「推敲」という言葉は、なんだか難しい。
国語辞典では
「詩文を何度も練り直すこと」
と書いてありました。
昨日、宮沢賢治とやまももの関係を見るのに、
家にある全集をぱらぱら調べてみたのですが、
その1冊に、彼の原稿の写真が掲載されていました。
かの有名な「銀河鉄道の夜」も
原稿で読むと推敲の跡だらけです。
最近は、そんな推敲も
パソコン上でするでしょうから、
作家の苦闘の痕跡なんかを
窺い知ることもできない状況なんでしょうね。
ちょっと寂しい気がしますね。
反面、便利なことはというと、
手軽に推敲できることの他、
文書が全てデータ化されているため、
昨日のように、
作品中の文字を検索するなんて芸当は
朝飯前の状況にはなりますね。
谷川俊太郎がエッセイ
「ひとりぐらし」
の中で、こう書いてます。
「語の使用頻度を統計的に調べ
比較することで、
その詩人のパーソナリティを推理するのは
興味ある方法である」と。
となるとこのブログなんかは
完全にデータ化しておりますので、
その気になれば、
どんな漢字を最も多用しているかなんて、
たちまち解明できるんでしょうね。
多分、「走」とか「生」なんかが
上位に来るでしょう。
「愛」なんかはこっぱずかしくて、
ほとんど使ってないやろなあ。
いつかそんな集計もしてみましょうかね。
ちりも積もれば山となる。
このブログも1900話をとうに越え、
まもなく2000話を迎えます。
ほとんど推敲もないまま
ここまで積み重ねてきて、
我ながらよく続いているものだと思います。
一方で、
人生は毎日修正の日々。
推敲に推敲を重ねて、
真っ赤な修正跡だらけの人生を
過ごしている今日この頃ですがね。