デンマンのブログ

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伊勢物語(PART 1)

2020-03-10 02:47:06 | 日本人・日本文化・文学論・日本語
 

伊勢物語(PART 1)

 



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デンマンさん。。。、今日はどうして めれんげさんじゃなく、あたしをお呼びになったのですか?


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今日は、レンゲさんじゃないとまずいのですよ。。。

それは、どういうわけですか?

話せば長くなるのだけれど、まず次の小文を読んでみてください。。。

 



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「いにしへの しづのをだまき 繰りかへし 昔を今に なすよしもがな」という歌も心に残る。

これは、ある男が昔親しかった女との思い出に浸り、昔のことに思いを寄せている歌だ。

もう一度、昔に時を巻き戻したい、というような意味である。


 

『伊勢物語』の中で、ふと、この歌を見つけると、「ああ、これが静御前の詠んだ歌のもとになっている歌だ」と、あらためて感銘を受ける。

源義経が源頼朝から追われたとき女連れでは捕まりやすいと弁慶に忠告されて、恋人であった静御前を一行から切り離した。

 

ところが、静御前は頼朝軍に発見されて捕まり、鎌倉に送られてしまう。

静御前は当時、京都第一の白拍子。

鎌倉にいる頼朝や北条政子は田舎者だから、みんな静御前の一流の舞を見たい。

 

静御前は、私は義経の女であり、身ごもっている身だからと断り続けるが、ついに頼朝の無理やりの命令により、鎌倉の鶴岡八幡宮で白拍子の舞を披露することになる。

 

そのときに静御前は、「しづやしづ しづのをだまき 繰りかへし 昔を今に なすよしもがな」と詠いながら舞ったのである。

『伊勢物語』の歌の「いにしへの」を「しづやしづ」に変えているが、そこには義経が自分のことを「静や、静や」と呼んでくれた愛しい日々への思い出がこめられている。

 


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頼朝はすぐに『伊勢物語』の歌だとわかり、その意味もわかった。

頼朝は「こんなめでたい場で」と怒った。

源氏の武将たちは義経と一緒に壇ノ浦まで行って戦った者たちである。

一座は蒼然となった。

 

義経は追われてどこかに行っているが、その愛妾が昔のように兄弟仲よかった時代に戻れないものだろうかという意味の歌を詠んだのだから、頼朝が怒るのは当然だった。

しかし、その場を北条政子がとりなす。

 

「あれは女の道です。 私もあのようでした」と頼朝に説いて、静御前を許してもらったのである。

政子は、山本兼隆との結婚前夜に抜け出して、恋仲だった頼朝のところに身を寄せている。

女として静御前の気持ちがわかるから、女の道を頼朝に説いて、その場はおさまった。

 

静御前は第一級の白拍子である。

当時の白拍子は教養として『伊勢物語』を知っていたからこそ、すぐに替え歌を詠むことができたのである。

 

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)




201-202ページ 『実践快老生活』
著者: 渡部昇一
2016年10月28日 第1刷発行
発行所: 株式会社 PHP研究所


 



上の本はバンクーバー市立図書館で借りたのですよ。。。 



確かに、『伊勢物語』が出てきますけれど、この話と あたしが何か関係あるのですか?

もちろんですよ。。。 だから、レンゲさんにきてもらったのですよ。。。 『伊勢物語』と聞いて何か思い出すことはありませんか?

そう言われてみれば、デンマンさんと伊勢物語のことで語り合ったことがありましたわァ。。。

そうです。。。 次の記事ですよ。。。

 


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『平安の愛と性』

 



この記事の中で『伊勢物語』の次のエピソードを紹介しているのですよ。。。

 



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後朝(きぬぎぬ)の文


 



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斎宮(いつきのみや)は親元から、
くれぐれも丁重に
おもてなしをしなさい、
と言われていたものだから、
在原業平(ありわらのなりひら)を
心を込めてもてなしました。

