そもそもお通夜というのは、
故人を偲んで悲しいものだが、
その故人が年下の知り合いとなると
悲しみもひとしおだ。
祭りで一緒にはしゃぎ、
村の行事で大活躍していた年下の友人のお通夜が
今夜、あった。
長い間入院をしていて、
昨日3月11日、
震災後一年の鎮魂の日に静かに息を引き取った。
ただでさえ年下の人間の弔事は悲しいのに
鎮魂の日に失意の訃報だ。
今、日本人の平均年齢は45歳。
考えれば、日本人の半分以上は
doironより年下なわけですがね。
亡くなった彼は享年50歳。
知らせが入ったのは、
おりしも祭りのための村の役員の
寄合の真っ最中であった。
各自それぞれ、彼のゆかりの人々に
電話連絡を入れた。
そしてそれまでのにぎやかな雰囲気は一変し、
みな悲しみに沈む夜となった。
そしてそんなときにいつも思うのだが、
もしもdoironが一昨年の年末の
あの時蘇生しなかったら、
村の連中は腰を抜かすほど驚いただろう。
誰よりも長生きするだろうと思われていたのは、
想像に難くない。
何せ、祭りのときに、
だんじりと一緒に歩いたり走ったりして、
みんな筋肉痛で足を引きずっているときに、
「祭りは運動不足になってあかん」
と言って驚かれたくらいだからね。
だから、陰できっと言われるんやろうなあ。
あんなに無理して走ってたからや、ってね。
そして、人間やっぱり無理したらあかん
ということやな。という結論に達して、
みんな納得してうなづくんやろなあ。
そうはさせるもんか。
もしそうなったら、
彼らはきっとdoironの例を出して、
走るやつはバカだみたいに言うだろうからね。
同じ趣味を持つ仲間に申し訳ない。
そんな話と、ちょっとシンクロするのが、
今の風邪気味の日々だ。
多分、最大の山場の会議を無事乗り切って、
ほっとして気が緩んだところに、
風邪菌がつけこんだんだろうと、
ここんとこみんなに言われている。
そんなことやったら、
3月末で退職したらどうなるねん?
とも言える。
が、しかし大丈夫!
doironにはまだまだ気を緩めきれる日々は
やってきそうにない。
しっかりと乗り切って、
第二の人生を謳歌するのだ。
お通夜の中に、
昔子供会でソフトボールを教えたことのある彼の息子がいた。
「お父ちゃんは、みんなの心の中に生きてるで」
と言ってやったら、目を潤ませていた。
いや、潤んで見えたのは、
doironの目が潤んでいたからかもしれない。
N平さん、安らかに。