにより進められている。
このプロジェクトは、カーディフ大学(M. Edmunds, T. Freeth)、アテネ大学(X. Moussas, Y. Bitsakis)、テッサロニキ大学(J.H. Seiradakis)、アテネ国立考古学博物館、英X-Tek、および米ヒューレット・パッカードが、リバーハルム財団からの資金とギリシャナショナル銀行の支援による共同プログラムである。

海底から引き上げられたオリジナルは壊れやすく、博物館から移動することは出来ないので、ヒューレット・パッカードの研究チームとX-Tekは、測定装置をギリシャまで輸送しなければならなかった。

ヒューレット・パッカードは「PTMドーム」と呼ばれる三次元表面撮影装置を、測定のために機械の周囲に組み上げた。
X-Tekは12トン、450kVのコンピュータ制御微小焦点断層撮影装置を、この研究のために特別開発した。

2005年10月21日にアテネにおいて、アンティキティラ島の機械の新たな部品が発見されたとの発表があった。
現在82個の断片が存在する。

新たな部品のほとんどは静置され、保存処理を待っている状態である。
2006年5月30日、撮影システムにより更なるギリシャ文字の解読が進んだことが発表された。

判読可能な文字は約1,000文字から2,610文字に増えた。
これは現在までに発見された文字の約95%に相当する。

研究チームの発見は、アンティキティラ島の機械の機能と目的に関する疑問に対して、新たな光を投げかけるものとなった。
研究は継続中である。
最初の結果は2006年11月30日と12月1日のアテネでの国際学会で発表された。

 
最近の発見

2006年11月30日学術雑誌ネイチャーは、アンティキティラ島の機械研究プロジェクトによる新たな復元模型の完成を報じた。
この復元は上述した高分解能X線断層撮影に基づいたものである。

この研究により判読可能な文字数は倍増し、以前の解釈は修正され、新たな解読がなされた。
それにより機械は紀元前100年頃のものであるとされた。
機械に刻まれた文には天文学、機械学、地理学の項目に分かれたマニュアルが含まれていることが明白となった。

文中の「ヒスパニア(ギリシア語: ΙΣΠΑΝΙΑ)」はこの呼び名でのイベリア(スペイン)に対する最古の引用文である。
新たな発見により、この機械が天体の位置を予測するためのアナログ天文計算機もしくは太陽系儀であることが裏づけられた。

調査の結果から、この機械は37個の歯車を持ち(30個が現存)、太陽と月の位置を予測するために用いられた、と推測された。
惑星の静止する点(留)に言及している文章があることから、研究者らは惑星運動も表していたかもしれないと考えている。

前面には、太陽と黄道十二星座のための目盛りがあり、太陽と月の位置、月相、そしておそらく惑星の運行を示す針があった。
背面には(2つの中心を持ち半円で構成されている)2つの表示盤があり、さらに2つの重要な天文学上の周期の状態を示していた。

その1つは太陽、月、地球が同じ相対的位置関係になる18年周期、もう1つはより正確な3サロス周期、54年と1日(日食の予測に必須)である。

また別の目盛りがあり、メトン周期(19年、235朔望月)とより正確な約76年の940朔望月の周期であるカリポス周期を示していた。

わずかにずれた軸と溝に入ったピンとで連結された二つの歯車を含む、画期的な歯車群により月の位置と月相が示される。
ヒッパルコスの理論と、角速度に関するケプラーの第二法則の良好な近似に従って月の移動速度は変化し、近地点近くでは速く、遠地点は遅くなる(ケプラーの法則の項を参照)。

2008年7月31日、「ネイチャー」に機械に関する更なる詳細を報告する論文が掲載された。
この論文において、他の様々な発見と共に、この機械には、4分割され、1区画が1年で、全体として4年周期を示す表示盤がある事実が提示された。
この表示盤はそれぞれの年に開催される、2年もしくは4年周期の(古代オリンピックのような)競技祭典を表していると考えられている。

月の名称が読み取れ、それらはコリントスの植民地(また結果的にコリントスと、直接的な証拠があまり残っていないシラクサと以前より推定されている)で使われていたものであった。
研究者たちはこの装置はシラクサ人によりデザインされ、アルキメデスの功績に由来しているのかも知れない、と示唆している。




出典: 「アンティキティラ島の機械」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 



つまり、上のクリップで空白の10万年ということを語っていたけれど、確かに9000年前からの人類の発展の歴史を考えると、それ以前の9万年の間、人類が狩猟と食材採集生活だけをしていたというのは、どう見ても不自然に思える。。。

 


(10mannen.jpg)

 



つまり、その9万年の間に古代文明が立ち上がって、核戦争でもして滅びたとでも言うのォ〜?



