地方公設試験研究職を勤めあげ?、70歳ころまで溶接技能検定にタッチすることができました。間質性肺炎に悩まさる欲張りです。
ゆうゆう職場



呼吸能の低下ゆえか体調が絶不調で、咳と動作時の疲労感に悩む。

この1年間、間質性肺炎(NSIPタイプ)を患う組織の硬化(線維化)を阻止するオフェブ(ニンテダニブ)を毎朝・夜服用してきた。が、治療でなく阻止を目的とする薬のためか、市から医療補助を受けるほど高価薬なのに薬効がない。仕方のないことではあるが、見放されたようで寂しくある。
 この薬の一番の副作用に下痢が挙げられていて、残念ながら、これはピタリと一致。ついに先月下旬ころから下痢症状がひどくなり、自己判断で服用を中断。ところが、今月上旬に2日続きの黒便となり慌てた。第2の副作用に消化管へのアタック・穿孔 が挙げられておるからで、焦ってかかりつけのK医院へ向かう。すぐに、紹介状と共に隣市の総合病院救急外来へと指示、まずは問診と腹部CTとなった。念のためにとのことで、胃内視鏡も続けて受けることになった。気管支内視鏡の苦しさを経験しているし、40年以上も前に患った十二指腸潰瘍での胃内視鏡の経験は豊富?だから、気楽に横になった。が、チューブが喉を擦過して通り過ぎる時は、辛く泣きそうになった。
 胃カメラでの診断は、軽いびまんが胃にあり多少の出血があったのではないか、それよりも下流側の小腸以降での出血なら便は明瞭に赤色となるであろう とされ、胃の保護薬の投薬となった。これが8/3の一日である。翌8/4は県医療センター呼吸器内科への定期通院(1か月余)の日であるため、センターG主治医へ胃部病状の紹介状も書いてもらった。
 さて、ようやく呼吸器内科受診であるが、採血と胸部透過X線のあとG先生と面談する。全身不調気味になる呼吸能の低下から、つい愚痴半分になってしまう。そして、オフェブ中断となった。あとは肺機能の維持に努めるだけになるのか・・・今日、畑へ出て広い面積を占有したカボチャ/スイカの蔓を整理した。蔓は軽トラですこし離れた空き地へ運び入れ、雑草ともども積んでおく。これらの作業を続けることができない。情けなくなる。土をかぶせてやるのは別の日だな。

 昨日、雑草だらけの家の周りで草削りをしていたら、燕ペアが玄関へ飛来して暫く出てこない。そろりと忍びパチリできた。白かった胸も灰色に汚れてみえ、野生生活の凄みを見せていた。これが夕刻の6時ころであったので、あるいは と期待して夕食後に見上げたが、飛び去っていた。おそらくすぐそばで営巣したNo.4の両親とみた。好くしたもので、今日の昼下がりツバメの飛来が多い。玄関先にも飛び込んできたようだ。そろりと玄関を開け、見上げるとNo.4の巣の中に成長した子ツバメ2羽が居る。私を認めると、慌てて飛び去ったがしばらくは庭先を兄弟仲間 で飛び回っている。仲間で子ツバメの4,5羽は居そうだ。両親とは違い、胸の毛が真っ白のままである。そうか、両親ともどもに古巣を懐かしんでくれるのだな。来年もきっと来いよ。




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世に遅れるのが常の我が家に”白黒”TVが据えられたのは中学生になってから の記憶がする。カラーTVが来た頃は高校生になっていたはず。
それ以前、TV劇画は隠居(実父の弟の家)へ観にでかけた(すぐ、裏である)。もっと前なら、小学生時代に人気の「月光仮面」なぞは、3人4人と連れ立って1km以上も離れた隣の町のお家にお邪魔したものだ。『おばさん、見せてください』と親戚でもないのに、上りこませていただく。佳い時代であった。

七色仮面、ナショナルキッド、少年ジェット等は隠居で見せてもらったようだ。母親は佳い顔をしなかった。あまり働かずに名誉職?なぞに就く父親のもと、佳い生活を送れなかった母親にとっては、TVなんぞの前でホケーッとする息子は我慢できなかったのであろう。66歳で逝くまでもがき続けた母。27回忌は済ませることができたが、33回忌を問うことができるだろうか・・・寂

さて、
母のほうに足がかかってしまったが、今夜言いたいことはそのTV劇画でのセリフ。最近、田畑でおもわず口に出るのがローンレンジャーでの、「キモサベ」「なんだトント」、内容も訳が分からないのに口に上るのが「ゴ、ゴ、ゴメス警部」=ディック・トレーシー(1962頃)正しくはゴーゴー・ゴメス警部 とウィキ。セリフの想いが無いが、S・マックイーンの「拳銃無宿」、C・コナーズの「ライフルマン」の西部劇、戦争物の「コンバット」では俳優紹介の『スターリング ビック・モロー&リック・ジェーソン』が残る。決まりのセリフは『チェックメイト キングⅡ、こちらホワイト ロック・・・』だった。
 これらが駆け巡る。終点が近づきつつあるのかしら~
 と言いながら、欲ドライブされる。今、このPCを叩く前には田圃の夜間我田引水、明日の午前中一杯水を引き込んで、穂に優しくする。盆辺りからは水は無用となる。むしろ、引水よりも天水の雨が欲しい。今夜引水できるのは、朝方にポンプ係のAさんに水が欲しいと伝えたことで、夕刻になりそれまで引いていたMさんが満水となったので、一晩引いたらどうか と勧めてくれたことによる。眠いが、用水路末端ゆえ、できれば途中で起床・かかり具合をチェックしながら朝を迎えよう。写真は、夜10時前の水中ポンプ(暗くて本体は?)、それから700mほど下流の末端分水桝の状況(pm19時ころ;このマスから右下方向へ我が田への支線)大した流量じゃないでしょう・・・・





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