朝には狩の支度を手伝って
業平を送り出し、
夕方戻ってくると、
斎宮はひとつ屋根の下の
“離れ”に彼を迎え入れたのです。

業平は初めて彼女の姿を
目にした時から逢いたいと
思っていたので
二日目の夜、
斎宮に密かに言ったのです。
「お逢いしたい」と。。。

斎宮も逢いたくない
と言えば嘘になる。
でも、とにかく人目が多く
思うに任せない。

業平は正使なので、
“離れ”と言っても、
斎宮の寝所の近くに
床をとっていました。

神に仕える女の身の上を思えば
逢うことなど絶望的でした。
業平はあきらめかけていました。
でも、なかなか寝付かれない。

ふと外に目をやると、
真夜中の朧(おぼろ)な
月明かりのなか、
童女を先に立てて人が立っている。
皆が寝静まるのを待って
やってきた斎宮でした。
業平は信じられないと思いつつも、
丁重に自分の寝所に
女を導いたのです。

それは、長いようで短い、
短いようで長い密会でした。
でも、じっと二人の様子を
見ていた者が居たなら、
およそ2時間ほど二人は
一緒に居たかもしれません。

斎宮は後ろ髪を引かれる
思いがありましたが、
それ以上一緒に居ることは
出来ないと思い帰ってゆきました。
業平にしてみれば、
もっと女を引き止めておきたかった。
まだ満足に語り合ってもいない。
業平は切なさに
一睡もできませんでした。

翌朝、業平の女に対する思いは
募るばかりです。
でも業平の方から
後朝(きぬぎぬ)の文を送るのは
常識はずれというもの。
向こうから何か言ってこないかと
業平が待ち焦がれていると、
空も明るくなってから
歌が届けられました。


君やこし

我や行きけむ

おもほえず

夢か現(うつつ)か

寝てかさめてか


 


【現代語訳】

あなたが来たのか
私が行ったのか、
夢か現実か寝ていたのか
覚めてたのか
私には何も分からないのです。


業平は女の心の迷いを
感じながらも、
互いに衣を重ねて
共寝した密やかな睦事を
女が夢心地で
受け止めているのを感じて
涙が出るほど
ジーンときたのでした。

業平はさっそく
自分の思いを歌に詠んで
女の元に送り届けたのでした。


かきくらす

心の闇に

まどひにき

夢うつつとは

こよひ定めよ


 


【現代語訳】

心乱れて私も
よくわからなかった。
夢か現実かは
今夜ご確認なさっては
いかがでしょうか。


業平は、このように
「今夜も逢いたい」と詠み送って、
狩りに出たのでした。
野に出てからも
業平は上の空です。
「今夜こそは
早く皆をやすませて逢おう」
などと思っているのでした。

そこへ、狩の使(業平)が
来ていることを
聞きつけた伊勢守が、
饗応を申し出たのです。

翌朝になれば業平は
伊勢を発たねばなりません。
今夜は何が何でも
斎宮と逢いたい。
でも、伊勢守は
斎宮寮頭という役職も
兼ねているので断りきれない。
結局、業平は斎宮に逢えぬ
辛さを隠したまま、
伊勢守らと酒を酌み
交わすのでした。

夜もしらじら明けそめた頃、
斎宮方から業平のもとへ
盃が差し出されました。
見れば、上の句のみの歌が
書き添えてありました。


かち人の

渡れど濡れぬ

えにしあれば


 


【現代語訳】

渡っても濡れもしない
浅い江のようなご縁でしたわね。


男は、続き(下の句)を
松明の燃え残りの炭で
書き付けました。


また逢坂の

関は越えなん


 


【現代語訳】

でも、いつか必ずや
お逢いできましょう。


そのような思いを伝え、
その朝、業平は尾張国へ
旅立っていったのでした。




参考書: 『伊勢物語』(講談社文庫)



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。。。で、上のエピソードが上の本の内容と関係あるのですか?



関係あるでしょう! そのものズバリだとは思いませんか? これは、ある男が昔親しかった女との思い出に浸り、昔のことに思いを寄せている歌だ。 もう一度、昔に時を巻き戻したい、というような意味であると書いてあるけれど、上のエピソードでも在原業平が斎宮のことを思いながら尾張国へ旅立っていったのですよ。

つまり、その事をわざわざ あたしに伝えるために呼び出したのですか?

