『坂本龍馬ゆかりの寺田屋は、いつ建てられたのか???』
あの、時代劇でも有名なシーン…
坂本龍馬の恋人『お龍』さんが、寺田屋の一階にある風呂場で湯につかって居た時に、
窓の外に奉行所の役人が、宿屋を取り囲んで居るのを目撃し、裸のまま、階段を駆け
あがり、二階に居た坂本龍馬に、奉行所の役人に取り囲まれた事を知らせる…
この時、坂本龍馬は、当時珍しかったピストルで、役人と交戦し、手の指を失うも、
何とか逃げ延びる事が、出来た訳です。
坂本龍馬ファンの私としては、この事件の舞台になった『寺田屋』を見なければいけ
ないと思い、わざわざ、『寺田屋』を見に行った事がありました。
この時、『寺田屋』の外観や、使用している材木を見て、『強い違和感』を覚えた
のです。
『古い木造建築』の専門家である私は、『寺田屋』の軒が高過ぎる事に、疑問を感じ
ました。
通常、この時代の建築なら、もっと、『軒』が低くなければ、なりません!
また、使用されている『材木』の製材の仕方が、どう見ても『明治以降』のもので、
『江戸時代』からあると、解釈するには、釈然としないモノがあったのです。
…その後、『寺田屋』は、事件の後、一度、火災で燃えたらしい事や、建物の登記
記録がおかしい事(江戸時代の建物なら、登記原因は新築でも、新築年月日不詳
と、記載するが、この建物には、新築年月日が記載されていた。)等の証言が出て
来て、いったい、この建物は、いつ建てられたのか?
と、言う『疑い』に変わって行ったのです。
しかし、それでも、現代の『寺田屋』の主人は、『昔の建築』と、主張されて居り
ます。
この『寺田屋』では、お龍さんが、裸で駆けのぼったとされる『階段』や、柱につ
いた、『刀傷』を見る事が出来るそうです。
『欠陥建築バスターズとしては、これ以上、寺田屋の追求は、しないでおきます!』
『興味のある方は、京都の伏見まで、見に行ってください。』
『龍馬が逃走した道路は、龍馬通りと言う商店街になっています。』