そういう可能性が決してないわけではないのですよ。。。紀元前3世紀から紀元前1世紀中頃の間に最古のアナログ計算機が作られた。。。現在の我々のほとんどは、その計算機を作れと言われても、ごく一部の科学者やエンジニア以外は作れないでしょう!?

つまり、空白の10万年の間に、文明が起こって滅びたとでも言うのォ〜?

そうですよ。。。

 


(10mannen2.jpg)

 



実際、それを思わせるような証拠が見つかっているのですよ。。。



つまり、実際に原爆が使われたかもしれないという証拠があるのォ〜?

そうなのです。。。ずいぶん前のことだけれど、その当時は無視されたようです。。。読んでみてください。。。

 



Our own culture, if we assume a starting point of 4000 b.c., has progressed from primitive agriculture and herding to nuclear fission in only 6,000 years.

Considering the age of mankind, there has been ample time for other cultures to have arrived at a level roughly corresponding to ours.

A re-examination of some of the ancient records that have come down to us might give some indication of mankind having previously attained our present aptitude for destruction.

While there are hints of great blastings of the earth’s surface in the Bible (Sodom and Gomorrah), the Greek myths, and many of the legends of the Indians of North and South America, it is in the ancient records of India, copied and recopied from prehistoric antiquity, that we find, described in considerable detail, the use and effect of what closely resembles atomic explosions in warfare.

(pp. 223-224)

In the course of an exploratory digging in southern Iraq in 1947, layers of culture were successively cored into what one might call an archaeological mine shaft.

Starting from the present ground level, the excavation passed the ancient city culture levels of Babylonia, Chaldea, and Sumeria, with flood levels between different ages of city culture, then the first village levels, then a level corresponding to that of primitive farmers at a time era of 6000 to 7000 B.C., and below that, indications of a herdsman culture, and finally a time era was reached corresponding to the Magdalenian or cave culture of about 16,000 years ago.

Still farther down, at the bottom of all levels, a floor of fused glass was revealed, similar to nothing else except the desert floor in New Mexico after the blasts which inaugurated our present atomic era.

(pp. 229-230)

 


(bermuda01.jpg)

 

SOURCE:"Bermuda Triangle" By Charles Berlitz
published by Avon Books in 1974




私たちの現在の文明は、紀元前4000年に原始農業から発展したとすれば、わずか6,000年で核分裂を引き起こすまでに進化した。

人類が誕生してからの長い歴史(600万年前~700万年)を考えると、他の(失われた)文明が我々の文明のレベルまで達するのに十分な時間があったわけです。

古代の記録を調べ直してみると、これまでに失われた文明が、我々と同じレベルの科学文明を持ち、自らの文明を破壊するような原爆をもつレベルまで進化したということもあり得るだろうと推測できる。

聖書を読むと、例えば、ソドムとゴモラのエピソードに見るように、地球上に悲惨な破壊をもたらす説話や、ギリシャ神話や南北アメリカの原住民の伝説にも同様な破壊をもたらすエピソードがたくさんあるが、

古代インドの記録にも、それ以前の文明から何度もコピーされた伝説の中に、原爆を伴うような戦争が詳細に語られている。

(229-230ページ)




1947年のイラク南部での地層調査で、地面からかなりの深さまで掘り下げた地層を見ると、文化の層が積み重なっているのがよく見える。

現在の地上レベルから見てゆくと、バビロニア、カルデア、およびシュメリアの古代都市文化の地層が現れる。

都市文化を示す地層の間には、明らかに洪水の跡も見られる。

やがて、最初の村落文化のレベルに達し、その下の層に紀元前6000年から7000年までの原始農民レベルの地層が現れる。

さらに、その下の地層には遊牧民の文化の兆候が見られ、やがて約16,000年前のマグダレニアン文化という洞窟文化に対応する地層に到達する。

その下の地層は最下部の地層となり、溶融ガラスの床が現れる。

その溶融ガラスの床というのは、現在の原子爆弾時代をもたらしたニューメキシコ砂漠での原爆実験場の床と同じものだ。


 



