『日本は、戦国時代から、土木技術大国だった!』
織田信長は、美濃を攻略する為に、墨俣(すのまた)に城を造ろうと考えました。
…ところが、墨俣は、木曽川と長良川の合流点で、おまけに、湿地でした!
『そこで、信長の家来、秀吉(この頃はまだ秀吉を名乗る前ですが…)は、地元の乱暴者、蜂須賀小六に命じ、墨俣に城を建築させます。』
…蜂須賀一族は、川船を巧みに操船する技術以外に、湿地に建物を建築する特殊な技術を持っていました。
…その技術とは
今で言う、『プレハブ住宅』『ツーバイフォー住宅』の様な、当時の日本では無かった工法です。
『おそらく、世界的に見ても、珍しいか、又は、世界初の工法だったと思われます。』
『蜂須賀小六は、川の上流で、城のパーツになる壁を、川に流せる大きさに小分けし、上流で壁のパーツを組み立てては、川の水に流し、下流の墨俣に送りました。』
…その流れて来た『壁のパーツ』を秀吉の家来が、下流で拾い上げ、次々に『壁のパーツ』を連結し、遂には、一晩で城を組み立てたのです!
『日本には、こんな進んだアイデアや、おもしろい技術があったんです!』
…蜂須賀小六は、この功績が認められて、秀吉の家来になりますが、本当は、信長の家来になりたかった様です。
『一豪族に過ぎなかった、蜂須賀氏は、その後、戦国の世の中で、大活躍をする事になるのです!』
自由なアイデアや、自由な生き方は、『人に笑われる様な、突拍子もない発想』から生まれます!
『いつまでも、しつこく、欠陥だ!欠陥だ!と騒ぐ様な人は、魂の自由がないのです。』
『毎日を感謝し、明日を見つめて生きる事が、祝福される生き方なのです。』