もちろん、それだけではありません。。。 レンゲさんは、かつてホステス時代にナンバーワンになった事があるのですよ。。。

 



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レンゲさんには、間違いなく野心家の一面もある。

だからこそブティック・フェニックスでも3ヶ月余りで、他の店長をゴボウ抜きに抜いてあなたは売り上げでトップの座を獲得した。

 

クラブ・オアシスでもあなたは30人余り居るホステスの中でナンバーワンに躍り出た。

これがその当時のレンゲさんの写真ですよね。

 


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若くてピチピチしていた。

しかも素人っぽくって素朴な美しさがある。

それでいて洗練されたところもある。

そういうところがお客さんの関心を誘った。

それに加えて、話題が豊富でお客を飽きさせない。

あなたは頭のいい女の子なんですよ。

自分をどう演出してよいかも、ちゃんと心得ている。

だから、ナンバーワンになることも時間の問題だった。

。。。

あなたにとって大学生活は慢性的な空虚感と退屈さが伴っていたんですよね。

少なくともホステスの生活の方が楽しかったんですよ。

楽しいという言葉が適切でないなら、レンゲさんの求めているものは、大学生活よりもホステス生活の方にたくさん見出すことが出来たんですよ。

あたしの求めているもの?。。。それは何ですか?

“幼児的なふれあい”ですよ。

レンゲさんがホステス時代に“お客リスト”を作っていた。

レンゲさんはクラブ・オアシスで働いていた30人の女性のうちでナンバーワンになったんですからね。

レンゲさんがマジメに一生懸命ホステス業に励んでいたことが僕は理解できましたよ。

どんな職業でもそうですが、トップになるためには、それなりの努力が必要ですよ。

実際、“ちゃらちゃらして”いたら、ナンバーワンにはなれなかったと思いますよ。




『とこしえの愛って。。。 』より
(2006年2月12日)


 



このような昔のことを蒸し返してほしくありませんわァ~。。。



レンゲさんを貶めようとしているわけじゃないのですよ。。。 むしろ、現代の“白拍子”として 静御前と同じように 知性と教養と美貌を兼ね備えていると褒めているのですよ。。。

でも。。。、でも。。。、知性と教養が上の文章では、感じられないではありませんか!

だったら、次の手記を読んでください。。。

 


そこまで人を駆り立てる物って何なんだろう?

2005 01/08 01:28

 


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わたしは「家畜人ヤプー」の
沼 正三氏を思い出す。
彼の思い描いた壮大なユートピア。
イマジネーションとリビドーが
彼を書かずにはおかせなかったのだろう。

彼は夜な夜な
そのイメージの世界へと旅立ち、
恍惚の笑みを浮かべ、
自分が創り出した女神たちに奉仕し、
虐げられていたのだろう。

表の顔とのギャップが大きいほど、
秘められた場所での彼の悦びも、強く、
刺激的になり、
仮想ユートピアも、あざやかに、
現実のものとなっただろう。

それは、彼の知性が高かったために、
そのような壮大な世界を
得ることができたのであって、
凡人ならば、実際に血の通った“女神”を必要とするのだ。

ユートピアといえば、トマス・モアを思い出すが、
彼は自分のおかれている現実にたいして多くの不満を持ち、
そのうち想像と妄想を結実させ、あの作品を書いた。

人の欲望、不平、不満は、時に妄言などを生み出し、
何らかの「アンチ」な行動に向かわせる。それが社会を動かす力となるか、
ただの変人呼ばわりで終わるかは、本人の死後、評価が決まるかもしれない。

 

by renge (レンゲ)




『たれてるお尻ってなかなか直りませんよね?』より
(2005年8月11日)


 



上の手記には、レンゲさんの知性と教養があふれているのですよ。。。 ミーちゃん、ハーちゃんには上のような手記は書けませんよ。。。



デンマンさんは、あたしのことを必要以上に飾り立てているのではありませんか! 何か下心があるのではありませんかァ~。。。?

いや、僕は、そのような下衆(げす)な男ではありません。。。

信じられませんわ。。。

あのねぇ~、昔の人は “信じる者は救われる!” と言ったのですよ。。。 だから、レンゲさんも僕の言うことを素直に信じて救われてねぇ~。。。



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 (すぐ下のページへ続く)










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