 

(229-230ぺージ)




(デンマン訳: 赤字はデンマンが強調)
SOURCE:"Bermuda Triangle" By Charles Berlitz
published by Avon Books in 1974

『未開人と文明人』にも掲載。
(2020年2月19日)


 



つまり、大昔のイラク南部で核爆発が起こったというわけぇ~?



そういうことです。。。 アトランティス文明とか同世代の古代イラクの文明が、核戦争によって この時に滅亡したのですよ。。。

。。。で、そのあとで洞窟で生活していた現在の人類の祖先が出てきて、メソポタミア文明が出現したと言うのォ~?

そうです。。。 洞窟で暮らしていた我々の祖先とアトランティス文明人は核戦争前に共存していたのですよ。。。 ちょうど、現在、ニューギニアの原住民と我々が共存しているように。。。

でも。。。、ちょっとそれは信じられないわねぇ~。。。

そのうち、確実に信じられるような証拠が出てきますよ。。。



(laugh16.gif)


【ジューンの独り言】


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ですってぇ~。。。

あなたは、アトランティス文明人が核戦争によって滅びたと思いますかァ?

ええっ。。。「そんなことはどうでもいいから、もっと楽しいことを話せ!」

あなたは、そのように強い口調で私にご命令なさるのですかァ〜?

分かりましたわァ〜。。。

では、シルヴィーさんが出てくる面白い記事のことでも。。。

次の記事の中から面白そうなものを選んで読んでください。

 


(sylvie500.jpg)



『熟女ヌード@デンマン』

『ロッキード事件の真相』

『政府と役人と嘘』

『ジュンガル』

『地球温暖化は避けられない』

『国際平和連合』

『鬼島』

『悪徳サイト』

『あげつらう』

『過ちを犯す』

『三島由紀夫の謎』

『ヒラリートランプ現象』

『ノーパン@CIA』

『未開人と文明人』


(banana82e.jpg)

『オセロの失敗』

『サン・ラザールの裏路』

『「夜と霧」を観た?』

『虫酸が走る』

『大空に乾杯』

『ターバンを巻いた少女』

『美しい日本語を探して』

『アダムとイブのバナナ』

『宮沢りえ@サンタフェ』

『ネットの主要言語』

『中国人がアメリカを発見した』


(cleopara2.jpg)

『2000年前の光通信』

『習近平皇帝』

『プーチンの復讐』

『ペンタゴン・ペーパー』

『南米の富士山』

『ダンケルク』

『無実の罪』

『殺人光線』

『ロッキード事件すごい』

『注目の悲劇』

『核戦争』

『1910年の飛行レース』

『エンペラー習近平』


(sunwind2.gif)

『暗殺@GOO』

『テロとの戦い』

『マリアのミイラ』

『パナマ文書』

『南京事件』

『古代文明人』

『海の文明人』

『CIAの暗躍』

『特異点の世界』

『JFK 証拠隠滅』

『トランプ@スキャンダル』

『フェーリア・モール』

『使い捨てファッション』

『万物の理論』

『カラル遺跡』

『アレン・ダレス』

『JFK暗殺の証拠』

『エロいモナリザ』

『ダイアナは殺された?』

『タイムトラベラー』

『ロバート・ケネディ暗殺』



とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょう。

じゃあね。 バーィ。


(hand.gif)



(surfin2.gif)

ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

ためになる関連記事



平成の紫式部、橘卑弥子でござ~ます
(himiko92.jpg)

『卑弥子の源氏物語』

『平成の紫式部』

■ めれんげさんの『即興の詩』

■ めれんげさんの『極私的詩集』

Jagel - Soft Japanese Bagel
(bagel702.jpg)

■ "JAGEL - Soft Japanese Bagel"


(linger65.gif)

『センスあるランジェリー』

■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

■ 『面白くて楽しいレンゲ物語』


(beach02.jpg)

