昨日AM、隣のZ市にある旧職場(2009年までブログのメイン舞台ですな)に雑用で元同僚(後輩と言えない私は甲斐性ナシ)を訪ねる。所用を済ませ、職場を去った人達、現役の方々の話題になる。いつもの事ではあるが、逝ってしまわれた方々もみえる。居るだけでも儲けものかな。20年ほども同じ部屋で過ごした気易さから、つい、噺こんでしまう。「Aさんは結局、得した口だなぁ」などなど。コーヒーもいただき、お仕事もあり昼のドンを塩にさようならする。
さて、帰路の狙いは地元名産とされる梨を買うこと。後輩の注意のとおり、現役や第2職場時代には軒並み縁台で梨を販売しておったのに、シャッターを閉じる店が多い。幸い、期待したI梨園は一家で昼食中のところをお邪魔できた。10年以上も前の現役のころ後輩ともども、近くにあったH焼き肉屋さんでIお爺さんを知った。孫嫁さん??から、まだまだ元気な92歳と教えていただいた。ひ孫さんを膝に乗せ、赤いタオルで汗を拭きながら呑み喰いされる様子がよろしかった。
こんな勝手な想いもあり、先日に妻がスーパーで買ってくれた佐賀の梨よりも、この久居の幸水梨は絶対美味いハズだと期待した。帰宅し早速1個を冷蔵庫に放り込む。夕食後、食するとアリャッ~残念。佐賀モノよりも甘く美味しいことには違いないが、野菜や果樹に私が望む野性味を薄く思う。簡単に言えば、幸水でなく後から出てくる豊水に近い甘いだけの食感を強く感じてしまう。甘くなった二十世紀梨の味がするから、幸水が好きだったのに・・・・いやいや、同じZ市の第2職場に通勤しなくなった昨年・一昨年と幸水梨を食していない私の食感は当てにならん かもしれん。あるいは、今の消費者さんはこの味を求めておるのかもしれん。そう言えば上記の同僚が、お店のシャッター化が増えたのはコロナ禍のため宅配便商売が増えたのが理由 と教えてくれたのだった。生産者も食味に苦労されておるのかもしれん。
飛ぶ。50年以上も前の大学時代に同窓であったMから梨をナシでなくありの実と呼ぶのだぞ と言われたことを思い出した。Mと同じ大企業H社に就職したこれまた同窓のE(二人は雀友でしたな)からは、Mが何年も前に逝ってしまったことを教えられている。アリのあんたが逝ってどうする・・・と。
(誤記、訂正を8/16)
同じMでも逝ったのはアリのM君でなく、これまた同じ社に採用された別のM君でした。M君は結婚式に来てくれたなぁ~EによればアリM君からはしばらく前から賀状欠礼と。
脱線;我らの頃の就職試験は売り手市場だったのですね。こんな私でも大手工場の地方工場の研究所配属にしてもらえたのですから・・・気になる木ですから♪~の電子電機メーカーは学科から両M、Eら6名も採ってくれたのですねぇ 申し訳なし。