■ 『軽井沢タリアセン夫人 - 小百合物語』

■ 『今すぐに役立つホットな情報』



(rengfire.jpg)


(byebye.gif)
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ボンド女と挫折

2022-10-06 01:26:54 | 映画・芸能界

 

ボンド女と挫折

 




(nospy.gif)


(beachbg.jpg+heartx.gif+spacer.png+renge62c.gif)


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『隠し砦の三悪人』予告編






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デンマンさん。。。あんさんは、どうしてまた『隠し砦の三悪人』の予告編など持ち出してきやはったん? 「ボンド女と挫折」と関係あらへんやんかァ。


(kato3.gif)

関係あるさかいに持ち出してきたのやがなァ。 めれちゃんは若林映子という女優さんを知らへんやろう?

名前を聞いたこともありしまへんわ。

わての世代の男には忘れることができへん女優さんなのやがなァ。

どないなわけで。。。?

ちょっと次の記事を読んで欲しいねん。

 


若林映子


(wakaba2.jpg)

 

映画入りのきっかけは「隠し砦の三悪人」(黒澤明 ’58)の雪姫役に応募したことで、これには落選したが、これがきっかけで東宝に入社。
しなやかな肢体とエキゾチックな容姿を生かして、水野久美、浜美枝とともに東宝アクション映画に華を添えた。
といっても、いずれも彼女でなければできないという役柄でもなく、これといった印象はない。
むしろ彼女の魅力を生かしたのは外国映画ではないか。
長い黒髪のいかにも外国人受けする顔立ちから、多くの外国映画に出演。
伊映画「レ・オリエンターリ」(’59)では海女、
日伊合作映画「アキコ」(’61)では柔道の達者なヒロイン、
西独映画「遥かなる熱風」(’61)では日中混血のダンサー、
「007は二度死ぬ」(’67)では丹波哲郎扮する日本側の諜報員タイガーの秘書役を演じた。
残念なことに純粋な日本映画では実力が十分に発揮できなかった。
オリエンタルな魅力って日本では当たり前なことが、損をした理由か。

by 木全公彦




若林映子 (わかばやし あきこ)
昭和14(1939)年、東京生まれ。
「花嫁三重奏」(本多猪四郎 ’58)でデビュー。
「野盗風の中を走る」(稲垣浩 ’61)、
「暗黒街の牙」(福田純 ’62)など。
「007は二度死ぬ」(’67)の役は最初、浜美枝が演じるはずだったが、浜の英語力の問題から役が交換になったといういきさつがある。

 


(hama02.jpg)

  浜美枝


(007japan.jpg)



赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)




102ページ 『キネマの美女』
編者: 文藝春秋 
1999年5月30日 第1刷発行
発行所: 株式会社 文藝春秋


 



あらっ。。。若林さんは「隠し砦の三悪人」(黒澤明 ’58)の雪姫役に応募し、落選しやはったのやね。



そうやがなァ~。。。人生はどないなところで幸運が待ち構えているか判らへん。。。

 

“人間万事塞翁が馬”

 

まさに災い転じて福となる、ということもあるもんなんやでぇ~。。。

そやけど、浜美枝さんも「007は二度死ぬ」に出てますやん。

確かに、そうやァ。 上の説明だけでは言葉足らずやねん。 浜美枝も若林映子も「007は二度死ぬ」に出演してる。 そやけど、初め、若林映子が海女(あま)の「キッシー鈴木(Kissy Suzuki)」役で浜美枝が公安エージェントの「スキ(Suki)」役の予定だったのやァ。 そやけど、浜美枝の英語力では公安エージェント役は無理と判断されて、役柄が交換になったというわけやァ。 この時、原作の「スキ」という日本人にはなじまない名前が、若林映子(アキコ)の名前を取って「アキ」と変更されたという経緯(いきさつ)があるねん。

あんさんはボンド映画に詳しいのやねぇ~。。。ボンド映画にハマッてはるのォ~?

わてばかりではあらへん。。。世界には、よ~けいボンド・ファンがおるのやでぇ~。。。ジューンさんも次のように言うてたやないかいなァ。

 



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こんにちはジューンです。

『スター・ウォーズ』(Star Wars)は、

多分、誰もが知っているのではないでしょうか?

ジョージ・ルーカスさんが生み出した壮大な宇宙SF物語です。

最初の映画は1977年5月25日に封切られました。

世界的な評判を生み出して

『スター・ウォーズ』カルチャーとも言える

オタク文化が広まりました。

現在までの、すべての『スター・ウォーズ』映画の興行収入は

約44億ドル($4.41 billion)と言われています。

『ハリーポッター(Harry Potter)』シリーズと

『ジェームズボンド(James Bond)』シリーズに続く

第3位の興行収入記録です。

ところで、卑弥子さんが面白いサイトを

やっています。

興味があったら、ぜひ次のリンクをクリックして

覗いてみてください。



(bitegirl2.gif)

『あなたのための笑って幸せになれるサイト』




『砦の女』より
(2012年1月27日)


 



『ジェームズボンド(James Bond)』シリーズは興行成績で、これまでに世界で第2位やからなァ。 わてばかりでのうて世界には、よ~けいボンド・ファンがおるのやァ。



さよかァ。。。でも、浜美枝さんも若林映子さんもボンドガールになりはったけど、べつに挫折してはおらへん。 どないなわけで「ボンド女と挫折」というタイトルにしやはったん?

あのなァ~、浜美枝さんは英語力がなかったと判断されたばっかりに出番の多い公安エージェント役を降ろされてしまったわけやァ。

それで浜美枝さんが挫折したと。。。?

いや、ちゃうねん。 黒澤監督は誰もが認める世界的に名の知れた名監督やったけれど、英語力が無いばっかりに『トラ、トラ、トラ』の監督を降ろされてしまったのやァ。

 


黒澤明と『トラ・トラ・トラ!』



 

もともと本作は、英米仏独のスタッフを結集してノルマンディー上陸作戦を描いた大作『史上最大の作戦』が成功したことに気をよくした20世紀フォックスが、ラディスラス・ファラゴのノンフィクション『破られた封印』(The Broken Seal)を原作に、日米双方の視点から真珠湾攻撃を描こうとした企画であった。
豪腕で知られた当時の社長ダリル・F・ザナックは『史上最大の作戦』をまとめあげた実績を持つエルモ・ウィリアムズを起用して製作がスタートした。

アメリカ側、日本側双方の場面を別個に撮影して組み合わせる方針であったため、日本側シークエンスの監督に誰を起用するかという意見を求められたエルモは迷わず黒澤明の名をあげた。
この話を聞いた当時の黒澤明はそれほど乗り気でなかったというが、東宝の手を離れて黒澤プロダクション(以下黒澤プロ)を完全に独立させた直後という事情もあり、黒澤プロのスタッフにとってはハリウッドと組んで大作を撮るという話は願ってもないチャンスであった。
黒澤も当時力をいれて進めていた『暴走機関車』の製作が一時中断になったことから『トラ・トラ・トラ!』の製作にのめりこんでいく。

黒澤は膨大な資料を収集した上で、小国英雄、菊島隆三と共同で脚本を執筆し、1967年5月3日に準備稿『虎・虎・虎』を完成させた。
黒澤明は脚本執筆のため阿川弘之の『山本五十六』からも多くのアイデアを得たが、後に黒澤が降板したことから阿川の名前がクレジットに入ることはなかった。

1968年12月2日、京都の太秦にある東映京都撮影所でいよいよ『トラ・トラ・トラ!』日本側シークエンスの撮影が開始された。
ところがそのわずか三週間後の12月24日、20世紀フォックスは病気という理由で黒澤の降板を発表することになる。

この三週間の間、撮影はほとんど進まなかった。
その原因として黒澤の異常なセットへのこだわり(スタッフに作り直しや塗りなおしを命じる)や黒澤の精神的不安定(スタジオ内が危険だとしてヘルメット着用やガードマンの常駐を求める)、黒澤の独特のやり方(山本五十六役の俳優がスタジオ入りするたびにファンファーレの演奏とスタッフ全員による最敬礼を求めたことなど)にスタッフがついていけなかったこと、黒澤が選んだ素人俳優たちがスタッフを満足させる演技を行えなかったこと、あるいは黒澤が酒に酔った状態で何度もスタジオに現れたことなどがあげられている。
スタッフからの不満が常に耳に入っており、現場でも黒澤の状態を確認していたエルモだったが、なんとか黒澤をフォローしながら撮影を続けさせようとした。
しかし撮影がほとんど進まなかったため、12月24日苦渋の決断を下し、黒澤に直接会ってその監督降板を伝えた。

「病気による降板」(黒澤の「病気」の問題は後に映画にかけられていた保険の支払いに関する争いにつながる)という形で行われた監督降板劇の真相はいまだに不明な点が多いが、黒澤と20世紀フォックスの間の契約に関する詳細な問題や、撮影方針の食い違い、黒澤が自らの権限に関しての認識が不十分だったことなどさまざまな問題が背景にあったとされている。
この降板劇の経緯から以後日本では、黒澤の「気難しい完全主義者」というイメージが強くなったとも言われる。

黒澤が降板したことで20世紀フォックスは新たに舛田利雄と深作欣二を日本側シークエンスの監督として起用して撮影を続けた。
日本側シークエンスの脚本の大半は黒澤らが執筆したものがほとんどそのまま使われることになったが、黒澤の強い要望から製作会社との協定が結ばれ、本編では一切黒澤の名前がクレジットに出なかった。

また、黒澤が意欲的に抜擢した素人俳優たちは撮影遅延の一因となったことから、黒澤降板後に解雇され、あらためてプロの俳優たちが起用された(山本五十六役の山村聰など)。
源田実役が予定されていた山崎努も降板し、三橋達也と交代したが、近衛公爵役の千田是也、駐米大使館書記官役の久米明らは、黒澤解任後も降板することなく撮影を続けた。

この監督解任騒動は黒澤のキャリアに大きな傷を残すことになった。
それから3年後の1971年12月22日、黒澤明は自宅で自殺を図る。
「3年も熱中していた企画を突然打ち切られたら、監督は殺されるのと同じことだ。」と語った。

赤字はデンマンが強調のため)




出典: 「トラ・トラ・トラ!」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 



そやけど、黒澤監督が英語力の無いために降板させられたとは上の説明の中には一言も出てまへんがなァ。



その通りやァ。

それやのに、あんさんは黒澤監督が英語力が無いために降板させられたと言わはるのォ~?

あのなァ~、上の説明にもあるように「真相はいまだに不明な点が多いが、黒澤と20世紀フォックスの間の契約に関する詳細な問題や、撮影方針の食い違い、黒澤が自らの権限に関しての認識が不十分だった」と言うことなのやがなァ。

つまり、「病気による降板」というのは黒澤監督の名誉のために建前としての理由で、本音のところでは降板の原因は黒澤監督の英語力不足にあったと、あんさんは言わはるのォ~?

そうやァ。

そやけど、たとえ黒澤監督に英語力が無かったとしても、有能な通訳さんが居(お)れば問題は無いやんかァ~。

その有能な通訳さんが居なかったのやがなァ。 アメリカ側との交渉は、ほとんどすべてを青柳哲郎プロデューサーがとりしきっていた。

その青柳さんの英語力がイマイチやったのォ~?

英語力以前に青柳さんの性格にも問題があったようなのやァ。 もちろん、黒澤監督の性格にも問題があった。 人間は、結局、誰もが完璧やないさかいに。。。

 



(toratora2.jpg)

1968年12月24日の解任を境にして、黒澤の身辺で最も劇的に変化したことは、それまでフォックスとの連絡調整の要(かなめ)を握る自分の右腕として信頼してきた青柳哲郎プロデューサーが、監督にとって、突然「獅子身中の虫」になってしまったことである。
黒澤監督は、青柳に対して、クロサワの名において締結されたフォックスとの契約書を、すべて渡せと要求する。
青柳は言を左右にして、契約書をなかなか渡さない。
そうした中で、青柳に対する監督の疑念が次第に深まり、いつしか、青柳こそ自分を裏切り、『トラ・トラ・トラ!』から自分を降板させた“ペテン師たち”の首魁(しゅかい)であるに違いない、という“確信”に変わる。
監督解任から1ヶ月足らずの1969年1月下旬に相次いで開かれた黒澤と青柳の記者会見では、公然と互いを非難し合うという異常事態意に発展した。

赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)




402-403ページ
『黒澤明 vs. ハリウッド』
著者: 田草川 弘
2006年4月25日 第1刷発行
発行所: 株式会社 文藝春秋


 



つまり、黒澤監督は契約書を見てなかったん?



そうなのやァ。 英語力が無いさかいに、すべてを青柳哲郎プロデューサーにまかせきっていたのやァ。

それで、具体的に何が問題やったのォ~?

要するに、黒澤監督も日本の黒澤ファンも「黒澤監督が総監督になって20世紀フォックスのお金で映画を作る」と思い込んでいたのやァ。

 



(toratora3.jpg)

 

黒沢明『虎・虎・虎』を総監督
(日本経済新聞)

黒澤明、フォックスと提携 『虎 虎 虎』総監督
日米二班で来春撮影開始
(読売新聞)

黒澤監督総指揮で『虎 虎 虎』
真珠湾攻撃がテーマ
ワシントンなどでロケ
(デイリースポーツ)


 



ところが、契約書には「黒澤監督が総監督」なんて書いてない。 あくまでも、黒澤監督は20世紀フォックスのプロデューサーであるエルモ・ウィリアムズの指示に従って日本側シークエンスの監督だけを務めるという文面になってるねん。



黒澤監督はその契約書を読まへんかったの?

撮影を開始してからも、解雇されてからも、一度も読まへんかった。 すべてを英語ができる青柳哲郎プロデューサーにまかせきっていたのやァ。 もし、黒澤監督に英語が理解できて読んでいたら、見苦しい降板劇は無かったかも知れへん。 挫折感にさいなまれて自殺を図るよなことも無かったかも知れへんなァ。




初出: 2012年2月7日



【レンゲの独り言】


(manila07.gif)

ですってぇ~。。。
英語力が無いということは、いろいろな問題を生むのですわね。
国際化はどうしようもなく、私たちを呑み込んでいます。
国際語を知らないということは、かなりのハンディーを背負うことになるようですわ。
あたしも、もう少し英語を勉強しようと思いますう。
あなたは、いかがですか?

とにかく、次回も興味深い話題が続くと思います。
また読みに戻ってきてくださいね。
じゃあ、また。。。


(hand.gif)



(surfin2.gif)

ィ~ハァ~♪~!

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こんにちはジューンです。

黒澤監督には『隠し砦の三悪人』で素人の上原美佐さんを

雪姫役に抜擢して成功させたという自信があり、

後に『影武者』でもオーディション公募を行なっています。

しかし、『トラ・トラ・トラ!』の撮影では以前と違って

社会人を俳優に起用したことで

思いの外に時間がかかってしまたそうです。

そのことで黒澤監督はストレスを溜め込んでしまい、

降板劇の一因になったとも言われています。

確かに、過去には素人の俳優さんだけを使って

名作を作った例があります。

1925年、ロシア革命の8年後、

当時全く無名だった27歳の新人監督・

セルゲイ・エイゼンシュタインは、オール素人俳優で

歴史に残る名作『戦艦ポチョムキン』を作りました。


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しかし、この映画は主役が居ない「群衆劇」であり、

無声映画でしたから台詞がうまくしゃべれなくても

問題にはなりませんでした。

1948年にはイタリアのヴィットリオ・デ・シーカ監督が

オール素人俳優の『自転車泥棒』を発表しました。

また、1955年にはフランスのロベール・ブレッソン監督が

オール素人のキャストで『スリ』を作りました。

しかし、『自転車泥棒』も『スリ』も出演者に対して

熱演や名演技は一切求めていません。

顔は無表情に近く、台詞は棒読みに近かったのです。

ところが、黒澤監督は素人俳優に対しての要求が高すぎて

そのために撮影に必要以上の時間がかかっていたと、

20世紀フォックスのプロデューサーである

エルモ・ウィリアムズ氏は言っていたそうです。

ところで、卑弥子さんが面白いサイトを

やっています。

興味があったら、ぜひ次のリンクをクリックして

覗いてみてください。


(bitegirl2.gif)

『あなたのための笑って幸せになれるサイト』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょう。

じゃあね。バーィ



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